第3話 反撃開始〜絶頂から奈落へ、公開断罪の幕開け〜
王都の中心にそびえる大聖堂は、かつてないほどの熱気と興奮に包まれていた。
ステンドグラスから差し込む陽光が、純白の大理石でできた床を煌びやかに照らし出している。天井からは無数の美しい花々が吊るされ、空気には甘い香水と百合の香りが満ちていた。
参列しているのは、王国の王族、高位貴族、そして各国の要人たち。皆が一様に華やかな礼服に身を包み、祭壇に立つ二人の姿に熱狂的な拍手と歓声を送っていた。
「美しい……まるで女神のようだ」
「ミア様こそ、この国を導く真の聖女だ!」
「レオン王子殿下万歳! ミア様万歳!」
祭壇の中央で誇らしげに胸を張っているのは、王国の第一王子であるレオン。そしてその隣で、純白のウェディングドレスに身を包み、恥じらうように微笑んでいるのが、平民出身でありながら『新聖女』として祭り上げられたミアだった。
王国の現状は、決してこのような祝賀行事を行えるような状態ではなかった。
前の聖女であるセリアが追放されてから数週間。国を覆っていた大結界は日に日に薄れ、ついには完全に消失してしまった。現在、国境付近の辺境領では凶悪な魔獣の群れが次々と侵入し、村々が焼き払われ、多数の死傷者が出ているという急報が王宮に殺到している。
しかし、レオンはそのすべての報告を握り潰していた。
「心配には及ばない。真の聖女であるミアが、結婚の儀式の後で祈りを捧げれば、魔獣など瞬く間に消え去るだろう」と根拠のない自信を振りかざし、莫大な国費を投じてこの結婚式と新聖女任命式を強行したのである。
魅了の毒香に脳を侵された貴族たちもまた、誰一人としてその異常な判断に異を唱えることはなかった。
レオンは満足げに会場を見渡し、隣に立つヴァンガード公爵に向かって鷹揚に頷いた。
「公爵よ、今日という素晴らしい日を迎えられたのも、そなたの協力あってのことだ。あの陰気で醜い偽聖女を迅速に切り捨ててくれた判断、見事であったぞ」
「もったいないお言葉でございます、殿下。あのような出来損ないは我が公爵家の恥。ミア様のような清らかで美しいお方こそ、殿下の隣にふさわしいと存じます」
ヴァンガード公爵は卑屈な笑みを浮かべながら深く頭を下げた。その後ろで、公爵夫人と長男も「あの女が消えてせいせいしましたわ」と醜悪な笑いを漏らしている。
(愚かな人間どもめ。本当に傑作だわ)
ミアは、純真無垢な笑顔の裏で、内心で腹を抱えて嗤っていた。
彼女の正体は上位魔族『グラトニー』。この国を内部から崩壊させるために送り込まれた潜入工作員である。
彼女の放つ魅了の毒香は、欲望や傲慢さを持つ者ほど強く作用する。レオンや公爵家の面々は、驚くほど簡単に彼女の傀儡となった。
(結界の要だったあの小娘を追い出し、軍の機密も金もすべて魔王軍に横流しさせた。あとは、このバカ王子が完全に国を明け渡すのも時間の問題。今日、私が『新聖女』として実権を握れば、この国は完全に魔族のものになる)
ミアは勝利を確信していた。すべてが彼女の描いた完璧なシナリオ通りに進んでいる。もはや誰にも、彼女の野望を止めることはできない。
「さあ、愛するミアよ。神の前で永遠の愛を誓おう」
レオンが熱を帯びた瞳でミアの手を取り、誓いのキスを交わそうと顔を近づける。
参列者たちが息を呑み、歴史的な瞬間に見入った。
その、絶頂の瞬間だった。
轟ァァァァァァンッ!!!!
突然、天地を揺るがすような爆音と共に、大聖堂の分厚いオーク材の巨大な扉が粉々に吹き飛んだ。
「な、なんだ!?」
「敵襲か!?」
木端微塵になった扉の破片が聖堂内に降り注ぎ、貴族たちの悲鳴が響き渡る。
もうもうと立ち込める土煙の中から、二つの人影がゆっくりと現れた。
一人は、漆黒の軍服に身を包んだ長身の男。
深紅の瞳には獲物をいたぶるような酷薄な笑みが浮かび、その全身からは、息をするのも困難になるほどの圧倒的な覇気と魔力が立ち昇っている。
その顔を見た瞬間、他国の要人たちは悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
「りゅ、竜帝……!? なぜ、ドラグニル帝国の皇帝陛下がここに!?」
大陸最強の武力と魔力を誇る覇王、ルファス・ドラグニル。その突然の降臨に、聖堂内は恐怖と混乱の坩堝と化した。
しかし、人々の視線はすぐに、彼にエスコートされるように寄り添う「もう一人の人物」へと釘付けになった。
あまりにも、美しすぎた。
夜空の星屑を溶かし込んだかのような、眩いばかりに輝く黄金の髪。透き通るような白磁の肌。そして、深海のように静かで冷たい、サファイアの瞳。
その身を包むのは、帝国の最高級の絹と魔力石で織り上げられた、目を奪われるほどに豪奢な蒼のドレス。
彼女が歩みを進めるたびに、周囲の空気が清浄な魔力で満たされ、枯れかけていた祭壇の花々が一斉に咲き誇る。
まさに、神話の中から抜け出してきた女神そのものであった。
「あ、あれは……誰だ? あの美しい女性は」
「他国の王女だろうか……いや、しかしどこかで……」
誰もがその神々しいまでの美貌に息を呑み、魅了されていた。
だが、祭壇の上からその顔を凝視していたレオンと公爵家の面々は、次第に顔色を青ざめさせていった。
「ば、馬鹿な……。そんなはずはない……」
レオンは震える指で、その女神を指差した。
「セリア……なのか? 貴様、セリア・ヴァンガードか!?」
その名前が出た瞬間、聖堂内が水を打ったように静まり返った。
誰も信じられなかった。かつて大聖堂の隅で、生気を失い、ボロボロの古布のようなドレスを着て、老婆のように干からびていたあの醜い公爵令嬢。
それが、この目の前にいる圧倒的な美しさを放つ女神と同一人物だなどと、誰が想像できようか。
私は、ルファスにエスコートされながら、祭壇の階段の下まで進み出た。
かつて見上げていたレオン様や、私を見捨てた家族たちの顔を、今は真っ直ぐに見据えている。
彼らの顔には、驚愕と、得体の知れない恐怖が張り付いていた。
「お久しぶりですね、レオン殿下。そして、ヴァンガード公爵」
私の口から紡がれたのは、一片の感情も乗っていない、冷酷なまでに透き通った声だった。
「き、貴様……っ! 罪人の分際で、一体どの面下げて戻ってきた!」
レオン様は動揺を隠すように、顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「貴様は国を追放された身だ! それに、なんだその姿は! 魔術で顔を変えて、帝国の皇帝陛下に取り入ったのか! この恩知らずの悪女め!」
「そうだ! 我が公爵家の恥晒しが、神聖な儀式を台無しにする気か!」
ヴァンガード公爵も、レオン様に同調して声を荒げる。彼らは相変わらず、私のことを自分たちが思い通りにできる格下の存在だと信じ込んでいるようだった。
だが、その傲慢な態度は、ルファスのたった一言で完全に打ち砕かれた。
「――口を慎め、底辺の塵芥ども」
ルファスが静かに、しかし絶対的な威圧感を込めて言い放つ。
その瞬間、目に見えない重力が大聖堂全体にのしかかったかのように、レオン様も公爵も、そして全貴族たちも、呼吸すらできずにその場に跪きそうになった。
「彼女は今や、私の最も愛する婚約者であり、次期帝国皇后となる女性だ。その彼女に向かって罪人などという暴言を吐くということは、我が帝国への宣戦布告と受け取って相違ないな?」
深紅の瞳で見据えられ、レオン様はヒッと情けない悲鳴を上げて後ずさった。
覇権国家であるドラグニル帝国と戦争になれば、この王国など三日と持たずに地図から消え去る。その現実を突きつけられ、彼らは完全に言葉を失った。
「ルファス、彼らを脅すのはそれくらいに。今日は、私が彼らの罪を裁くために来たのですから」
私が静かに制すると、ルファスは「君の好きにするといい」と優しく微笑み、威圧を解いた。
「罪を裁く、だと……? ふざけるな! 罪人はお前の方だろうが! ミアを虐め、毒を盛った罪で追放された身でありながら!」
レオン様はまだ往生際悪く喚いている。ミアもその後ろで、わざとらしく怯えるフリをしながら私の様子を窺っていた。
だが、その演技もここまでだ。
「ええ、罪人を裁きに来ました。あなた方がこの国に対して犯した、万死に値する『国家反逆罪』のすべてを、今この場で白日の下に晒すために」
私は右手を高く掲げ、指を鳴らした。
その瞬間、大聖堂の空中に巨大な魔法スクリーンが展開される。縦横数メートルにも及ぶ巨大な光の板が、参列者全員に見えるように浮かび上がった。
「な、なんだこれは……魔道具か!?」
ざわめく貴族たちをよそに、スクリーンに最初の映像が映し出された。
それは、薄暗い執務室での隠し撮り映像だった。
『レオン殿下。これで、軍の西側防衛線の配置図と、結界の弱点のデータでございます。それと、今月の防衛予算から捻出した五千万ゴールドの金貨です』
『ご苦労だったな、公爵。これでミアが喜んでくれるなら安いものだ。どうせあの偽聖女が消えた今、魔獣などミアが祈れば済むことだ』
スクリーンから流れてきた音声に、聖堂内の空気が凍りついた。
映っていたのは、ヴァンガード公爵がレオン様に対して、明らかに他国へ横流しするための軍事機密と、莫大な裏金を渡している決定的な瞬間だった。
「なっ……!?」
「で、殿下!? 今のは一体……!」
貴族たちが青ざめた顔でレオン様を見る。レオン様は目を見開き、口をパクパクと金魚のように動かしていた。
「ば、馬鹿な! なぜそんな映像が……! そ、それは偽造だ! 私を貶めるための幻影魔法に決まっている!」
「偽造ではありません。この契約書の写しを見ても、同じことが言えますか?」
スクリーンが切り替わり、今度は一枚の書類の拡大画像が映し出された。
そこには、『西側国境の不可侵を条件に、王国の全魔力石鉱山と防衛予算を割譲する』という信じがたい売国条約が記されており、その下には、レオン様とヴァンガード公爵の直筆のサイン、そして王族と公爵家の正式な印章がハッキリと押されていた。
「あ、あ、ああ……っ」
ヴァンガード公爵が膝から崩れ落ちた。筆跡も印章も本物だ。魔法で偽造できるようなものではないことは、高位貴族であれば一目でわかる。
「こ、これは違う! 私はミアに頼まれて、ミアの故郷を支援するために……!」
レオン様が必死に弁解しようとするが、その言葉は彼自身の首を絞めるだけだった。
私は冷酷な笑みを深め、次なる証拠をスクリーンに投映した。
「では、その『ミアの故郷』とやらが、一体どこなのか。皆様に見ていただきましょう」
スクリーンに映し出されたのは、真夜中の王宮の庭園だった。
そこに立っているのは、ミア。しかし、その姿は普段の可憐な少女のそれとは異なっていた。
頭からは禍々しい羊のような角が生え、背中には蝙蝠のような漆黒の翼が広がっている。そして、彼女の目の前には、豚の頭をした醜悪な魔族が平伏していた。
『グラトニー様。ご指示通り、西側の魔獣どもに国境を突破させました』
『ご苦労。あのバカ王子と強欲な公爵は、完全に私の魅了で頭がイカれているわ。結界の要だったあの小娘も追い出したし、もうこの国に私たちを阻むものはない。せいぜい人間どもが絶望に泣き叫ぶのを楽しませてもらうわ』
スクリーンの中で、ミアが醜く歪んだ顔で高笑いする映像と音声が、大聖堂の中に響き渡った。
沈黙。
圧倒的な、死のような沈黙が聖堂を支配した。
全員の視線が、祭壇の上でウェディングドレスを着ているミアへと突き刺さる。
「ま、魔族……」
「新聖女様が、魔族のスパイ……!?」
貴族たちの中で、魅了の毒香による洗脳が、恐怖という強い感情によって徐々に解け始めていた。
彼らはようやく、自分たちが今まで何を崇め、何に狂わされていたのかを理解したのだ。
「う、嘘だ……。ミア、嘘だと言ってくれ! 君は、君は心優しい聖女なのだろう!?」
レオン様は顔面を蒼白にしながら、震える手でミアの肩を掴んだ。
しかし、ミアはもう演技をする必要がないと悟ったのだろう。彼女は舌打ちをすると、レオン様の手を乱暴に振り払った。
「触るな、下等生物。ほんっと、どいつもこいつも使えないわね。せっかく私が国を乗っ取るための完璧な計画を立ててやったのに、こんな証拠をあっさり撮られているなんて」
ミアの姿が揺らぎ、人間の偽装が解けていく。
ウェディングドレスが破け、角と翼を持った魔族『グラトニー』の禍々しい本性が、全参列者の目の前に露わになった。
「ひぃぃぃぃっ!!」
「ま、魔物だぁぁぁっ!!」
聖堂内は完全なパニックに陥った。貴族たちは我先にと出口へ向かって逃げ惑い、将軍や騎士たちは剣を抜くことすらできずに腰を抜かしている。
「あ、あ……あぁ……」
レオン様は尻餅をつき、信じられないものを見る目でミアを見上げていた。
自分が永遠の愛を誓おうとしていた女が、国を滅ぼそうとする醜悪な魔族だった。
自分が「正義」だと信じて追放した婚約者こそが、本当の聖女だった。
ヴァンガード公爵家の人々も同様だった。
公爵は白目を剥いて泡を吹き倒れ、公爵夫人と兄は「私たちの財産が……地位が……」と狂乱して床を掻きむしっている。
彼らが思い描いていた「輝かしい未来」と「絶頂の幸福」は、わずか数分の間に、取り返しのつかない絶対的な絶望へと叩き落とされた。
逃げ道など、どこにもない。
言い逃れ不可能な証拠。魔族という正体の暴露。そして、隣国の竜帝という絶対的な存在。
私は、祭壇の上で惨めに這いつくばる彼らを見下ろしながら、氷のような声で告げた。
「さあ、公開断罪ショーの続きを始めましょうか。あなた方がどれほど愚かで、どれほどの罪を犯したのか、命の底まで刻み込んで差し上げます」




