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祝炎の英雄  作者:
第一章 炎の御子 第一節 有為転変

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第一節番外編 壱 侍中の憂慮

「如何でしたか」


 白侍中はゆらゆらと、蝋燭の火が揺れる小さな部屋へと踏み込んだ。神農は何事もなかったかにように、本を読み耽っている。神農は普段忙しくしているせいか、時折こうやって小さな部屋に籠って読書を楽しむ時がある。

 此処は、皇子すらも立ち入れさせなかった場所たった。

 そこに孫の一人を呼び寄せるとなると、神農にとって此度の変事は大事と捉えているのだろう。白侍中はそこまで推察するも、口にはしない。

 白侍中にとって重要なのは、皇孫の一人の行末ではなく、神農が如何なる処断を下すかである。


「祝融を送ってやらなかったのか」

「皇子宮までは手をお貸ししました。そこでしたら、そう遠くはありませんから」

「そうか」


 神農は本に目を落としたまま、一向に顔を上げない。それは、誰にも邪魔をされずに読書をしたい――そう要望する日の顔つきと変わらない。元々、表情の変化に乏しい方である。元来、不死ほどでないにしろ龍人族もまた、寿命は五百年と長い。永く神農にお仕えしている白侍中でも、今の心中を計るのは難しかった。だとしてもだ、白侍中は正直に言って、今回の事案に驚きこそすれ、今ひとつ状況が掴めてはいない。

 皇孫二人の成人の儀式の日を皮切りに、突如、神農の身内の数名が皇孫の一人の排除を始めた。しかし何があったのかまでは明白になっていない。祝融殿下が儀式で怪我を負った――それだけなのだ。

 今までに、このような事例はない。皇孫で軍部に所属しなかったのも、第二皇子の第五子の皇孫女・廣瑚(こうこ)くらいである。彼女は、女という性別で逃れたわけではない。同じく第二皇子の第四子・芙蓉(ふよう)も女性であり、軍部に所属していた過去があるからだ。

 となれば理由は――ただ純粋に、虚弱だった、というだけなのだ。不死というのは病にはならない。なので、虚弱といっても、病からくるものではない。特に、姜一族は男女問わず強靭で屈強な者が多く、身体付きからして違う。

 しかし、廣瑚はその特徴を生まれもっていなかった。更には小柄で、剣の一本を持ち上げることにも苦労していたくらい。これでは戦場に出ても死ぬだけだろう。虚弱として珍しくも免除され、代わりとして、州外へと嫁がされることになった――そんな過去は確かにあるのだが、此度の事案は違うだろう。兼ねてより、軍部入りが期待されていた人物なのだ。

 怪我を負った――という情報はあっという間に出回り、軍部入りがたち消える。あまりにも対応が早く、怪我の回復を待つという余裕もない。その上で、皇孫を貶める「呪い」という噂だ。

 そして、当人に会って感じた違和感。怪我の後遺症でもあれば、まだ憶測として軍部入りさせない為の理由と受け取れたかもしれない。しかし、ほとんど快方へと向かっているのか、龍に乗せても顔を歪めることもないのだ。だとすれば、噂は悪意でしかないと考えるしかない。

 姜一族は屈強だがその実、内面は穏やかな者たちである。悪意ある噂が流れて、しかも率先して姜一族が流している。宮中は困惑ばかりだ。かくいう、白侍中もその一人。

 どう考えても異常事態である。しかし、皇孫の一人が消えたところで、国は揺るがないのも事実。

 此度の事案を神農がどう受け止めているのか、何故、このような回りくどい根回しをしたのか。


 ――神怪討伐の経験もない……それもまだ十六の青年がどうにかなる事案なのだろうか。


 白侍中に神怪討伐の経験はない。文官職の己には縁のない話なのだ。それこそ、皇都では神怪などまず出ないのもある。あれは、神々の影響が出やすい地方や神威が宿りやすい山々で起こる事案なのだ。

 軍部では死人も出るし、怪我で引退という話も少なくはない。それでも白侍中にとっては、何か恐ろしいもの程度の情報でしかないため、判断は出来なかった。

 だからとて、もう決まった事案に白侍中が口を挟む余地はない。もちろん、その気もない。

 それでは、と白侍中は辞去しようと礼をしたのだが、ふと、声が湧いた。威厳ある、いつもの声である。


「そなたには祝融がどう見えた」


 神農は変わらず、本に目を落としたままだった。どう、とは何だろうか。白侍中は「成人したばかりの青年にしては実に堂々としている」と、祝融に対する感想を述べた。

 成人したばかりとなると、どんなに完璧な子供だろうと、何処かに粗が出る。特にこのように追い込まれるような状況においては、もっと焦りや不安、恐怖すら感じても良いのではないのだろうか。祝融ももしかしたら心の奥底でそういったことを感じていたのかもしれないが、隠しているような素振りがあまりなかったのだ。

 だから、何度か藪を突くような真似をしてみたのだが――遺憾と言わんばかりの反応が、なかなかに面白かった。


「まさか、いっそ排斥すれば良いなどと言い出すとは思ってもみませんでしたよ」


 これからの成長が楽しみ――本来であれば神農もそう考えていたのではないのだろうか。

 しかし神農の反応は辛辣で「そうか」と答えるのみ。

 白侍中は蝋燭の灯りの中にぼんやりと浮かぶ神農の顔を見やった。どうにも、何かを期待した眼差しではない。それまで無に等しかった面は、先行きを不安視しているかのような――なんとも言えないものを宿しているような気がしてならなかった。


「今日はご苦労だった」


 そう告げる神農の声も心なしか、憂いを帯びている気がしてならなかった。



 第一節番外編 壱 侍中の憂慮 【了】

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