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祝炎の英雄  作者:
第一章 炎の御子 第二節 不撓不屈

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五 人が消えた村 弐

 商家の使いは、帰りの道では村に立ち寄った形跡はなかったらしい。僅かだが、残された武官達の荷物の中にはそういった記録があったとのことだった。

 山中の道を通るとなると、どうやっても村を通ることになる。あれだけ開けた土地で馬を使って走り抜ければどうやっても目立ったはずだ。真夜中だろうと足音は必須、誰にも見られないと言うことは無理だろう。そもそも、急いでいたとはいえ、真夜中なんぞそれこそ凶賊に襲ってくれと言っているようなもの。何より暗闇の中での山の移動は自殺行為だ。

 であれば矢張り、忽然と消えてしまった商家の使いは、使いに行った町から村までの間に消えたと考えるのが妥当だろう。とはいえ、それが何処かが不明なわけだが。

 ともかく、一度、山中の道を辿る手筈となり、一行は現在、徒歩にて使いが辿ったであろう町へと歩を進めている。

 まだ昼前だが、山は薄暗い。村は開けていたが、道は鬱蒼と木々が茂っているためか、余裕があるはずの道幅は、大人三人が並んで歩くと狭く感じる。街道ができてからは手入れも行き届いていないのだろう。人が歩かない道は草も茂る。足場も悪かった。先頭は山歩きになれた薙琳に任せることにした。


「ここひと月は道を封鎖していますので、特に荒れているかもしれません」


 背後を歩く毛将軍の声に、祝融は確かにと思った。このままでは獣道になって使えなくなってしまうのではないだろうか、とも。


 ――村人が消えたままでは、道は途絶えてしまうのだろうか。


 毛将軍は、『全員死亡したものと考えて』と言った。時間が経ちすぎている――刻々と生存確率は減るばかり。毛将軍ももう、生存者を探しているのではなく、事件解明を優先して割り切っているのだろう。最初こそ、祝融の姿に絶望したが、それ以外は冷静。これも一種の慣れ、なのかもしれない。

 だがそれを思うと、心は冷えていくが、いちいち感情的になってもいられないのだろう。


 ――毛将軍は経験則からそう言ったのだろう。これ以上の被害拡大を防ぐには、解決しかない。俺も、そう考えねばならないのだろうか。

 

 祝融は悶々とした心地を抱えたまま、道を突き進んだ。もちろん、あたりに目を配りながら。

 特に目立ったものはない。祝融はそうそう山奥を歩く経験なんてものは一度か二度程度の経験だから、その勘はあてにはならない。だから、背後を振り返り霍雨に意見を求めようとしたが、とある場所――それこそ村から一刻も歩いたところで、薙琳が村で見せたように鼻を抑えていた。


「薙琳どうした」

「……嫌な臭いがします」


 薙琳は言うが、薙琳以外には感じないものだ。村で嗅いだものとはまた違うものだと言う。しかし、疑うことはない。「どちらから」と続けたのは、毛将軍だった。


「それは――」


 薙琳が目を彷徨わせながら答えようとした時だった。

 ざあ――と一陣の風が通り抜けた。激しいが、秋の爽やかな心地など皆無の生温い風だ。その風が通り過ぎた時、初めて祝融にも薙琳の言う臭いを感じた気がした。

 濡れた獣……よりも更に酷い悪臭――腐臭だ。祝融も思わず鼻を押さえたが、どうやら皆同じものを感じたらしい。見事に眉間に皺が寄っている。


「これは――」


 と言いかけたところで、薙琳の身体がふらりと揺れた。かと思えば、そのまま崩れ落ちて茂みに向かって嘔吐した。霍雨が冷静に、「大丈夫か」と背中を摩っている。胃の内容物を吐き出し終えた後も座り込んだまま、水筒の水で口を濯いだ薙琳の顔色は酷いものになっていた。そして一言「……獣じゃない」と、苦しそうに言った。


「どう言うことだ」

「歩きながら話しましょう。村に戻った方が良いかもしれません……それより」


 薙琳の目が、毛将軍の背後へと向く。


「一人、減ってます」


 毛将軍は驚くと同時に背後を見た。最後尾にいたはずの兵士が一人、忽然と消えている。

 毛将軍と同じく、一緒にいたはずのもう一人も戸惑いを隠せず目を見開く。言われるまで、全く気づけなかったのだろう。それは祝融も同じだった。

 人が消えたことにも気づかないなど、あり得るのか。しかしその事象は今いま、目の前で起こったことだ。


「残念ながら、これは山神ですよ」


 ゆっくりと立ち上がった薙琳はすでに、村の方へと目を向けている。


「待て、そんなはずはない。ここは確かに人の領分だ」


 地図が示す通りであれば、今いる場所は、境界から随分と遠く離れている。

 山魅は人里に降りてこないわけでもない。時に人に擬態し、時に獰猛に襲いかかってくることはある。だが、それは大抵人が妖の両分を侵した時だ。

 祝融もそう教わっていた。もちろん、座学としての知識でしかないのだが、毛将軍の考えも同じなのだろう。毛将軍は慌てて薙琳への反論がその証拠だ。が、薙琳は譲らない。


「どうして言い切れるんですか? 現に人は消えている」


 それは、薙琳の獣人としての経験からなのだろう。毛将軍はそれ以上の反論は出来ない様子だった。


「一度戻りましょう。一度戻って作戦を練り直しませんと――」


 祝融の目前で、人の命が天秤に乗って揺れている。下手をすれば、もう消えているのかもしれない。人が消えたと思われる――程度だった話が、途端に現実味を帯びた瞬間でもあった。


 ――こんなにも簡単に……。


 異母兄達から、武功を立てた話は何度も聞いていた。それが、祝融が武人へと憧れた一因でもある。しかし、武功を立てるには自ら危地へと飛び込み、または飛び込みざるを得ない状況があったからだろう。話の中では、人の怪我も、死も全てが遠い。


 ――わかっていたつもり……でしかなかったのか。


 祝融は思わず左腕をさする。ここ数日、もう痛みはほとんど感じていないはずだが、まだ違和感だけは残ったままだ。


「殿下、腕が痛みますか」


 突然の霍雨の声に、祝融の手は止まった。霍雨は変わらずに鉄仮面の平静な顔で、祝融を見つめている。


「……大丈夫だ、癖になっているだけだ」


 火傷をしてからというもの、自然と左腕に手をやってしまうようになった。痛みが現実だったと確認するように触ってしまうのだ。


「戻ろう。薙琳の言う通り、策を講じねば」


 薙琳の勘に従うべきだ。毛将軍と薙琳、どちらが経験を積んでいて、どちらが正しいかの判断を祝融はまだ出来ない。だが、薙琳の獣人族としての鋭さを無視やすべきではない。現状、判断の理由はそれだけだった。

 祝融が言えば、毛将軍も消えた兵士を探しながらも、身体は既に村へと向いている。薙琳の言葉に重きを置いてるのだろう。

 そこからはただ、走るだけだった。 


 ――現実に起きていること……人を拐う……さらった後は? 何をされる? 村人は一人づつ拐われたのか? であれば、混乱が起こるものなのでは?


 祝融は走りながら、事件の事を考えあぐねいていた――のだが、ふと混乱という言葉で儀式の時のことを思い出した。あの時も、混乱はあったのだろうか、と。

 父が必死に祝融を呼ぶ声は、確かに切迫して普段の父なら考えられない様子だった。誰もが、いつ何時も冷静であるなど無理なはず。であれば、混乱は起こったはずなのだ。それが、櫃をひっくり返すように荷物を漁った結果なのだろう。しかし実際は村はもぬけの空で、人がある日突然消えたようだと思ったのは、ある意味で間違いではなかったのでは――そんな考えが祝融に浮かんだ。


「薙琳、山神の領分とは、なんとなくわかるものなのか?」


 先頭を勢いよく走る薙琳だったが、祝融の声にあっさりと答えた。


「はい、感覚的なものですが……ただ、今はまだ弱いのか僅かですが。殿下も慣れたらわかりますよ」

「だとすれば、今も領分は広がっている……広げているのか?」

「恐らく」

「それが村に及んでいる可能性は?」

「もちろんあります」


 言いきった薙琳を前にして、毛将軍が少しばかり熱り立ったように前を行く薙琳の肩を掴んで無理やり足を止めさせた。毛将軍の顔は苛立っている。立て続けに……しかも目の前で部下が消えたのだ。どうやらもう、冷静ではいられないらしい。


「だったら意味がないではないか‼︎」 

「ですが、現状で一番安全の可能性があります。周りを見渡せる上に、違和感を感じやすく、退避も容易に出来る。相手が神怪である場合、人が造った建物は結界の代わりになります」


 薙琳は恐ろしいほどの経験を積んでいるのだろう。現状はやられるだけ、ならば一時退避も手――毛将軍も少なからずの経験からなのか、薙琳の言葉に苦々しくも反論出来ずにいる。しかし、心中の焦りからか、憤懣が募っているのだろう。堪えているのがわかる。そんな毛将軍の目線が祝融へと向かった――時だった。

 また、轟――と風が吹く。同時、カランと金属が地に落ちる音が響く。祝融の背後――そこには先ほどまで、赤髪の女がいたはず。しかし、もうそこに霍雨の気配はなく、振り返ったそこに残されていたのは、霍雨が()いていたはずの剣が、抜き身のまま落ちているだけだった。


「霍雨?」


 祝融が呟くと同時に、毛将軍が再び「くそっ」と悪態を吐いた。霍雨だけではない。もう一人の兵士の姿も消えたのだ。


「殿下! 毛将軍! 行きますよ‼︎」


 薙琳は叫ぶ。反論の余地などないに等しい。祝融は霍雨の剣を拾い、走り出した薙琳の後を追うことしかできなかった。もちろん、毛将軍もだ。

 まさかこのような事態になろうとは、露のほどにも考えてもいなかった。いや誰も、本当に人が忽然と消えるなどと思いもよらなかっただろう。それも二度とも何が起こったのか判らないときた。

 しかし今は走るしかない。己が死んでは誰も助けることも出来ない――そう、異母兄達から教わっていたからだ。

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