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おれの同窓会

作者: 雉白書屋
掲載日:2025/10/26

「ここでいい……」


 おれはそう、運転手に告げた。ブレーキ音が短く響き、車体が静かに止まった。運転手は素早く車外へ出て、おれのほうへ回り込んでドアを開けた。

 おれはゆっくりと足を外へ出し、夜の空気を吸い込んだ。……と、しまったな。


「どうかされましたか? 社長」


「なんでもない。お前は戻っていい。たぶん、遅くなる」


「かしこまりました」


 運転手は深く一礼して、すぐに車に戻った。車はライトの筋を残し、滑るように走り去っていった。

 残されたおれは、ホテルの外観を見上げながら一つ深く息を吐いた。もっと早く着いていれば、あの高級車から降りる姿を誰かに見せられたかもしれない。惜しいことをした。まあ、仕方ない。それに、このスーツと腕時計を見れば、誰でもおれの“今”を察するはずだ。 

 おれはもう一度ゆっくりと息を吐いてから、自動ドアをくぐった。


 ロビーの一角には『千駄八尾中学校同窓会』と書かれた看板が立てられていた。フロントの従業員と目が合うと、おれは看板を指さし、軽く頷いた。従業員は微笑み、会釈した。

 案内板に従い、照明の落ち着いた廊下を進む。奥から楽しげなざわめきや笑い声が聞こえてきた。


 ――ここか。


 おれは足を止めた。ドアは閉じているが、ここで間違いない。取っ手に手を伸ばした瞬間、中学時代、教室に入る前に感じたあの独特な緊張が、胸の奥で蘇った。


 ――大丈夫だ。大丈夫……むしろ楽しみじゃないか。


 おれは小さく息を吐き、ドアを押し開けた。

 中はそこそこの広さで、淡いブルーのカーペット調の床。奥の長テーブルには料理がずらりと並び、手前には白いクロスをかけた丸テーブルがいくつも置かれている。壁際には椅子が並び、腰を下ろしてグラスを傾ける者、立って談笑する者、それぞれが手にグラス――おそらくシャンパンだろう――を持ち、楽しげに笑っていた。皆がそれなりに歳を重ねていたが、どこかに中学の面影を残していた。

 ……それはそうと、もう始まってるのか? おかしいな。時間通りに来たはずなんだが。 

 おれが入り口で首を傾げていると、数人がこちらに目を向けた。

 そのうちの一人が、笑みを浮かべて駆け寄ってきた。


「おーう! おまえ、ミノルだろ? 相変わらず背ぇちっちぇーな!」


「あ、ああ……」


 岩上がいきなり、おれの首に腕を回し、ぐっと絞めつけてきた。……変わらないな。中学のときもこいつは、こんなクソみたいな絡み方をしてきたんだ。思い出すと、頭が熱くなってくる。


「そうか、お前まだ来てなかったんだな。もうみんな揃ったと思って始めちゃったぞ」


 島本がへらへらと笑いながら近づいてきて、そう言った。


「お前、中学の頃もそうだったよなあ! 授業が始まってから入ってきてさ、目立とうとしてたんだろ? ほんっと成長してねえのな!」


 こいつは林田。中学時代、この三人はよくおれにちょっかいかけてきた連中だ。うんざりするほどに。


「どうせ、また下痢でもして遅れたんだろ? あ、なんかくっせー!」

「はははは!」

「ははははは!」


 三人の笑い声に合わせ、おれも笑った。

 おれは少しほっとした。ああ、よかった。こいつらは相変わらずクソ野郎だ。『三つ子の魂百まで』というが、『中学時代にクソ野郎だったやつは、その後の人生もずっとクソ野郎のまま』というのがおれの持論だ。二十年経とうが変わらない。この先もな。

 だが、そんなクソどもでも、このスーツや腕時計の価値くらいはわかるだろう。おれは、さりげなく手首を三人の目の高さに上げた。


「あ、ミノル……お前、この時計って」


 ほらな。かかった。

 どうせこいつらは地元に残り、肉体労働系の職にでも就いているだろう。金髪の女と子供を作って、安居酒屋で程度の低いことでバカ笑いし、『有名になりてー』なんて中学生じみた漠然とした夢を引きずりながら、職場ではいじめを繰り返し、やがてネットに動画が流出して炎上。ニュース沙汰になって、最後は逮捕されるんだ。そこがこいつらの人生のピーク。

 だが、ブランド物への憧れだけは一丁前に持っている。お手本のような浅ましさだ。


「これ……パチモンだろ! ははははは!」


「……え? いや、本物だけど」


 おれは呆気にとられ、ぼそりと答えた。


「お前さあ、中学の同窓会で気合入れすぎ。はははは!」


「偽物なんかつけて、みじめにならんの? おれ、ちゃんと働いてロレックス買ったぜ」


 それは安いモデルだろうが……! おれのは違――


「で、お前、今なにやってんの?」


 林田がニヤニヤしながら言った。こいつにしては悪くないパスだ。

 おれは内ポケットに手を入れ、名刺を取り出そうとした。


「どうせ無職だろ。社会不適合者だもんな!」


「違、うっ――」


 岩上がまたおれの首に腕を絡めてきた。息が詰まりそうになったことよりも、そのあまりの成長のなさに、おれは少しゾッとした。


「やめてやれよ。ミノル、昔から気取り屋で見栄っ張りだったもんなあ」


 島本がグラスを傾け、薄ら笑いを浮かべて言った。この流れでは、名刺を出したところで「この日のために作ってきたのかよ!」と嘲笑されるのがオチだ。

 おれはあきらめ、静かにポケットから手を抜いた。


「おー、ミノルじゃないかあ!」


「あ、先生。どうも……」


 担任だった国仲が満面の笑みを浮かべてやってきた。相変わらず、のんきな顔だ。


「ははは、相変わらずお前ら仲いいな! ははは!」


 違う。まったく仲良くなんかない。おれは、ただ一方的にイジられていただけだ。いじめというほどではないが、おれにとっては毎日が憂鬱で、登校前によく腹を壊していた。

 国仲は型通りの言葉を二、三口にすると、すぐ別のグループへ移っていった。あいつもきっと中学時代、クソ野郎だったのだろう。


「ミノル、お前もシャンパン飲むだろ? ほら、グラスあそこにあるぞ。行こう」


 島本が言った。こいつらはときどき、こうやって優しいところを見せてくる。それがまた、おれを混乱させるのだ。


「ほらミノル、早くシャンパン注げよ……おいおい、頭からかけるなよ? 絶対にかけるなよ?」


「いや、かけないけど……」


「お前、いくら頭空っぽだからって、間違えんなよ?」


「いや、間違えようがないだろ……」


 おれは無言でボトルを手に取り、慎重にグラスへ注ぎ始めた。だがその瞬間、「あーっ!」と三人が同時に叫んだ。林田の声が耳元で炸裂し、おれは反射的に仰け反った。シャンパンが、グラスの縁を越えて手の甲にかかった。


「つまんねえなあ!」

「こぼすなよ、なにしてんだよ」

「はははは! おめでとーございまーす!」


 岩上が笑いながら、おれのグラスに指を突っ込み、濡れた指先でぴっぴっとシャンパンをおれの顔に弾きかけた。


「や、やめろよ……相変わらずだな、お前ら……」


 おれは皮肉のつもりで言ったが、三人ともゲラゲラ笑った。

 ちらと周りを見ると、他の同級生たちもこちらを見て笑っていた。まるで、あの頃のように。

 だが、おれはあの頃とは違う。違うのだ。おれは会社を立ち上げ、今では社員五百人を抱える社長だ。経済誌の表紙を飾ったこともあり、億単位の金を日常的に動かす立場にある。ここにいる誰よりも、はるかに躍進しているはずだ。……なのに、この中の誰一人として、おれのことを知らないのか?

『おい、その辺にしとけよ。ミノル、今社長やってんだぞ。やべえって』

 誰かがそう言い出すのを期待しながら、おれは三人にイジられ続けた。

 肩を叩かれて振り返ると、指で頬を突かれた。浣腸された。流行りの芸人のモノマネをさせられた。尻を蹴られた。女子の前に突き飛ばされた。何の脈絡もなく、反復横跳びをさせられた。頭頂部を覗き込まれ、「禿げてね?」「ヤバくね」「これ、シラミ?」と笑われた。ズボンを脱がされそうになった。また浣腸された。耳をかじられた上に、至近距離で怒鳴られた。

 周囲の同級生たちは笑ったり、気にせず談笑し続けていた。まるであの頃の再現のように。

 おれはふと、自分が子供に戻ってしまったような錯覚にとらわれた。胸の奥がじわじわと凍るように、言いようのない不安が広がっていった。


「脇チョップ! って、お前湿ってね? くっせー!」


 笑い声が遠くで反響している。にもかかわらず、おれの頭にガンガン響く。いや、これはあの頃の笑い声か? 繰り返されるデジャヴ。その奇妙な感覚に、脳がかゆくなり、今すぐ頭を割ってほじりたくなった。


「ケツ太鼓! ド、ド、ドン、ドコ! ドコドコ、ドドド!」


 ……いや、それにしても、なぜこいつらはここまで執拗におれに絡んでくるのだろう。やたら体を触ってきたり、尻に異常に執着を見せてくる。もしかして、ホモなんじゃないか。

 あるいは、おれという存在がこいつらの原始的な狩猟本能を呼び覚ましているのかもしれない。おれをからかうことで男性ホルモンが増大し、結果としてホモ的な側面を無意識に表出させているのではないか。

 だが、そんな理屈を口にしたところで誰も聞きはしない。持ち上げてもくれない。この空間では、おれの肩書きも金も、権威もまるで意味を持たないのだ。


「ちょ、ちょっとトイレ!」


「おい、逃げんのかよ!」

「また下痢かあ?」 


 おれはたまらず会場を飛び出し、トイレの個室に駆け込んだ。ドアを閉め、ズボンを下ろして便座に腰を下ろす。ポケットからスマートフォンを取り出して、画面を見つめた。

 ああ、電話帳やメールを眺めていると落ち着く。おれは社長なんだ、と……。あ、そうだ。おれは社長だ。社長なんだぞ! 社会的地位のある人間なんだ……ん?

 適当にニュースを眺めていたときだった。速報の文字が目に入り、おれは画面をタップした。


『速報! 飯沼ミノル氏、ノーベル平和賞受賞!』


 おれの名前だ。ゆっくりと画面をスクロールし、浮かび上がる文字に目を走らせる。

 そうだ……。おれは長年、私財を投じて海外の貧困地域を支援してきた。その功績がついに認められ、ノーベル平和賞を受賞したのだ!

 これなら、あの連中も嘘とは言えまい。電話がかかってきたが、無視した。おそらく、祝福の電話だろう。そんなものに構っている暇はない。おれはトイレットペーパーを巻き取り、尻を拭いて個室を出た。

 廊下を歩いている途中、ふと中学時代の教室移動で、一人だけ置いていかれたことを思い出した。途端に胸がざわついたが、今回は違う。この扉の向こうで、全員が驚きと敬意のまなざしを向けてくるはずだ。

 おれは背筋を伸ばし、堂々と会場へ戻った。

 部屋の中では、ざわめきが起きていた。その多くがスマホの画面を見ている。きっと誰かが、おれのニュースを見つけたに違いない。

 おれは胸を張り、馬鹿三人組の前へ歩み寄った。


「ミノル、お前……」


 やはりだ。もう知れ渡っているらしい。だが、落ちつけ。ここで鼻の穴を広げて得意げな顔をすれば、またからかわれるだけだ。あくまで冷静に。隙を見せるな。平然と余裕を持って、言ってやるのだ。


「ああ……まあ、大したことじゃないよ」


「嘘つけ! 下痢してただろ! くっせー!」 


 三人は、わざとらしく鼻をつまんで大笑いした。


「えっ、は?」


 一瞬、頭が真っ白になった。まさか、ニュースを見てないのか? じゃあ、このざわつきは?


「いや、そんなことより、おれがノーベル平和賞を受賞したってニュースは? 見てないの……?」


 おれは震える声で訊ねた。


「ああ、見たよ」


「えっ、おお……。じゃあ、なんかほら、反応が違うじゃん。それに、おれが社長だってことも、ニュースに載ってただろ……?」


「ああ。でも……」


「でも……?」


「ミノルはミノルだよなあ!」「ミノルはミノルだよなあ!」「ミノルはミノルだよなあ!」


 三人は同時に叫び、大笑いしながらおれの尻を蹴った。他のみんなも笑っていた。「ミノルくん、ほんと楽しそう」「ずっと笑ってるじゃん」――そんな声が、どこか遠くから聞こえてきた。

 そのとき、おれは気づいた。

 おれはここに来てから、ずっと笑っていたのだ。

 おれもまた、何一つ変わっていなかった。笑い声が、あの頃の残響と重なり合い、耳の奥で渦を巻く。そして、おれの腸を刺激した。

 腹が鳴いた。

 尻が鳴いた。

 おれの心は――ずっと泣いていたのだ。

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