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第2話 静かな決意〜真なる力の覚醒と竜帝の甘い庇護〜

意識が浮上する。真っ先に感じたのは、柔らかな温もりだった。


(あれ……? 冷たくない。それに、痛みが……ない?)


目を開けると、視界いっぱいに豪奢な金糸の刺繍が施された天蓋が広がっていた。自分がどこにいるのかすぐには理解できず、ゆっくりと体を起こす。


ふかふかのマットレス。肌触りの良い最高級の絹のシーツ。部屋を見渡せば、重厚な黒檀の家具に、精緻な細工が施された暖炉。王国では見たこともないような、圧倒的な富と権力を象徴するような調度品の数々が並んでいた。


私は確かに、王宮から追放され、冷たい雨の降る裏路地に倒れていたはずだ。魔力枯渇による激痛と寒さに震え、泥水の中で死を待つしかなかった。それなのに、今の私の体には少しの痛みもなく、むしろ信じられないほど穏やかな温かさに包まれている。


「目が覚めたか、私の愛しい人」


ふいに、部屋の奥から声がした。低く、甘く、鼓膜を心地よく震わせるような響き。


声の主がゆっくりとベッドへと近づいてくる。漆黒の髪に、闇夜で燃えるような深紅の瞳。隙のない完璧な美貌と、全身から溢れ出す圧倒的な覇気。


その姿を見た瞬間、私は息を呑んだ。この大陸で彼を知らない者はいない。隣国である覇権国家、ドラグニル帝国の若き皇帝。圧倒的な魔力と武力で周辺諸国を従え、『最強の竜帝』として畏怖される絶対的な存在、ルファス・ドラグニル陛下その人だった。


「ルファス、陛下……? なぜ、あなたがここに……」

「敬称など不要だ。ルファスと呼んでくれ」


彼はベッドの端に腰を下ろし、大きな手で私の頬にそっと触れた。他国では冷酷無比の暴君と恐れられているはずの彼が、まるで壊れやすい硝子細工を扱うかのような、信じられないほど優しい手つきで私を撫でる。


「ここは帝国の王都の外れにある、私の私有する隠れ家だ。君を王国の裏路地で見つけたあの夜から、三日間眠り続けていたのだよ」

「三日間も……」

「無理もない。君の体は、限界を遥かに超えて魔力を搾取されていた。あのまま放っておけば、間違いなく命を落としていただろう」


彼の深紅の瞳に、ほんの一瞬だけ、凍てつくような怒りの炎が揺らめいたのが見えた。しかし、私に向き直ると、すぐに甘く蕩けるような眼差しへと変わる。


「なぜ、私を助けてくださったのですか? 私はただの、追放された令嬢に過ぎませんのに」

「ただの令嬢などと、自分を貶めないでくれ。私はずっと、君を探していたのだ」


ルファスは私の手を取り、その甲に恭しく唇を落とした。熱い吐息がかかり、私の心臓が大きく跳ねる。


「数年前、私が極秘で王国を視察に訪れた時のことだ。お忍びで下町の孤児院を通りかかった際、一人の少女を見た。自分の身を削り、ボロボロになりながらも、病に苦しむ子供たちに治癒魔法をかけ続ける美しく気高い魂を。その瞬間から、私は君に心を奪われていた」

「……あ」


思い当たる節があった。昔、ほんの少しだけ城を抜け出す時間をもらえた時、下町の孤児院でこっそりと治癒を施したことがあった。あの時、遠くから私をじっと見つめていた黒衣の青年がいたことを思い出す。


「私は君を帝国に迎え入れたかった。だが、君は『聖女』として大結界に縛り付けられ、王国の第一王子と婚約していた。君自身がその使命に誇りを持ち、自らを犠牲にして国を守ろうとしているうちは、無理に奪い去ることはできなかった」


ルファスの声が、少しだけ低く沈む。


「だから、私は待っていた。あの愚か者どもが、君という至宝の価値を理解できず、自ら手放す瞬間をな。君が裏路地に倒れ伏したあの夜、私の忍耐はようやく報われたというわけだ。君はもう自由だ。これからは、私が私のすべてを懸けて君を愛し、守り抜こう」


あまりにも真っ直ぐで、狂気的なまでの熱を帯びた告白。今まで家族からも婚約者からも「都合のいい道具」としてしか扱われてこなかった私にとって、自分という存在そのものを求め、慈しんでくれる彼の言葉は、干からびた心に染み渡るような温かさを持っていた。


「さあ、食事にしよう。三日も何も口にしていないのだから、胃に優しいスープを用意させてある」


ルファスは傍らのサイドテーブルから銀の盆を取り上げると、自らスプーンでスープを掬い、私の口元へと運んできた。


「えっ、あの、自分でいただけます……!」

「遠慮しないでくれ。私は君の世話を焼きたくて仕方がないのだ。さあ、あーん」


一国の皇帝が、まるで大型犬のように尻尾を振るような幻覚が見えそうなほどの過保護ぶり。私は戸惑いながらも、彼の熱意に負けて小さく口を開いた。温かく、滋味あふれるスープが喉を通っていく。これほど美味しいものを食べたのは、何年ぶりだろうか。涙が出そうになるのを必死に堪えながら、私は彼から与えられる食事をゆっくりと飲み込んでいった。


食事が終わり、少し人心地ついた頃。私はふと、自分の体の中に、細く透明な糸のようなものが残っているのを感じ取った。


それは、遥か遠く離れた王国へと繋がる、大結界への魔力のパスだった。


(まだ、繋がっていたのね……)


王宮を追放され、距離が離れたことで供給量は激減しているはずだが、十年間も絶え間なく魔力を注ぎ続けてきた私の体は、無意識のうちに結界へのパスを維持しようとしていたのだ。なんという滑稽な習性だろうか。私を捨てた国のために、私の本能はまだ魔力を絞り出そうとしている。


「どうした、セリア?」


私の表情の翳りに気づいたルファスが、心配そうに眉を寄せる。


私は静かに首を振り、自分の胸に手を当てた。


「私の中に、まだ王国の結界と繋がる魔力の道が残っているのです。これを完全に断ち切らなければ……私は本当の意味で、過去と決別することはできません」

「君の自由だ。だが、もう君を傷つけ、裏切った者たちのために、一滴たりとも君の魔力を使う必要はない。君の命は、君自身のものだ」


ルファスの力強い言葉に背中を押され、私は静かに目を閉じた。


脳裏に蘇るのは、あの建国記念パーティーでの出来事。

私を無実の罪で断罪し、汚物を見るような目で罵倒したレオン様。

私の居場所を奪い、勝ち誇ったように嘲笑ったミア。

真実を確かめようともせず、保身のために私を勘当した実の親と兄。

そして、それに同調して私を嘲笑った数多の貴族たち。


あの夜、裏路地の泥水の中で抱いた、冷たくどす黒い殺意と復讐への渇望。

私が彼らに捧げてきた善意と忍耐の十年は、完全に無に帰した。ならば、私が国に施してきた加護もまた、無に帰すべきだ。


(さようなら、私の愛した国。そして、私を捨てた愚か者たち)


「――切断」


私は心の中でそう唱え、王国へと伸びていた魔力のパスを、己の意志で完全に断ち切った。


ブツン、という見えない糸が弾けるような感覚。

その瞬間だった。


「っ……!?」


体の中で、何かが爆発した。


今まで、巨大な穴の開いたバケツのように、いくら魔力を生み出しても大結界へと吸い上げられ続けていた私の体。その巨大な漏出先が突然消失したことで、私の体内で生成される規格外の神聖魔力が、行き場を失って爆発的に逆流を始めたのだ。


「セリア!」


ルファスが驚きの声を上げる。私の全身から、眩いばかりのプラチナの光が立ち昇った。


莫大な魔力は、長年の過労によってボロボロになっていた私の肉体を、猛烈な勢いで修復し始めた。カサカサに干からびていた肌に潤いが戻り、真珠のように滑らかで透き通るような白さを取り戻していく。目の下の濃い隈は消え去り、窪んでいた頬には健康的な桜色の赤みが差す。パサパサで色落ちしていた髪は、まるで星屑を溶かし込んだかのような光沢を放つ黄金色へと変化し、背中まで豊かに波打って広がった。


体中を満たす、圧倒的な万能感。呼吸をするたびに清らかな魔力が循環し、視界が恐ろしいほどに鮮明になる。


光が収まった後、私は自分の両手を見つめた。そこにあるのは、老婆のように骨張った手ではなく、瑞々しい若さに溢れた乙女の手だった。


「……信じられない。これが、君の本来の姿なのか」


ルファスが息を呑む音が聞こえた。彼が見つめる先の鏡に目を向けると、そこには見知らぬ絶世の美女が映っていた。神々しいまでの美貌。初代聖女の直系血統として、魔力枯渇という枷が外れたことで、真に覚醒した私の姿だった。


「気分は悪くないか? 魔力酔いは?」

「はい……全く。むしろ、生まれてから今までのどの瞬間よりも、体が軽く、力が満ち溢れています。これが、本当の私……」


私が拳を握りしめると、指先からこぼれ落ちた魔力の粒子が、部屋の空気を清浄なものへと変えていくのを感じた。


「素晴らしい。君は間違いなく、この大陸で最も美しく、最も力のある女性だ」


ルファスは私の変化を心から喜んでくれた。だが、今の私には、単に力が戻ったことを喜ぶだけでは終われない理由があった。


「ルファス。私に、王国の現状を教えていただけませんか?」


私が静かに問いかけると、ルファスの表情が皇帝としての威厳あるものへと変わった。彼は指を一度鳴らす。

すると、部屋の隅の暗がりから、音もなく黒装束に身を包んだ男が姿を現した。ルファス直属の密偵である『影』の一人だ。


「報告しろ」

「はっ。セリア様が結界の魔力供給を断ち切られたことにより、王国の防壁は現在、急速に崩壊しつつあります。すでに辺境の村々では魔獣の群れが侵入し、被害が出始めております」


影の報告に、私は微かに眉をひそめた。


「レオン殿下たちは、何の対策も打っていないのですか?」

「はい。王宮では依然として、ミアという平民の娘を『新たな聖女』として崇め奉っております。辺境からの魔獣被害の報告に対しても、レオン王子は『ミアが祈りを捧げればすぐに解決する。些末なことだ』と現実逃避を続け、数週間後に迫ったミアとの結婚の儀式と、新聖女任命式に向けた準備で浮かれている状態です」


あまりの愚かさに、私は呆れ果てて言葉を失った。防衛の要を失っているというのに、危機感の欠片もない。


「それに加えて、セリア様。こちらをご覧ください」


影は一歩前に進み出ると、分厚い報告書と証拠の束をテーブルの上に置いた。

ルファスがその書類を手に取り、私に見えやすいように広げる。


「我が帝国の諜報網が調べ上げた、あの建国記念パーティーの裏の真実だ。君の居場所を奪ったあの女、ミアという平民。あいつの正体は、人間ではない」

「……人間ではない?」

「ああ。あいつは、人間社会を内側から食い破り、国を滅ぼすために潜入した上位魔族『グラトニー』だ」


魔族。その言葉に、私は背筋が粟立つような悪寒を感じた。

あの夜、ミアが私に向けた邪悪な笑み。あれは単なる悪意ではなく、人ならざる者の底知れない悪性そのものだったのだ。


「このグラトニーという魔族は、対象の理性を溶かし、思考を奪う『魅了の毒香』を放つ能力を持っている。レオン王子はもちろんのこと、君の両親であるヴァンガード公爵家の面々も、完全にこの魅了にかかり、洗脳状態にある」


ルファスが次々と書類をめくっていく。そこには、信じがたい事実が記されていた。


「魅了された彼らは、もはやまともな判断能力を失っている。驚くべきことに、公爵家とレオンは、国庫に納められるべき莫大な税収や防衛予算を横領し、ミアの背後にいる魔族の組織へと資金を横流ししているのだ。さらに、軍の配置図や結界の弱点など、国家の最高機密まで売り渡している」

「そんな……! それでは、完全に国を売っているのと同じではありませんか!」

「その通りだ。紛れもない『国家反逆罪』。その決定的な証拠がここにある」


ルファスが指差した書類には、レオン様と公爵家の署名が入った裏帳簿のコピーや、魔族との間で交わされた密約書が含まれていた。帝国の諜報網が、命懸けで王城の奥深くから引きずり出してきた動かぬ証拠の数々。

これを見せられれば、言い逃れなど絶対に不可能だ。


私は書類を見つめながら、静かに息を吐き出した。


彼らが私を裏切った理由は、魔族の魅了によるものだった。だが、だからといって彼らを許す理由には一切ならない。

魅了にかかるのは、元からその心に隙や欲望、傲慢さがある証拠だ。私を愛さず、道具としてしか見ていなかったからこそ、彼らは簡単に魔族の毒牙にかかり、国を売るという取り返しのつかない大罪を犯したのだ。


私の中で、彼らに対する僅かな同情の余地すらも完全に消え去った。


ぽたりと、私の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。

それは、悲しみの涙ではない。私が長年信じて尽くしてきた国への未練と、かつての私自身の「善意」と「自己犠牲」に対する、最後の弔いの涙だった。


指先でその涙を拭い去った後、私が顔を上げると、そこにはもう一切の迷いも、温情も存在していなかった。

あるのは、絶対零度の氷のように冷たく、鋭い光だけ。


「ルファス。私を助け、そして真実を教えていただき、本当にありがとうございます」


私は立ち上がり、ルファスに真っ直ぐに向き直った。


「彼らは私を裏切っただけでなく、この国そのものを魔族の餌食にしようとしています。私はもう、彼らに何の情も抱きません。レオン殿下も、公爵家も、魔族であるあの女も……すべてを徹底的に破滅させます。彼らが最も幸せの絶頂にいるその瞬間に、叩き落とす。二度と立ち直れないほどの絶対的な絶望を、彼らに与えたいのです」


静かだが、強い殺意と冷徹な決意を込めた私の宣言。

それを聞いたルファスは、喉の奥で低く笑い声を上げた。狂気的な歓喜と、底知れない愛情が混じり合った、覇王としての恐ろしい笑み。


「素晴らしい。それでこそ、私が愛したただ一人の女だ。君のその冷たい瞳、ゾクゾクするほど美しい」


ルファスは私の前に片膝をつき、騎士が主君に忠誠を誓うように、私の手を取って深く頭を垂れた。


「君の望む通りにしよう。私の持つ最強の武力、無尽蔵の財力、網の目のように張り巡らされた諜報網……大国ドラグニル帝国のすべてを、君の復讐のための盤上として捧げよう。私を存分に利用し、君の気が済むまで彼らを蹂躙するといい」

「……よろしいのですか? 一国の皇帝が、私個人の復讐にそこまで手を貸していただいて」

「当然だ。君を害する者は、この私の敵でもある。それに、魔族の侵攻を許せばいずれ我が帝国にも影響が出る。大義名分などいくらでも用意できるさ」


ルファスは立ち上がり、私を引き寄せてその広い胸に抱きしめた。彼の力強い鼓動が、私の胸に伝わってくる。


「さあ、最高の舞台を用意しようじゃないか、セリア。愚か者たちが自分たちの勝利を確信し、幸せの絶頂で有頂天になっているその瞬間に、すべてを奪い去る極上の喜劇をな」

「ええ。彼らに、自分たちがどれほど取り返しのつかない罪を犯したのか、思い知らせてやります」


私とルファスは、互いの瞳の奥にある冷たい炎を共有し、共犯者としての笑みを交わした。


数週間後に迫った、大聖堂での結婚の儀式。

王国のすべての貴族が集まり、ミアが新聖女として称えられるその場所こそが、彼らの墓標となる。


私の反撃の準備は、すべて整った。

あとはただ、彼らが奈落の底へと落ちていくその瞬間を、特等席で見届けるだけだ。

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