八 人が消えた村 伍
毛将軍は気まずいことこの上なかった。昨日から何度目の失態かも判らない。現状、何の処分がないのは、相手が余裕のある皇族の方だから許されているのだと思うよりない。しかし、脳裏で相反する考えもある。
――余裕のある……? 相手は成人したばかりの青年だぞ?
まだ未熟な青年が、下僚の失態を指摘できていない。そこに自分が甘えている状態なのだと思うと、情けないどころではないことに気づいてしまった。
今回の件で皇軍へと応援を要請するとなった時、毛将軍は少々、浮かれていた。毛将軍は皇軍の将という存在がどういうものか会ってみたいと考えていたのだ。連絡で、姜家の名が出て更に浮かれた――のだが、いざ蓋を開けてみれば……である。藍州か藍州軍に、何か恨みでもあるのかとすら考えてしまうような手合いだった。しかしそんな噂も覚えもないし、夜の間に藍州軍や友人と連絡をとってみても、理由は判明しない。であれば、皇都で何かあった、又は祝融殿下が何かしら問題を起こしたかのどちらかのしか考えつかなかった。
面倒ごとを押し付けられた……死んでも問題ないと思われている……そんな嫌な想像ばかりが毛将軍の心中を蠢いて心は晴れなかった。唯一期待できるのは、神力を持っていることだったのだが――最も若い皇孫殿下は双子……片方は、双子の兄の影に隠れているような、目立たない存在らしい。必ずしも神力を発揮してくれるような華々しい人物とは限らないのだと、気がついて、一度浮上しかけた気は沈んだ。
だがしかし、祝融殿下に関しては、皇都で何かしら問題があったという割に落ち着いているとも思った。
今もそうだ。框の上でどっしりと座り込んで、毛将軍が目の前で観察してることなど知らぬ存ぜぬといった具合。同じく框の上で地図を広げ、何やら考え込んでいる。それも、ただただ真剣に。
年齢の割に落ち着いて見えるのは、皇族だからなのだろうか。朱霍雨が教育係も担っていたのだろうが、彼女もまた消えてしまった。頼りにしていたであろう人物が消えて、不安を覚えなかったわけではないだろう。十六歳など所詮子供だ。そう思うのは過去の自分を帰り見た時がそうだからなのだが……しかしどうにも、今は落ち着き払っている。覚悟を決めているからなのか――などと考え込んでいるところへ、ふっと下ばかりを向いていた祝融殿下の目が持ち上がる。と同時に、目の焦点がかち合った。
「……毛将軍、山神が領分を広げることは珍しいのだろうか」
「無いわけでは…… ないでしょうが……」
これには、毛将軍は答えを持っていない。毛将軍は歴戦というには程遠い。その上、山神を退治するなど初めてのことだ。現状で答えられるのは一人だけだろう。我関せずといった様子で調理をつづけている女へと視線を向けた。
生姜の香りが漂い始めた厨房で、薙琳が緊張感の欠けた口調で「稀ですね」と言った。やはり聞いているらしい。本来であれば悠々と料理など……と思うところもあるが、手立てを思いつかねば動きようもないのも事実。獣人族とあって知識も実力も備わっているのだろうと余裕な姿でそう思わせるのだが、端々に見える楽観的な姿がどうにも腹が立つ。しかし今は言い争っている時でもない。
「経験はあるのか」
「昔……といっても、その時は事前に気づいたので、領分を広げられる前に山神の領分へと乗り込んだのですが」
「一人でか?」
「いえ、流石に無理ですよ」
そう言いながらも、薙琳はにへらと笑っている。
「今は領分を広げている最中。それが終わったら拠点を新たに作るでしょうね。それまでは荒だった行動は続くと思います」
薙琳の話は信憑性があるようにも聞こえるが、実際のところは不明だ――が、彼女の立場枯らして真実なのだろう。荒だった行動とは今のように次々と人を消しているような状態のことを言っているに違いない。
それが厄介極まりないのだが、そればかりは獣人族とて対処法を持っているわけでもないようだ。
さてどうしたものか――毛将軍は腕を組み、祝融殿下に倣い地図を覗き込んだ……のだが、薙琳の声に再び考え込んでいた祝融殿下の声がふつと湧いたのは、そんな時だった。
「これも気になっていたんだが、山神の領分というのは、どこまで広がるものなんだ?」
言われて、毛将軍は許をつかれた気分だった。今ですら山中の道を覆う勢い。このままいけば、村すらも占拠されかねないだろう。薙琳はしばし考え込んで、おおよその――「あくまでも予測ですが」と続けた。
「山神の力にもよりますが……今の勢いであれば山を全土覆ってしまうやも……その後どうなっていくかは予測はつきません」
「人里に降りてくるのか?」
「可能性はありますが、山を生きる山神が山を出ることができるものかどうかまでは不明です」
「もし、出ることができた場合――そういった場合はどうなる」
毛将軍は祝融殿下の問いに対して、悩むことなどなかった。既に、現状が不測の事態になっているのだ。
「人の手にあまると判断された場合、軍の規定により、仙術による封印が行われます」
仙術とは、特異な術だ。不死であれば仙術士を名乗り、只人であれば道術士となる。毛将軍は龍人族であるため、使えない――まあ、それは置いておくとして――その術士たちによる封印は、原因ごと土地そのものを封じてしまうものだ。強力な神怪等には今までも繰り返し使われてきた手法でもある。しかし、山の精気を弄る手法でもあるため、植物も育ちにくくなると言われてもいる。生き物にとっても劣悪な環境となり、推奨はされていない。
「その場合、この土地は見かけ上何事もない山に戻るでしょう」
「だがそれはつまり……」
「神隠しに会った者達ごと封じます。今、消えた彼らが生きているかどうかは不明ですが……」
封印は無差別だ。山神の領分というが、実際は異界へと引き摺り込まれているようなもの。人だろうが、動物だろうが、異界を行き来する門を閉じてしまうようなものでしかない。そこから、山神の存在を無視して生きている人間だけを取り戻すなど不可能。はっきり言って、無情な手段だ――が、時に必要な手段でもある。
だから、今できることを考えねばならない。
「先程、我々が進んだのはこの辺りまでです。此処か二刻も進んだあたりが麓です。いくつかの小さな民家があり、此処らの退避は完了しています。更に一刻も進むと大きな町に行き当たるような状態です。森が続いていない状態ですが、山を封じるとなると範囲を考えねば……やるなら早い方が良いでしょう」
毛将軍は腹を括らねばならないところへと来ている。
「猶予はどの程度あると思う」
「この村が完全に飲み込まれた時が、最終勧告と思っていただければ。俺は何もかもを置いて、軍へ報告に行かねばなりません。最悪、俺があと三日軍へ戻ることがなければ、同じく非常事態として仙術士達を派遣する事態になるでしょう」
その何もかもの中に自分が含まれていることを、目の前の青年は気づいているのだろうか。毛将軍とて、部下は助けたい。しかし、自身が武官として名を連ねている以上、軍規には従わねばならないのである。自分には、武官として人民の命を守る義務があるのだ。
そんな、毛将軍の心情を知っているのかどうかも判然としない青年の目線は、地図から逸れていた。その目には、またも朱霍雨が残していった剣だ。しかし、彼女を想っているというよりは、何かを訝しむ様子で考え込んでいる。
「霍雨女士の剣がどうかされましたか」
「……いや、何故……霍雨は剣を抜いたんだろうかと思って」
言われて、毛将軍も剣を見た。剣を抜く時というのはそれぞれだが、恐怖で武器を手にするというのも、よくある。心強いから、ということらしいが――その気持ちも判らないでもない。なんの経験もない若かりし頃であれば、だが。
「霍雨女士はどういった人物で?」
「元武官で、過去には異母兄――鎮東将軍の上官でもあったと聞いたことがある。軍を抜けてからは、神殿で神子の護衛官を勤めている。それなりに実力もあっただろうし、場慣れはしているはずだ」
――ああ、だから。
毛将軍は得心した。毛将軍に対しても、祝融殿下に対しても、距離感と態度を間違えることのない姿勢。祝融殿下の異母兄の上官であったとなれば、武官への対応も心得ていて当然だろう。
だとすれば、朱霍雨は何かに気づいて剣を抜いた――と思うよりない。
「……反応できたということか」
毛将軍は独り言のように呟いて、一人納得した。最初、祝融殿下の一行を寄せ集めの集団だと思っていた。ただの寄せ集めではなかった、ということだろう。ただ一つ、気にかかることがあるとすれば――朱霍雨は龍人族で元武官――となると、それだけの人物が何も出来ずに消えたということでもある。
――それは矢張り……俺達だけでは荷が重い……とも取れるな……。
毛将軍は今にでも撤退の声をあげるべきかを悩んだ。目の前にいる皇孫殿下の身を思えば、尚更でもある。しかし、そんな憂鬱な思考を吹き飛ばさんとする張りのある声が、厨房に響いた。
「反応出来たってことは、触れられるかもしれんませんね」
薙琳である。どうにもこの女人は楽観的でならない。しかし、経験もあり、判断は早い人物でもある。適当なことは言ってはいないだろうから、馬鹿には出来ない。とはいえ、成し遂げられるかは別問題である。
「出来ると思うか」
話に乗ったのは祝融殿下だった。
「何事も確証なく言い切ることは出来ません。あくまでも可能性の話です」
「では可能性があると前提して考えるとして――」
祝融殿下は前向きだった。霍雨女士が消えてしまい、もう少し落ち込むか、心を痛めるような素振りでもあるかと思ったが、そのような様子は微塵もない。
真っ直ぐで、落ち着きもある。昨日も今も正義感で動いているような青年。
――とても問題行動を起こすような方には見えない。
まだ、この御仁の側面を見ているに過ぎない今では、何を判断するにも時期尚早だろう。しかしどうにも、この事件の皇都の対応を責めるべき相手は、この御仁ではない――そんな考えが、浮かび始めていた。




