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祝炎の英雄  作者:
第一章 炎の御子 第一節 有為転変

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十 父と母

 祝融は一人、皇子宮の前にいた。皇帝宮の敷地を出るにも一人では怪しまれるため、白侍中に頼んで皇子宮まで連れてきてもらったのだ。

 とはいえ、そこから一歩が踏み出せない。

 人が起きているような時間ではないが、宮全体は明るいままである。誰かしらは起きているものだが、それは大抵、見張や、家令、女官等である。

 起こしてしまうのは申し訳ないと考えつつ、余韻のように残ったままだった神農の言葉がためらいを生んでいた。


『皆変わった』


 神農は意味もなく言ったわけではないだろう。不安を煽る――いや、覚悟しておけとでも言いたかったのか。祝融は神農が言った言葉の意味を一考するまでもなく、浮かぶのは回禄の姿だ。

 哀れむような目――今まで、弟のあのような表情を見たことがない。


 ――ただの違和感であって欲しい……。


 神農に向き合っていた威勢は、もう使い果たしてしまった。いや、これはもう別次元の話なのかもしれない。家族という輪が乱れていくような――嫌な予感が祝融の心に不安を生み続ける。だが、いつまでもそうしているわけにもいかない。 

 祝融は覚悟を決め、ほんの数日まで暮らしていた生家の門戸を叩いた。


 ◆◇◆◇◆


「祝融‼︎」


 通された居間に、最初に飛び込んできたのは母・禹姫(うき)だった。

 もう一大事と言わんばかりの勢いに、祝融は圧倒されそうになったほどだ。母は涙目で祝融のあちこちを触って怪我を確認しようとする。衣の上からでは見えない……とはいかず、左手の火傷を覆う包帯を見つけるなり、耐えていたであろう涙腺は崩壊してしまった。


「ああ、もうなんてこと」


 そう言ったまま、祝融よりもうんと小さな母は、しがみついたまま離さない。


「母上、もう痛みは殆どがないから心配は無用ですよ」

「嘘おっしゃい! 三日も目を覚まさなかった火傷がこうもすぐ治る筈がないでしょう……‼︎」


 不死は病にはならないが、怪我の回復に関しては只人と大差はない。しかし、祝融は痛みが完全にひいたわけではなかったが自由に動ける。母に対して心配をかけたことに対して、申し訳なさしか感じなかった。


「炎居様が、陛下の御命令だからと、あなたのもとへ行ってはいけないと言うし、回禄も……道托様たちも詳細を話してはくれないし……」


 母は、心の底からの心配を曝け出すように(むせ)び泣き、決して祝融を離そうとしない。そこへ、居間へと入ってきた気配があった。普段は文官としての貫禄を身に纏ったような生真面目な人物――祝融とさして上背(うわぜい)の変わらない男――父・炎居だった。

 だが、貫禄はどこへ行ってしまったのか、少しづつ祝融と母へ近づきながらも、顔色は浮かない。母のように心配していたような素振りはなく、どちらかといえば困惑している……そんな気がした。

 母を支える祝融に近づくも、足は途中で止まってしまう。確かに交わっていた視線は外れ、気まずそうな声が「……無事でよかった」と、小さく告げた。


「炎居様! これのどこが無事だと言うのです‼︎」


 父の声で存在に気づいた母は、祝融が何を言うよりも早く反応した。今度は泣きながら激昂している。不死に心の乱れは良くない。心なしか、若々しいままだった母の容貌に衰えが始まってしまったような……。祝融は母の肩に手を置いて、落ち着いた声音でそっと告げた。


「母上、本当にもう大丈夫です。父上は皇子であり右丞相という立場です。陛下の御命令があっては、どうやっても身動きは取れなかったはずです」


 それでも母は泣きじゃくるばかりで、祝融から離れようとしなかった。父だけが遠巻きにして、壁の向こう側にでも取り残さらにたように動かない。

 不可思議だったのは、祝融と目が合う度に、逸らしては更に困惑を重ねている。父のそのような姿は、過去の記憶をどれだけ並べたところで思い当たらない。母に尋ねてみたいところでもあるが、今の母では難しいだろう。

 ただ、回禄の時に感じた違和感が、またも祝融の胸の内でもぞもぞと胎動を始めているような気がしてならなかった。


「母上、」


 祝融は殊更、優しい声音で母を呼んだ。母は不服そうながらも、顔を上げて、しかし涙はどうにも止まっていない。


「父上と大切な話があります。陛下の計らいで、こうやって無事な姿を見せることも出来ました。どうか泣き止んではくださいませんか。なにより、動揺が続くと母上のお身体に障ります。私は母上に悲しんで欲しくて此処に来たわけではないのですから」


 まるで妹でも相手にしてあやしているように言えば、流石の母もバツが悪いのか、ぐすりと涙ぐんだまま引き下がった。陛下という人物を出したことも効いたのかもしれない。皇子の妻――皇妃であれば尚更、絶対に無碍には出来ない人物だ。


「そうですね……」


 しかし反対に、今度は背後にいる父へと、きっと睨みつけるように振り返った。


「陛下のお話は、私が耳にすることは(はばか)られるでしょう。だからこそ、炎居様が動いて下さらねば私にはどうしようもないのです。どうか()()()()()()()()()()対応してくださいませ」


 やたらと棘のある言葉を残した母は、最後は祝融へと名残惜しむような視線を幾度と向けながらも去って行った。

 そうなると、今度は父にばかり目が行く。母の態度に困惑しているのか、今も父は頼りない背中で母が消えた扉を見つめたままだ。しかし、ふと振り返ったかと思えば、「座ろう」と小さく溢す。

 上位の席に腰を落とした父は、家長でも、官職の長に値する立場とも思えぬ疲弊した顔つき。父もまた精神的に疲労して衰弱の一途を辿っているのではと、嫌な想像をさせるには十分。加えて、父の反応には違和感があるままだ。


 ――ああ、くそ。


 祝融は不安で腹の中で何かが蠢いている気がして、腹を摩ろうとしてしまう。自然と、堪えるようにして膝の上で拳を握り締めていた。

 そのような祝融の様子など、見てもいないだろう。父の目線は下を向いたまま、細々とした声を上げた。


「……それで、傷の具合は」

「母上に告げた通り、概ね問題はありません」

「回禄の話では起き上がれなかったと聞いている。あれからまだ数日だ。医官も安静にしているようにと……」

「通常の見立てでは医官もそう判断したのでしょう。まだ剣を振るのは控えております――が、そうもいかなくなりました」

「陛下の(もと)を尋ねてまで、何をするつもりだ」

「陛下より勅命を賜りました」


 俯いた父の面は影っていたが、それでもギョロリと目玉だけが動くのがわかった。


「藍州で神怪討伐を一任されましたので、宮に戻り次第動き出そうと考えております」

「人手はどうする。一人ではいけまい……」


 心配するでもない、ただ馬鹿げた発言とでも言わんばかり。父が人手を用意する、という発想に至っていない発言にも等しい。


「友人の一人である朱雲景を通して、朱家当主の姉君――朱霍雨(かくう)に文を出そうかと。それと、風家当主の次子の伝もありますので」


 今の姜家には頼れない。祝融は自身の僅かな道を提示して、真摯に父に向き合うだけだ。だがそれでも、父の反応は(かんば)しくはない。


「……道托に話はしたのか」


 道托は祝融の異母兄の一人だ。それも、武官として将軍職を賜る身分の。以前の関係であれば、文官職の父ではなく真っ先に相談に行っただろう。しかし、陛下の言葉に二の足を踏んでしまい、一番近い父母の宮を選んでしまったのだ。

 

「お会いしておりません。陛下との面会も、ほんのつい先ほどのことですから」

「……そうか」


 父から何かしらの提案はない。祝融は神農の言葉はただの脅しで、父は思うように動けないだけだと思いたかった。立場上、子供一人を優遇が出来ないだけなのだと。だがこの反応で、神農の言葉の意味は、そのままだったのだと思うよりない。それでも、祝融は確かめずにはいられなかった。


「父上、俺は何かしてしまったのでしょうか。確かに私は儀式で炎に焼かれました。しかし、父上の姿はまるで――」

「祝融‼︎」


 まるで、ある日突然人が変わってしまったようだ。そう言いかけた言葉は、突然の父の激昂により遮られてしまった。勢いよく立ち上がり、顔は困惑のまま興奮したように肩で息をする。このように乱れた父の姿など見たこともない。しかし、興奮はあっという間に冷めてしまったようで、今度は力無く座り込んでは、また沈むように俯いてしまった。


「……祝融……すまない……私にもわからないんだ」


 今にも事切れてしまうのではないのかと思うほどに、父の声は弱く、目の前から消えてしまいそうだった。

 何がわからないのか、そればかりは言えないのか、ただずっと「すまない……」とだけ繰り返す。声は震え、滲み出るのは矢張り困惑。これ以上は父の心を乱せないと判断するしかなかった。


「夜分遅くに申し訳ありませんでした」


 祝融は言うがままに立ち上がり、父に背を向ける。


「出立の日が決まれば、文を寄越します」


 では――と告げる祝融は淡々とその場を去っていく。扉をくぐり閉まるその瞬間、最後に見たその時まで、父は力無く項垂れたままだった。



 第一節 有為転変 【了】

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