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祝炎の英雄  作者:
第一章 炎の御子

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9/11

八 来訪者 弐

 祝融の暮らす外宮から内宮を目指すのならば、城門を通らねばならない。この時間でも門番は当然のようにいる。誰がいつ門を通ったかは全て記録されるため、秘密裏に神農への訪いは不可能だ。

 実のところ一つだけ方法があるのだが、今の祝融にはその手段が使えない――そう思っていた。


「では、殿下」


 そう言った白侍中は胸の前持ってきた右手の指を二本立てて、ささめき程度の何かを呟く。それは祝融には解読できない言語――龍の言葉だった。

 そうすると、ずずず――と白侍中の心臓のあたりから白い靄のようなものが現れる。靄のようだと思っていたそれは次第に形を成して、大きく、そして長くなっていく。鋭くも静謐(せいひつ)な金色の目、月光を掬い上げたような白い鱗、古木のような角、勇猛(ゆうもう)な爪や牙、蛇のように長い胴に、揺蕩(たゆたう)(たてがみ)(ひげ)。獣とは違う、神聖なる存在を仄めかす姿――そう、白龍の姿へと。

 祝融は驚きはしなかった。何故なら、最初から白侍中が何者かわかっていたのだ。

 白という名前、特徴のある白髪――彼女が龍人族であることは明白だったのだ。

 この国には、龍が当然のように空を舞う。

 それは、人の姿で生きている。龍の姿に変じ、また龍の魂の形の写し身を使い空を舞うのだ。

 人を背に乗せることは滅多にない。だからこその写し身なわけだが、白侍中の隣に現れた白龍は祝融が背に乗るのを待っているかのように伏せている。


「どうぞ」


 祝融は龍に乗ったことがある。それは、幼き頃に異母兄に手伝ってもらいながら騎乗した記憶だ。しかし、そんな和やかな話ではないだろう。


「内宮は門以外から入ろうとする輩を撃ち落とす術が仕掛けられている……と耳にしたことがあるが」


 空から侵入できるのであれば、門を置いたところで意味はない。その術により、上空から真っ逆さまごめんである。祝融の胡乱な目に気づいたであろうが、白侍中は至極あっさりと返した。


「問題ありません。時に例外はあるものです」


 抜け道がある……のだろうか。まだ生まれて十六年 しか生きていない祝融は、白侍中の言葉に納得するしかない。言われるがまま、鞍も手綱もない白龍の背に跨がれば、白侍中もまた龍の姿へと変じていた。

 ふわりと龍の身体が浮く。鳥が羽ばたく姿とは違い、魚が池で泳ぐかのように身体をくねらせ、夜空を登っていく。月光を浴びた白侍中は少し前を扇動するように、祝融に背を向けたままだ。

 祝融は黙したまま、夜に沈んだ広大な皇城を眺めるしかなかった。

 僅かな空中遊覧、しかし現実はすぐ目の前だ。皇城全体は闇に包まれているが、月光がそれとなく建物の存在を示してくれる。その中でも一際、暗闇の中で異彩を放つ建造物があった。

 まず見えてくるのが、二つの皇子宮。左右対称のように並び立てられているが、本邸は距離があり、上空からでなければ誰もそのような構造には気付かないだろう。それよりも皇城の奥深くにあるのが、皇帝宮と呼ばれる神農の住まいだ。

 白侍中は皇子宮の上空を通り越し、そのまま皇帝宮へと向かっているのは一目瞭然。そこへ、人の姿の時と同じ女の声が風に乗って祝融へと届いた。


「祝融殿下、皇帝宮へと赴いたことは?」


 世間話のようにさりげない問いに祝融が返せるのは一言、「無い」だった。


 皇帝とはそれほどまでに隔絶された存在。まだ臣下としての誓いを立てただけの祝融にとってそれは当然のこと。だから少しばかり、儀式の時のような期待と、回禄が抱いていたであろう不安が綯交(ないま)ぜになって、胸の内でぐるぐると渦を巻いているような気がしてならなかった。

 それでも、白龍は目的地を定めてゆるゆると下降を始める。祝融の心の内など知らないだろうから当然だ。そして白侍中に続き、写し身もまた地へと降り立つ。そこは、皇帝宮の中庭と呼べる場所だった。見張もなく、皇子宮が狭く感じるほど――八間(はちけん)はある龍が、二頭も降りたつ広さがある。

 祝融が颯爽と龍の背から降りた時には、白侍中は人の姿へと戻り、写し身は幻影の如く、綿が解れるように一斉に消えてしまった。もうその次の瞬間には、白侍中は「ではこちらへ」と告げてはもう背を見せて歩き始めている。どうにも彼女には隙がない。

 先ほどまでの姿との反面か、そそと歩く姿がほり淑やかに見える。龍は珍しくもないし、龍人族も当然のようにいる隣人だ。学友の中にも何人かは龍人族はいた。

 かく言う朱雲景がその一人だ。ただ、白侍中と違い、名前の通り赤龍の姿である。全く同じと言えるのは、変じた後に見せる金の瞳くらいだろう。


「殿下」


 祝融は考えごとをしながら進んでいたからだろうか、白侍中に声をかけられるまで目的地に辿り着いた事に気づけなかった。四方を囲まれた中庭を抜け、回廊を進んだ突き当たり。

 月明かりだけでは、辺りの様子は今ひとつだが、人の気配のないひっそりと佇む離れということだけはわかる。そう大きくはないが、密談するには丁度良い――といった具合か。中も、誰かいるとは思えず祝融は「此処に入れと?」と尋ねるつもりで入り口である扉を指差せば、白侍中は否応なく頷いた。


 ――入れということか。


 白侍中は祝融に迷いを与えないと言わんばかりに、そっと扉に手をかけて押し開く。ぎい――と小さく鳴いた扉の音が煩いと感じるほどの静けさ。そういえば今日は虫の音もない。

 夜闇に慣れた目でも、室内は暗く閉ざされていた。しかし、一つの小窓が月明かりで浮かび上がり、真っ暗闇ではないのだと証明する。とはいえ、神農はどこに。

 祝融は扉を頭を巡らせて気配を探そうとするも、背後でもう一度、ぎい――と扉が鳴く。白侍中の気配は扉の向こう。閉じ込められたわけでもないのに、祝融は思わず振り返ってしまった――そんな時だった。


「祝融」


 儀式の時に聞いた、低く威厳のある神農の声だった。祝融はもう一度前を向く、声は右手側からしたような。部屋は狭いのか、はっきりとは方向が掴めない。


「……祝融、灯をつけなさい」


 祝融は思わず自分の手を見た。灯――炎を灯せ――ということなのだろう。しかし、祝融は躊躇してしまった。


「どうした、幼い頃は見せてくれただろう」


 それは、いつのことだろうか。祝融には覚えのない記憶だったのだが、神農がそういうのであれば、従わねばならない。

 恐る恐る、祝融は右手に炎を灯した。

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