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祝炎の英雄  作者:
第一章 炎の御子

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4/10

三 熱傷 壱

 次に祝融が目覚めた時、そこは見知らぬ部屋だった。

 祝融は夢うつつのような感覚のまま、眼球を動かしてくまなく部屋を見渡す。

 見覚えのない部屋、見覚えのない丁度品、見覚えのない家令(かれい)、見覚えのない侍郎(じろう)女官(にょかん)が、血相を変えて祝融を覗き込んでいる――といっても、今の祝融にはらしきもの程度にしか認識していない。何一つまともに見えてはいなかった。

 視界はかすみ、ほんの僅かに身体を起こそうとしただけで痛みが走る。特に、左半身が酷い。今もまだ焼けているかのような――左腕を僅かに筋肉を軋ませただけで激痛を起こした。

 痛みで思い出すのは、あの炎だ。自分の異能の炎とも、回禄の炎とも違う、怒りが姿になって現れたような炎。祝融は思わず左腕に触れるも、そこにあるのは皮膚ではなく包帯だ。血と薬草の匂いが鼻について、痛みを含めた全てが現実と思い知らされた。

 炎など怖いと思ったこともないのに、滲み出る恐怖が今にも痛みと混じり合って祝融に襲いかかってでもきそうでならない。

 だが、祝融が痛みで呻く度、悶える度にそばに居る者たちも動揺は激しさを増すばかり。


「祝融殿下! 無理に動くと傷口が開きます‼︎ 誰か、至急医官を‼︎」 


 家令らしき男は声を張り上げ、女官は今にも悲鳴を上げそうでもある。祝融が今にも死ぬ――そんなことを考えているのではないのだろうかと、虚な思考が他人事のようにぼやけた人相を読み取っていた。


 ――皇族を死なせた場合、どうなるのだったか……。


 祝融は自身が死ぬとは思えなかったものの、慌てふためく者たちを眺めていると少しばかり冷静にもなった。混乱と恐怖は薄れてようやく、激しくなるばかりの動悸を落ち着けようと、今一度瞼を閉じた。

 落ち着け、大丈夫だと、ただただ念じ、自身の呼吸に意識を向ける。そうしてしばらくして、祝融は冷静を取り戻したのだが――しかしだ、何故自分がそのような状況になっているのか、祝融は目覚めて直ぐには思い出せなかった。

 だがそれも、半刻も掛かって上体を起こせるようにもなると、段々と靄が晴れたかのように儀式での出来事が頭の中に浮かんでくる。そこでようやく、自分の身体がどうなっているかも判然とした。

 左腕には指の先から肩口までしっかりと包帯が巻かれ、皮膚には常に痛みがある。側にいた女官の話では熱傷が肉まで及んで、祝融は丸三日眠っていたとのことだった。

 しかしそれ以上のことは知らないらしい。祝融が「儀式はどうなった」と問うても、首を傾げるばかり。それは新たに祝融の居住の一切を任された家令も同じだった。儀式の直後に元々予定で用意されていた外宮へと祝融が突然怪我を負った状態で運ばれてきた――それだけだったのだと、何も知らないと言わんばかりの戸惑いが残った口ぶりで答えていた。

 しかも、正式な連絡――神農からの通達どころか、父からの連絡も無いとのこと。ただ――と、家令は唯一の朗報のように口角を上げて言った。


「回禄様が何度か、祝融様のお見舞いにお見えになりました。他にも、(ふう)()の方や、(しゅ)()の方も――」


 家令が言いかけたところで、部屋の外から女官と思しき声があった。


「回禄様がお見えになりました」


 家令は祝融が何か言うよりもはやく「祝融様がお目覚めの際に連絡をしておいたのです」と言った。それがどうしてだか、祝融は安堵を覚えてならなかった。儀式からほんの三日。あれほどに期待していた未来とは全く違う状況がそうさせるのか、祝融は僅かながらに心細さを感じていたのだ。祝融はすぐに回禄を通すように言いながら、再度、自身の状況に目がいった。上体を起こしただけの身体は未だ寝台の上だ。包帯が巻かれた無惨な身体。いくら兄弟といえど、傷を負ったことを見せたいとは思えない。家令に適当な衣を用意させ、痛みを堪えてなんとか袖を通したところに丁度、扉の向こうから回禄が顔を出した。


「ああ、良かった。目を覚ましたんだね」


 安堵の色を宿した回禄は、落ち着いた様子で祝融の寝台横へと歩み寄ると、そばに用意してあった杌凳(ごつとう)(腰掛け)へと腰掛ける。そして祝融は気づく。回禄の格好は、濃紺の官服に、腰帯には姜家の証明としての紅玉の玉佩(ぎょくはい)(身分を証明する装身具)を下げている。それは、回禄が軍部へ配属された証明でもあった。


「……拝命があったのか?」


 祝融は何よりもまず、それが口からこぼれてしまった。自分にはまだ通達もないと言うのに――つい先ほど目が覚めたばかりなのだから致し方ないことだと分かっていながらも、祝融の胸の内には僅かながらの歯痒さが湧き起こる。それを知らない回禄は、嬉しそうに語りはじめた。


「ああ、阿孫大兄(あそんたいけい)の下に着くことになったよ。といっても、まだ見習いのようなものだけど」


 阿孫は同じ皇孫の一人であり、二人目の異母兄だ。そして、皇軍の将軍の一人でもある。姜家は――神農は周りを身内で固める節を隠そうともしない。祝融の父・第三皇子が右丞相という皇帝に次ぐ立場だが、第二皇子――祝融にとっての伯父の地位は軍部最高位である太尉(たいい)だ。他にも、親族の多くが軍部や官吏として名を連ねている。

 回禄の配属も、幹部候補を見据えてのものということだ。妥当な配属――であるはずなのに、祝融の胸の内にはさ歯痒さに加えて焦燥まで巻き起ころうとしている。何故だか一人、置いて行かれたような気がしてならなかったのだ。その相手が弟というのもまた。しかし、それを面に出せる性格でもない。異母兄の教えとして、決して相手に弱みを見せるな――そう教わってもいたのだ。祝融は自身の幼い部分を押し込めて、こともな気に笑って見せた。それこそ、弟を褒めるかのように。


「そうか、良かったな」 

「今日はその報告だけ……まだ本調子ではないだろう?」

「ああ、だが回禄の話を聞いていたら、それこそ早く身体を治さねばと思ったよ――」


 そこまで言って、祝融は儀式の一幕を思い出す。炎が祝融を襲ったあの時、助けてくれたのは確かに回禄だった――意識を失う既のところだったが、記憶違いではないはずだ。祝融は部屋の中に滞在したままだった女官や家令に目配せして、退出するように促すと察しが良いのか直ぐに動いた。優秀な人材が配属されたようで、そこには安堵した。しかしその優秀な人材に何も伝えられてないことは祝融の不安を煽る。

 恐らく、祝融が目覚めたことは既に回禄以外にも伝えられているだろう。父やそれこそ儀式の祭主だった神農。にも関わらず、何も沙汰がないということを祝融は考えねばならなかった。

 そこに通じるのは、あの儀式のことなのだ。


「それで、儀式の時の事なんだが何があったんだ?」


 祝融は上手く会話を切り出したと思った。寝台から動けぬ今、誰も訪ねてこない部屋では情報の拾いようもない。あのような事態があった後、どうなったのか。どうして、回禄には予定通りの拝命があって、祝融にはないのか。ただ祝融が怪我をして眠っていたから先延ばしになっているのだ――祝融はそんな回答そ望んでいた。望んでいた、というのは祝融は胸の内の焦燥や歯痒さが嫌な予感を呼ぶのだ。


「……祝融、まだ怪我の具合が良くないだろう? 休んでいた方が良い。もう少し、落ち着いてから話そう」


 そう言って、回禄は立ち上がってしまう。それも、憐れむような目で祝融を見下ろして。


「回禄、どういうことだ」

「わかるだろ? 今、僕に話せることはないということだよ」


 十六年という歳月を皇族として生きてきて、回禄の言葉の意味がわからないわけがない。要は、箝口令(かんこうれい)が敷かれたのだ。命じたのは神農だろう。それだけの大ごとだったのだと、容易に理解できる。だが、そうではない。


「回禄、」


 気づけば、祝融の右手はすでに背を向けた回禄の左腕を掴んでいた。ふつと湧く違和感が祝融に何かしなければと訴える。今できることは、僅かばかりでも弟を引き留めることだけ。


「せめて今、どうなっているかだけでも教えてくれ。俺はどういう状態なんだ」


 違和感が祝融を焦らせる。しかし、熱くなるばかりの祝融に対して、頭上からは冷めた様子のため息がこぼれ落ちていた。

 

「……祝融、何も問題などないよ。大人しくしていれば良い」


 聞き分けなく駄々を捏ねる子供に対して、呆れたような物言いをするかのような。気だる気に振り返ったかと思えば、先ほどまでの嬉しそうな表情など露と消えている。かと思えば、見間違いだったかと思うほどに表情は貼り付けたような笑みを浮かべていた。そして、回禄の腕を掴んだままの祝融の右手にそっと触れる。


「祝融、僕はもう行かないと……また来るよ」


 今にも、「良い子でいるんだよ」とでも言い出しそうな柔らかい口調で祝融を諭そうとする。それがまた、祝融の中で違和感を生む。


 ――何かがおかしい。


 そう感じた時には祝融の右手は力が抜けて、回禄の手はするりと手中から消えていた。そして、回禄は一度として振り返ることなく、部屋を出ていった。

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