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祝炎の英雄  作者:
第一章 炎の御子

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3/10

二 成人の儀 壱

 轟々と、火が燃ゆる。

 祥瑞殿(しょうずいでん)の中央――高段で大きく焚き上げられた炎は清浄の証。儀式ではよくある光景だ。

 炎は瑞獣――麒麟(きりん)鳳凰(ほうおう)霊亀(れいき)応龍(おうりゅう)と呼ばれる神々の偶像に見守られ、事の次第を待っているようだった。

 今、祝融の眼前には、炎へと続く道が作られている。赤い布が敷かれ、その両脇には黒衣に身を包んだ者達が列を成して、それもまた道のようだ。黒い面布により顔を隠しているため、人がいるというのに場は異様な空気を放っていた。誰も口を開かず、父や二人の異母兄、その他の伯父や従兄弟といった血が近しい親族がいるはずなのにそれを思わせない。

 薪が爆ぜる音ばかりが静寂を遮る中で、ふと声が沸いた。威厳ある、深く、低い男の声だ。それが祖父――神農の声だと気づくのに時間は掛からなかった。

 祖父といっても、祝融が直接神農と顔を合わせた数は限られている。生まれた時の他には、記憶にある限りでは年始の一族の集まり程度だ。それも、神農と直接話が出来るわけではない。話しかけられたのなら機会もあったのだろうが、一度として巡ってくることはなかった。神農にとっては九人もいる孫の一人でしかないのだ、仕方がない。

 祝融はいつか、神農にお仕えするのだと父に教わり生きてきた。例え、祖父と孫の関係だろうと、主従であることには変わりない。父もそうやって生きてきたのだと、何度と繰り返していた。だからこそ、こうやって神農と対面するのもこの機会が最後の可能性とてある。

 そうやって祝融が感慨に耽っていると、道の先である焚き上げられた炎の前で、神農が祝詞を読み上げ始めた。神々への祈り――そして、新たに二人が姜の一族として名を連ねることを伝えるものだ。

 炎がゆらりと揺れるたび、祝融は現実から遠ざかっているような心地だった。回禄は相変わらず、隣で緊張したままのようだ。視線は神農だけを見つめ固まり、盗み見る祝融に気づく様子もない。

 祝融がそっと、回禄の背を押すとようやく、硬い表情の回禄が祝融を見た。祝融は「大丈夫か」と唇だけで問いかけると、回禄は自信なさげに頷いた。

 祝融が歩を進めたなら、回禄も一歩出遅れながらも続く。数歩進めば、足並みが揃う。肩を並べ、ゆっくりと炎へと近づいた。


 祝融は炎の神力を生まれ持ったが故なのだろう。段々と炎へと近づいているのに、熱量は感じない。それは、炎の眼前――祝融と回禄を待っていた神農を前にしても同じだった。

 神農は豪傑と呼ばれた時代がある。それは、はてさていつの時代か。琰暦(えんれき)は、そのまま神農が皇帝位に就いた時間。神農は神話にも等しい時間を生きる人物の一人だ。

 その豪傑の謂れの通り、神農の身の丈は一族随一であり、六尺を越える祝融も首をもたげて見上げねばならないほど。更には恰幅の良さも相まって、着ている衣が違えば武人のようだとも何度と思ったことがある。五十程度の髭を蓄えた(いかめ)しい顔つきは、その声音同様に威厳があり、眼前に立つと威圧を感じてならない。そこでようやく、祝融は今日初めての緊張が背中に走った。 

 だが身体は自然と動くらしく、回禄と足が止まるのは同時だった。神農の眼前に並び立ち、胸の前で両の手を重ね、神農へと向かって膝を突く。

 公的な場であれば、神農が話しかけるか許しが出るまで口を開いてはならない。だが今日は違う。

 祝融はそっと息をするように事前に覚えた言葉を並び連ねた。


「本日、ただいまをもって、(わたくし)、姜祝融と並び弟の姜回禄は、炎帝陛下に生涯の忠誠を誓います」


 覚えたというが、祝融には言葉のままの意思がある。抵抗はなかった。それは回禄も同じらしく、祝融の言葉に続けていた。

  

「この身、この魂の尽き果てるまで陛下にお仕えし、陛下の願いである平和のために――我が力はこの国の為、ひいては民の為に尽くすと誓います」


 祝融と回禄それぞれの誓いが終わり、神農は一言「許す」と告げる。神農より許可がおり、顔を上げた祝融は初めて、眼前で神農を直視した。その瞬間、祝詞を述べていた深い声が頭上から降り注いだ。


「祝融、回禄、其方らは今日(こんにち)より(きょう)の血の者として名を連ねることになる。しかしだからといって、奢ることは許されない。傲慢も怠慢もあってはならない」


 深い声は国主としての威厳を伴いながらも、労りがあった。それは孫を前にしているからなのか、祝いの言葉だからなのか。祝融には判らなかった。

 

「特にお前達二人は、その身に宿した神力がある。神力は使命と共に神が与えた力と言う。己が力を見極め、道を見定め、国の為、人民の為に正道を歩み力を尽くせ」


 言葉が終わるなり、神農は読み上げた祝詞の神をそれぞれ祝融と回禄に手渡す。祝詞を両手で頂戴すれば、神農の体躯がのそりと動いた。道を開けられ、視界には轟々と燃ゆる炎のみとなる。炎へと(くべ)べれば――終わりだ。

 そのあとは、神農より通達を待つだけ。祝融にはさらなる期待が込み上げていたが、今はまだ儀式の途中である。平静を装い、回禄へと目線をやった。先に――と促した視線を、回禄は読み取ったようで、炎へと祝詞を捧げる。ぼうっと音を立て、紙は一瞬で炎に紛れて消えてしまった。

 祝融もそれに続いて、回禄と同じく前へ出た。高段になっている縁に立ち、両の手で差し出すように祝詞をくべた――その時だった。

 紙が端から燃えていく中、祝融は左手に違和感を感じた。


 ――……なんだ?

 

 じとりと、熱い。絡みつくような熱が左手にあるのだ。直ぐ様視線をよこすも、祝融の左手には炎が蛇のように絡みついている。


「えっ……」


 思わず声が出た――と同時、焚き上げられていた炎が轟と叫んで、天上に届くかと思うほどに燃え盛る。怒り狂うかのように荒立つ炎は、ギリギリと締め付けてた祝融の左腕の上腕にまで及んで――それは祝融を丸呑みにでもするかのように大きく纏わりつこうとしのだ。


「祝融‼︎」


 背後で、鬼気迫る回禄の声がした――が、今はそちらに気を向けている余裕などない。祝融は炎から離れようと勢いよく背後へと下がる。しかし、袞衣の重みが邪魔をしてか動きは遅い。当然、炎は決して逃すまいと祝融に絡みついたまま。まるで執拗な蛇だ。

 炎はさらに祝融の左腕を締め付け、祝融は思わず「うっ……‼︎」と声を漏らして呻く。激痛が祝融を襲ったのだ。

 斬る痛みとも、殴る痛みとも違う。肉を抉られているような激痛に祝融の動きはさらに鈍った。ジュウゥ――と肉が焼ける音がするのだ。脂汗が滲み出る。痛みで叫びそうになるのを堪え、祝融は右手で炎を払い除けようとするも炎は侵食を増すばかり。

 炎は祝融の肉を抉ろうとしている。痛みは増すばかりだったのだが――ドン――と、胸元を押された感覚と共に、熱が薄らいだ気がした。炎が邪魔をしてはっきりとは見えなかったが、回禄が炎を退かせているような――そんな気がした。

 いや、祝融はもう目眩を起こして状況を判断することは出来なくなっていた。ただなんとなく、もう危機的状況ではなくなった――そんなうっすらとした感覚だけがあった。それと同時、祝融の身体の均衡は崩れてその場に倒れていた。


「祝融‼︎」


 もう一度呼ばれた。それは一人の声ではなく、何度と呼ぶ回禄と父の声だったのか――声は段々と遠くなっていくばかり。最早、祝融に応える気力はない。

 重くなる瞼に抵抗はできず、そのまま祝融の意識は途切れてしまった。

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