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(レグルス・コルニアス一考)
設定上は諸々に境界的な事例が実存する。ここで取り扱われるものは彼の現実である。
典型として、ー人物は自身歪み過ぎる情報感情の主張をする。次々対手という理解を経るために論理という腐心。納得と安心の城塞が彼の王国だ。だが、それも安泰という天恵さながらに奇跡で満腔するのである。現実は彼を許さない。そして他ならず現実を許さぬ彼がこの現実を現実で報いるという意思が、その天恵という描出を楽観して実存する。
満腔という空虚を現実することで欺瞞する笑顔をコミュニケートする。心底における理解という友情を欲する余りの童貞主義である。現実という適応は彼の天賦に与る葛藤を論理する。が、実に余りに人間的であるための、さながらにL.Binswangerの言うところの「あまりに近くで現実を接触する...(抄)」ポイントである。超限する自律が現実するのは天賦だ。彼は、恨む対象を探す血みどろを唯肌で感じる。
如上の描出で私の関心は終了する。以降回...ー需要があれば.. は敬意や配慮を兼ねて、作中における葛藤と彼への感情、背景とお面を考察してみよう...




