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月下茶楼、まずは一服 巫女咲月と点心職人の恋帳  作者: 乾為天女


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第19話 満月の橋で約束

 秋祭りの夜が来た。月代の町は、昼からずっと甘い匂いと太鼓の音で満ちていた。参道の両脇に屋台が並び、団子の湯気に月餅の香りが混ざる。提灯の赤が、夕暮れの藍ににじんでいく。


 咲月は、境内の端から端までを歩いて、手際よく手を動かしていた。紙灯籠の火皿が傾いていないか。賽銭箱の脇に小石が落ちていないか。舞の衣の裾に、針が引っかかっていないか。


 「咲月、こっち。並べる灯り、数が合わない」


 乙女が、紙灯籠の束を抱えたまま呼ぶ。目尻には笑いの皺があるのに、指先はきちんと数を追っている。


 「合うよ。二つ足りないのは、裏鳥居に回すぶん」

 「……あ、そうか。そこだけは、私の段取りから外してた」


 乙女が唇を噛んで、すぐに笑い直した。強がりでも焦りでもなく、ただ「今できること」を次へ渡す笑い方だ。咲月は灯籠を二つ受け取り、袖にしまった札袋の重みを確かめた。


 賑わいの真ん中で、仁愛の屋台がいつもより派手に光っていた。のぼりに大きく「腹が減ったら、茶の席へ」と墨で書かれている。誰が書いたかは、見れば分かる。字がやたらと美しいのだ。


 「それ、蒼生に書かせたでしょ」

 「客が来るなら、何でも使う。俺は節操がない」


 仁愛は胸を張って言い、咲月に小さな包みを押し付けた。布の中で、まだ温いものがふわりと息をしている。


 「何、これ」

 「肉まん。あと、砂糖菓子。噛むと派手な音がするやつ」

 「……今日、舞うのに」

 「舞うなら食え。腹が減ると、帰りたくなる。帰りたくなると、余計なことを言う。だから食え」


 咲月は包みを抱え、思わず鼻で笑った。笑った瞬間、胸の奥がきしむ。けれど今日は、そこで止まらない。


 「余計なことって、何」

 「知らねえ。自分で聞け」


 仁愛はふい、と視線を逸らして屋台の鍋をかき回した。湯気の向こうで、蒼生が客に茶を注いでいる。朱塗りの月下茶楼は、今日は境内の端で揺れずに立っていた。ひびの入ったムーンストーンが、あの建物を引っ張っているのだと、咲月はもう知っている。


 舞と獅子の合同の出番が近づき、太鼓が短く打たれた。咲月は舞台裏で扇を握り、息を整える。衣の袖に、鈴の音が小さく付いてくる。獅子頭の中から、蒼生の声が聞こえた。


 「咲月、足元、踏むなよ」

 「踏まない。そっちこそ柱にぶつけないで」

 「今日は本気で避ける」


 獅子頭が揺れ、なぜか耳のあたりがぺこんとへこんだ。中で誰かが肘を当てたらしい。仁愛の笑い声が飛んだ。


 「獅子が先に謝ってるぞー! 縁起がいい!」


 咲月は扇で仁愛を叩きたい衝動を飲み込み、舞台へ出た。灯りが目に刺さる。けれど、怖さで足が固まらない。扇を開くと、紙の鳴る音が夜気に混ざった。


 祓い舞の所作が始まり、獅子舞の跳ねが重なる。最初は噛み合わず、客席からくすくすと笑いが漏れた。獅子が左へ飛ぶのと同時に、咲月が右へ回る。ぶつかりそうになって、ふたりとも妙に丁寧な動きで避けた。その不自然さに、子どもが声を上げる。


 「獅子、礼してる!」

 「お姉ちゃん、扇で獅子を導いてる!」


 誰かが「いいぞ」と囃し、太鼓が一段強く鳴った。咲月の足が、拍の真ん中に落ちる。蒼生の跳ねが、その半拍後ろに付く。息が揃った瞬間、視界の端で、霧がゆら、と揺れた。


 舞が終わると、乙女が裏手へ手招きした。灯籠の列が、境内の奥へ続いている。普段なら夜更けにしか薄くならないはずの霧が、今夜はもう、裏鳥居のあたりで白く呼吸していた。


 「ここから先は、見送りの場所。咲月、足元、気をつけて」


 乙女は、灯籠を一本だけ咲月に渡した。紙越しの熱が、掌をあたためる。仁愛が後ろからついて来て、包みをもう一つ差し出す。


 「これは、蒼生に渡せ。味は……まあ、最悪じゃない」

 「最悪って言うな」

 「最悪じゃないって褒めてるんだよ」


 仁愛は肩をすくめた。目が少し赤い。咲月が何か言う前に、彼はわざとらしく大きな咳払いをした。


 「ほら、行け。転ぶな。泣いて霧を重くするな。どうせなら、言ってから泣け」


 咲月は頷いた。返事の代わりに、包みを胸に寄せる。霧の向こうで、月が白い。満月だ。空の真ん中に、嘘みたいに丸い。


 蒼生が、獅子頭を外して現れた。髪が汗で額に張りついているのに、目は静かだった。咲月を見ると、彼は微かに笑う。いつもの「軽い」笑いではない。計っている笑いでもない。決めた笑いだ。


 「……行く?」

 「うん。今日こそは、遅れない」


 咲月が言うと、蒼生の喉が小さく動いた。彼は何か言いかけて、やめて、咲月の手を取った。指が絡む。熱が重なる。


 裏鳥居の手前で、霧が裂けた。霞の路が、一本の道として現れる。石畳は、和の波紋と中華の紋様が、左右に並んで伸びている。道の上に、月光が落ちた。


 それは光の筋ではなく、橋だった。足元の影が、月の色に薄く溶ける。橋の端には、石の門が一度だけ安定して立ち上がり、向こう側に龍城の灯が見えた。揺れている。けれど、消えそうな揺れではない。


 咲月は一歩、橋へ踏み出した。足裏に冷たさはない。夜露の代わりに、温い湯気みたいなものが上がってくる。月下茶楼の匂いだ。


 橋の中央で、咲月は立ち止まった。胸の布袋から、ひびの入ったムーンストーンを取り出す。蒼生も、布包みから欠片を出した。欠片は、小さな月の破片みたいに白い。触れると、指先が微かに痺れる。


 咲月は、息を吐いてから言った。


 「蒼生。私は、見送るのが嫌い。笑って手を振ったら、また戻って来ない気がする」

 「うん」

 「だから、笑って見送らない。……離さない」


 咲月は欠片を合わせる位置を探りながら、蒼生の目を見た。目を逸らしたら、言葉が遅れる。遅れたら、また明日に逃げる。


 蒼生は、欠片を咲月の掌に重ねた。指先が震えている。震えているのに、力は抜けない。


 「俺も、帰るって言葉を、盾にしてた」

 「盾?」

 「君を怖がらせないための盾。……でも、盾の裏で、俺が一番逃げてた」


 蒼生は息を吸い、肩を落とした。橋の上に、ふたりの影が一つだけ伸びる。


 「咲月。俺は、龍城の灯を守りたい。月代の灯も、守りたい。どっちかを捨てて守るのは、もう嫌だ」

 「うん」

 「だから、ここに誓う。石を、炉に祀る。茶楼を“間”に置く。帰る場所じゃなくて、会える場所にする」


 咲月は頷いた。喉の奥が熱い。泣きそうになる。けれど、先に言う。


 「私も誓う。帳面みたいに、気持ちを後ろへ挟まない。怖いなら、怖いって言う。嬉しいなら、今日言う」


 欠片が、ぴたり、と合った。音はしないのに、掌の中で小さな衝撃が走った。ひびは消えない。けれど、割れ目の線が、青白い筋と朱い筋の二本に変わり、石の表面に落ち着いた。まるで、二つの街が同じ月を映しているみたいに。


 橋の下で霧が渦を巻き、道の端に灯が増えた。振り返ると、乙女が並べた紙灯籠の列が、霧の外から揺れている。仁愛の屋台の匂いまで、細い糸みたいに届く。


 「腹が減ったら帰りたくなる、って」

 「仁愛のやつ、今日も言った?」

 「言った。だから……食べる」


 咲月は包みを開き、肉まんを半分に割った。湯気が上がり、橋の月光に溶ける。咲月は半分を蒼生に渡した。


 蒼生は受け取り、ひと口噛んだ。真顔で咀嚼して、咲月を見た。


 「……最悪じゃない」

 「それ、褒め言葉なの?」

 「多分な」


 咲月は、笑ってしまった。笑いながら、涙が一粒だけ落ちた。落ちたのに、霧が重くならない。橋は揺れない。蒼生が、咲月の額にそっと額を寄せた。触れるだけ。押しつけない。


 「泣いてもいい。言ったあとなら」

 「うん。……言った」


 ふたりは手を繋いだまま、橋の先へ進んだ。石の門をくぐると、月下茶楼が、境目の“間”で静かに灯っていた。朱塗りの壁は、もう揺れていない。炉の奥で、火が小さく鳴く。


 咲月は石を胸に当て、蒼生と並んで炉の前に膝をついた。祓いの鈴と、獅子の鈴が、同じ音で鳴る。湯気が立ち上がり、笑い声とすすり泣きが混ざる。


 「ここに」

 「ここに」


 ふたりの声が重なり、ムーンストーンが炉の前へ置かれた。青白い筋と朱い筋が、ゆっくりと淡く光り、やがて穏やかな明るさになる。外の月光の橋は、少しずつ薄くなるのに、茶楼の床は沈まない。


 咲月は立ち上がり、扇を握り直した。蒼生は獅子頭を抱え直す。最後に一度だけ、二人の舞と獅子の跳ねを合わせる。今度は、笑われるためじゃない。笑いながら、守るためだ。


 扇が開き、獅子が跳ねる。動きが重なるたび、湯気が揺れ、灯が揺れ、霧が遠ざかる。咲月は足を止めずに思った。


 明日じゃない。今日のまま、ここへ。


 橋が消えかけた瞬間、外から仁愛の声が、霧を通して届いた。


 「おーい! 帰りたくなったら、腹が減ってる証拠だぞ! だから食えー!」


 咲月は泣き笑いし、扇の陰で小さく答えた。


 「……食べたよ」


 蒼生が、横で笑った。笑い声が湯気に混じり、月代と龍城のどちらにも届くような気がした。



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