七 人が消えた村 肆
「事情を詳しく教えて欲しい」
薙琳は、今から煮炊きを始めようとしていた矢先だった。一瞬手を止めるも、視線を上げることもなく淡々と竈門に火をつける準備を続けていた。
横で毛将軍が立ちすくんでいることなど、見上げずとも十分にわかっていたからだ。彼には水を汲んできて欲しいと頼んだばかり。毛将軍の手には汲んできたであろう水が入った入った桶があるはずだ。
「事情って?」
「殿下のことだ」
「今更ですか」
火打石で火口へと着火させ、竈門の木切れへと放り込めば、少しずつだが火は燃え広がっていく。それを見届けて、薙琳はようやく腰を上げて毛将軍へと対面した。
「殿下は今どちらに?」
「村長の家で地図を探して頂いている。俺のものは部下に預けたままだったからな」
「え、殿下に下っ端の仕事させたんですか」
「村自体が物珍しいらしくてな、進んで村長宅へと行かれた――それで、」
睨む毛将軍を尻目に、薙琳は框へと置いたままになっていた荷物を漁る。皮革の水筒を取り出し、一口飲むと「詳しくは知りませんよ」と切り出した。
「私、貴族に雇われただけなんで」
「どこの家だ」
「風家っていうお家なんですけど……わかります?」
薙琳自身は貴族に詳しくはない。しかし、風家という家は州外でも有名らしい。毛将軍の顔が強張って、考え込むように腕を組んで顎を押さえている。
薙琳はその隙に、鍋を用意して竈門へとかけると、毛将軍の手から水を掠めとって鍋へと入れた。あとは、沸騰した湯に、見つけた野菜や生姜、干し肉を刻んで入れるだけ。
「……その風家のお抱えが何故殿下の護衛をしている」
「成り行きですよ。旦那様……私の雇い主に頼まれたんです」
「あの赤龍の女人は?」
「初めて会いました。確か、朱家の方……でしたっけ? 殿下と仲が良さそうでしたし、そっちは殿下に尋ねた方が早いですよ」
「では、何故殿下がこちらに来られることになった」
「だから詳しくないですって」
薙琳は話すのが面倒になって、いっそ殿下の様子でも見に行こうかとも考えるも、それだと毛将軍の気は済まないだろう。今更になって話をしろとせがんだのは、想定以上に神怪が手強いと感じたからだろうか。今では手数は三人。しのごの言っていられない状況では、一抹の不安も解消したくなったのか。このような危機的状況では、皇軍に見捨てられた……とも感じたのかもしれない。毛将軍も切羽詰まっている状況と考えるべきか。
薙琳は、「はぁ」とわざとらしく大息して、框へと座り込んだ。
「宮中で問題があったらしいんですけど、それに祝融殿下が大きく関わっているとかなんとか。それで、一族から爪弾きにされているみたいです」
「……それで風家と朱家が出てくるのか」
どうやら、薙琳が口にした朱家という家名も、毛将軍は知っていたようだ。確か皇都でも大きな家だったような……薙琳にはその程度だが、州でも将軍職となると当たり前の知識なのかもしれない。
「だが、姜家がそのようなことをするのか……?」
「さあ――ともかく、この事件に関してはそのゴタゴタに巻き込まれたと考えて良いんじゃないですか?」
「殿下が神力を持っているという話は……」
「それは本当だと思いますよ。皇都でも有名な話でしたし。皇都では、此処しばらく双子の皇孫殿下が成人する話でもちきりでしたから。その皇孫殿下の両方が神力を持ってるとかどうとか」
宮中に興味がなくとも、市井の噂話程度であれば薙琳も耳にする機会があった。事実かどうかの判断は、雇い主である風家当主から聞かされた話で判断したわけだが。
「私が知っていることなんて、この程度です」
薙琳は本当にこれ以上知らない。あとは毛将軍が納得するかどうかである。薙琳は悩ましげなの様子のままの御仁へと視線を向けながら、もう一度水筒を口へと運んだ。その僅かな間も、毛将軍は「……そうなると……いやだが……」と、何やらぶつくさと考え込んだままだ。
もう鍋も沸騰する。薙琳は調理の続きをしようと立ち上がった頃、ふと外の気配に気がついた――のだが、何を言うよりも早く、毛将軍の言葉がこぼれていた。
「……薙琳と言ったな、お前は振り回されているとは思わないのか」
薙琳は気配を気にしながらも、淡々と答える。
「それって、ゴタゴタがなければ本当なら皇軍が来ていた……とかの話ですか」
「そうだ」
「そうですねぇ。この件がなかったら、私は今頃、皇都の美味しいお酒を堪能していたでしょうねぇ」
姜家は酒好きの一族らしい。それが所以してか、皇都には様々な美酒が集まる。薙琳のここ最近の趣味は、至る店々で美味い酒と肴を探すことになっていたくらいだ。しかしそれを邪魔されたとは思ってはいない。
「まあ、仕事ですから。それに、年若い子が一生懸命なのに、邪魔しちゃ悪いじゃないですか」
「……本気で言っているのか」
毛将軍は薙琳の答えに不満そうに顔を顰めている。冗談に聞こえたのかもしれない。
「本気ですよ。もし、殿下が他人の話を聞こうともしない自分勝手な方だったり、ただの無鉄砲だったり、傲慢な糞野朗だったら、私は早々に勝手にやらせてもらってたんですけどね」
薙琳にとって、元来貴族とは遠い存在だった。皇族など、雲上人という言葉の通り、更にその果て。想像も難しい存在でしかなかったのだが、なんとなく、きっととんでもなく偉ぶった存在に違いないと思い込んでいた。風家に雇われてからは、貴族の全てがそうでもないと知ったのだが。もちろん、風家の当主がそのような輩を支援するとも思えないため、それもあって薙琳は無条件に祝融を支援することに決めている。あとは、もうひとつ。
「それに、坊ちゃん……旦那様のご子息に祝融殿下を助けて欲しいって頼まれちゃってますし」
薙琳の脳裏には、まだ十二歳の子供――鸚史の姿が思い浮かぶ。いつもは澄まして大人ぶっている少年が、突然、子供らしさを取り戻したかのように騒ぎ立てたのだ。ある意味で、それが一番の理由だったかもしれない。その約束をしなければ、鸚史は着いて行くと言い続けただろう。
あまりにも子供らしく、薙琳は自然と笑みがこぼれてしまった。
「それが理由か」
「ま、私は政には関係ないですしね。まあ、どれだけ不満だろうと、そちらはどうしようもないでしょうけど」
既に、毛将軍の不満はぶちまけた後だ。あのときは抑えたが、また、部下を二人失って、冷静さを欠いている。薙琳としては、面倒ごとは避けたいところだ。
「……殿下も巻き込まれた側なのか……問題を起こした当事者なのか……それぐらいは知りたいが……」
「当人に尋ねてみれば良いのでは、そこにいますし」
薙琳は戸口を指差す。一瞬で、毛将軍の顔が青ざめたのは言うまでもない。
「殿下……」
毛将軍は何かしら取り繕おうとして口を動かそうとしている。が、戸口からそろりと顔を見せた祝融殿下の顔には、怒りは皆無で、寧ろ何かを気にする様子もない素振りだった。
「立ち聞きするつもりはなかったんだが、思ったよりも早く探し物を見つけてしまって……」
「どの辺りから……」
と、言われて祝融殿下が答えるよりもさきに薙琳はスッパリと言った。
「振り回されているとかどうとかの辺りじゃないですか?」
今度もまた一瞬で、毛将軍の顔が赤く染まっている。見事な顔芸である。
「気がついていたなら言え!」
ははは、と薙琳は適当に笑って流したが、うだうだ悩んでいる方が悪いとしか思っていない。祝融殿下の方がさっぱりとしていて好感が持てる。まあ、考えはまだ青いのだが。
「もうちょっとでご飯が出来るので、休んでいてください」
毛将軍がとんでもない顔をしてこちらを見ている気がするが、知ったことではない。薙琳はそそくさと、調理の続きに取り掛かることにした。




