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祝炎の英雄  作者:
第一章 炎の御子 第二節 不撓不屈

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十一 山神 弐

 夜が来た。

 墨を流したような闇が、山から漂う。それまで、森から滲む程度だった陰湿な気配がいっせいに濃くなった瞬間でもあった。

 獰猛な山神が、夜を引き連れて(にじ)り寄っているのだ。


 ――気配が解りやすくなった。


 まだそれは、何か良くないもの――程度の感覚でしかない。それでも、異物と認識できる。何より、獣の匂いが近づきつつあった。

 最初に動いたのは薙琳だった。井戸のそばには篝火を焚いていたのだが、薙琳が灯から遠ざかると、気配が霞んだ。そのまま闇に乗じるようにして、姿も見えなくなる。毛将軍はそれとなくわかるのか目で追っているようだが、祝融では気配を追えなかった。


「では、殿下。俺も行きます」

「頼んだ」


 毛将軍は走り出し、そのまま民家の壁や段差を利用して、ひょいひょいと身軽に屋根へと登っていく。広々とした空間へと出た所で、毛将軍の動きが止まった。屋根の上で闇夜を見上げていたが、その姿が歪む。そして、青い龍へと変じた――瞬間、猛々しい龍の咆哮が轟いた。

 轟々――と、豪風の如く鳴り響く龍の声。それを皮切りに、山神――獣達の怒りの声がざわめき立つ。

 毛将軍は飛び立ち、大きく旋回して、ふと屋根に隠れるように見えなくなった。何処か別に場所で人の姿に戻ったのだ。龍の姿のままでは戦えない――というよりも戦い慣れていないらしい。

 しかし、それ以上悠長に毛将軍の気配を探す余裕は祝融になくなっている。既に、獣の臭いは濃くなっているのだ。といっても、山中の臭いとは少しばかり違う――ような気もした。だが気にはしていられない。

 既に、鼻先まで来ている。と、同時に、祝融は全身に殺気を浴びた。


「来た」


 そう言うや否や、祝融は井戸から離れるように横へと飛んだ。ドゴッ――と地を穿つような鈍い音が響く。判断は正しかったようだ。灯された松明が全てを映し出し、山魅の姿が見えた。


 ――まるで、大きな猿だ。


 黒い体毛に覆われ、爛々と輝く目は獰猛に、常に祝融を捉えて離さない。辺りには視認できるだけでも五体――それ以上が潜んでいるだろう。家々の隙間からぞろぞろと。これでも薙琳が数を減らしているはずだが――どうやっても全ては無理だ。

 山神は猳国を従えている可能性もある――と言っていた。


 ――図譜で見たものに似ている……恐らく、こいつらが猳国。


 山神自体はそれぞれの姿は異なるが、どれも異質な姿だという。そして、(かかと)がない。今周りを囲んでいる獣はどれも、猿の姿であり、足は人に似ている。もちろん踵もある。だからといって、油断は出来ない。猳国は剛腕で、虎の如く怪力といわれがあるのだ。

 それが一斉に祝融めがけている。まあ、その為の囮役……である。

 気配が辿りづらくなった獣人族、本来の姿を見せた猛々しい龍。その二人と比べると最後に残されたのは、神力はあるが経験の浅い男。山神にとって、格好の的――それこそが祝融に与えられた役割だ。


 井戸の屋根の上に二匹。おかげで、井戸の屋根を支える柱はぎしぎしと軋み続けている。順番待ちだろうか。そして、祝融の背後で隙を窺っているのが二匹。あとは、祝融の眼前。再び、最初の一匹の拳が祝融の頭目掛けて振り下ろされた。

 これ以上背後へと下がれば、後ろの二匹に捕まるだけ。祝融は既で右へと避けると、剣の鞘へと触れる。


『重要なのは気です』


 祝融の脳裏に浮かんだ言葉で、己の身体と剣へと集中する。気脈を探り、身体の内側で活性化させる――それが気を使うというものだ。血が沸騰するような熱が、手に集中し、剣までもが己が一部と感じた。祝融の身体は自然と動いて、剣を抜くと同時に振っていた。

 手に伝わるのは、生々しいまでの肉と骨を斬る感触。しかし、兎に小刀を押し当てた時とは違い、気の影響でもっと軽いと感じた。猳国は叫ぶような雄叫びを上げたが、祝融がもう一太刀振るうと、今度は首がゴロリと地に落ちた。

 一瞬、何かを殺した――虚無のような後悔が胸に込み上げるも、そんな暇は無いと剣を握り直してぐっと堪える。既に背後にいた二体は臨戦体制。それどころか、怒りのままに拳を振り上げている。屋根の上の二体もそうだ。

 祝融は背後の二匹へと向き直ると、すかさず右手側の一体の懐へと飛び込んだ。

 猳国は大柄な身体の割に動きも速いが、腕を振る時は大振り。その瞬間こそが最大の隙。祝融は右脚を狙い、そのまま斬る。振り上げた拳の勢いは消え、その場に転倒した。痛みがそうさせるのかもう、脚を押さえて転げ回っている。

 そんな姿を一瞬目にするも、祝融は斬ることに――殺すことに微塵の躊躇もない。既に祝融は次の標的へと視線を移していた。動きがいかに早くとも、懐にさえ潜り込んでしまえばこちらのものだ。

 祝融は獣相手は経験なくとも、大柄な人間相手の経験だけはあった。

 そう、異母兄達がそうだったのだ。何度と祝融の相手をして、少しでも祝融に経験を積ませようとして――いたのだろうとは思う。

 異母兄はどちらも祝融よりも上背があり、更には武官らしく体躯も良かった。今の猳国たちはそれよりも少し大きい。と思うと、胴がガラリと空いているようにしか見えなかったのだ。

 何より、武官として経験のある異母兄達は、祝融の動きを意図も簡単に読んで、あの手この手で祝融に打ち込んでくる。それを思うと、猳国は容易な相手だった。

 しかし気は抜けない。祝融は残っていた猳国を次々と討ち倒した。ようやく、一息つける――そんな悠長な気は、上空からの声で消え去った。


「殿下!!上を!!」


 たったそれだけの、毛将軍の腹の底からの声だった。今度は屋根の上からの襲来である。だが数は多くはない。屋根の上には龍がいる。力量に自信のある者しか挑まないだろう。むしろ、小賢しくも掻い潜って来た者達こそが、祝融ならばとこぞって押し寄せて来ている――と考えるべきか。

 祝融は猳国達の着地点を把握しながら、初手を避ける。三頭の猳国が立て続けに――それも降り立った瞬間から熱り立つ勢いで祝融へと襲いかかった。もうそれは、我武者羅と言っても良い。三頭が一様と、何かに煽られるように拳を振るうのだ。


 ――なんだ?


 先陣の、人に対するという余裕というものが消えている。祝融は不振に思いながらも集中は切らさなかった。今ここで気を抜けば、わずか三人の陣形は崩れてしまうからだ。

 三頭だった猳国はそれからも押し寄せた。屋根の上からだけでなく、家々の隙間からも。

 祝融は次々と現れる猳国を前に、動き続けた。疲れなど、微塵も感じていない――いや既に祝融は感じなくなっていただけなのかもしれない。

 獣と山魅の血と、動き続けていることによる激しい動悸。常に張り詰め、研ぎ澄まし続けている感覚が、祝融の身体を興奮状態にしてしまったのだ。

 ある意味で、その状態こそが何かを殺し続けている――という行為を麻痺させてしまった。それこそが祝融を動かし続ける一因でもあったのだろう。何よりも、身体を巡らせている気が血を熱くするのだ。

 しかし、不思議と頭は冷静で物事の判断は正確だった。高揚感に飲まれることはなく、些細な足音まで聞き分けて、頭上で屋根瓦を踏む音すらも耳につくような状態。

 だからこそ、祝融は異変に気付いた。

 猳国とは違う、足音。忍ばせてはいるが、確かに蹄に近い足音がした――いや、近づいている。そう感じた瞬間、とある臭いが鼻についた。


 ――この臭い……山中で嗅いだ臭いだ。


 山中で感じた腐臭が、獣の臭いに入り混じる。あの時の何かが、そばに居るのだ。そして気付く。


 ――あの時、薙琳は嘔吐をしていた……戦えるのか?


 今、薙琳は闇夜に紛れて猳国を狩っているはずだ。もしあの時のように身体に不調が生じたのなら、格好の的になるのは薙琳だ。そんな僅かな不安からか、思わず祝融の剣を握る手に力がこもる。

 その瞬間、辺りにいた猳国が一斉に祝融へと飛びかかってきた。

 まるで餌に群がる蟻だ。有象無象の手が祝融へと伸び、逃げ場がない。

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