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ep.44 炎

 第二学年 六月十六日 火曜日

 進路指導室


「戦わずに逃げ出したら俺は死ぬ?」

「うん、心の乱れのままに逃げ出したら枯れてしまうだけやで、一瞬だけは楽やけど」


「俺が逃げる?」

「逃げへん?」

「誰が逃げるねん!それよりこの俺が誰からどこに逃げんねん?」

「辛くてしんどい想いから、目を閉じていれば居心地のいい弱い自分の中に」

「なんや、坊主の説法みたいなこといいよるな?」

「説法、聞いたことあるん?」

「そんなもんないに決まってるやろ。で、戦うってどこのどいつと戦うねん?」

「戦う相手は居心地のよさげな所から手招きする自分、戦いはその誘いが気にならへんくらい事に一生懸命に取り組むこと」

「一生懸命?何に?」

「何かは自分で決めるもんやで」

「なんや、急に無責任やな」

「そうかな、」

「そうや、」


 しばらく沈黙の後、漆黒の瞳の女生徒は言った。

「じゃあ、合気道でもやってみる?」と、



 第二学年 六月十八日 木曜日

 永平寺武道場前


 六限目の授業を受けず学校をバックれ、小学生の群れに紛れて下校した白山正輝は、永平寺武道場前に来ていた。

 練習時間でないせいか人の気配はまるでせず、妙に静まり返っている。


 何気なく横開きの扉を押してみると、無用心にも扉が開いた。

 しめたとばかりに正輝が興味津々に中を覗きこむと、広がる一面の畳の中、

 武道着に袴を着けた白髪交じりのおやじが一人、上座を背に正座をしているではないか。

(何者?何やってるねん?)


 否がおうにも気になり、正輝はずかずかと道場に上がり込むと、おやじに声を掛けた。

「なあ、こんなところでたった一人で何やっとるねん?」


 髭を蓄えた白髪のおやじは、妙に威厳を帯びた口調で静かに言った。

「こんなところで、たった一人でしかできへんことをやっとる」

「なんじゃ、そら、」

「見学希望か?もしそうやったら、今日の練習は夕方の五時からや、出直して来い」

「まあ、そうやけど、アンタ誰や?」

「人の名を尋ねるなら、」

「俺が先に名乗れってか?えらい古い言い回しやな。俺は白山正輝や、でアンタは?」

「ワシは上原哲彦、ここで合気道を持って己を研磨しておる」

「上原?アンタもしかして上原佐那の親父かいな?」

「そうや」

(それにしてはこのおやじ、えらい老けてるな!上原はいつの時の子供やねん?)


「そんなことより、本気で合気道を学ぼうというなら、

 まずは口の聞き方、礼儀を身につける必要があるな」


 そう言われた正輝の目には、やけに挑戦的な光が踊りはじめた。

「そうきたか。この俺がお利口さんしてまで学ぶ価値があるもんいうたら、よっぽど強いんやろうな?

 アンタ、俺と真顔で勝負して勝つ自信あるんか?」

「合気道はスポーツやない、武術や。それゆえに試合は受けん」

「なんや、口だけってことか?」


 挑発された哲彦は、目を閉じたまま、少し離れたところにある包みを指差して言った。

「そこの包みの中のもんを取り出してみい」

(なんや偉そうに)と思いつつも何が入っているのか興味津々、

 イソイソと近づいて包みを開くと、そこから一振りの日本刀が姿を現した。


 呆気に取られる正輝に哲彦の重い響きのある言葉が浴びせられた。

「無銘やが、我が友が打ちし傑作や、それは真剣や、人かて斬れる」

(真剣!)


 興奮の中、正輝は刀を鞘から抜いた。

 怪しくまばゆい銀色の輝きが、正輝の心をやけに揺さぶる。


「で、これをどないせえと?」

 哲彦は思わず怯むほどの重く鋭い眼光を向け、厳しく静かな口調で言った。

「どうしても、ワシと戦いたければ、それでワシを斬りつけてみい」

「・・・・・・」


(なに言ってるねん、このおやじ・・・)

 あまりの驚きで喧嘩では幾度も修羅場を越えてきた正輝でさえ声を失った。


 少し間をおいてから落ち着きを取り戻した正輝はようやく言葉を発することができた。

「はったりやろ?」

「はったりかどうかは、お前が刀を鞘に戻すか、振り下ろすか、それ次第や」


 目と目が交錯した。

 哲彦の瞳には、一切の怯みが無い。

 あの時の佐那の瞳と同じ輝きを湛えている、覚悟の光だ。

 正輝の背筋に冷たいものが走る

(これははったりやない、本気や、)

 正輝は無意識に唾を飲み込むと刀を鞘に収めた。


「これが合気道の戦いなんか?」

 哲彦は再び目を閉じ、静かに頷いた。

 正輝になにか言い知れぬ熱いものがこみ上げてきた。

 この炎は正輝の中で延々と周り続けた異物を灰としてくれそうな気がした。



「えい!」道場内は練習生達の発する気合に満ちている。

 開始時間から遅れること二十分、一文字は道場へやって来ると、

 そこに広がる光景に愕然とした。


 基本的にはいつもと同じ練習風景であった。

 しかし、いつもとは一つだけ異なるところがあった。

 それは練習生の中にあの白山正輝の姿があったことである。


 驚きから抜け出せない一文字に、師範・哲彦からさらに驚きの言葉が掛けられた。

「岡、ええとこに来たな、白山に受身と転換を教えてやってくれ」

 口を半開きでポカンとする一文字、


「頼んだぞ」

「・・・・・・」

 ふと、視線を感じた方を見やると白山と目が合った。

 無表情のまま、白山が軽く片手を挙げる。

 一文字も無意識に片手を挙げて返した。


 再び視線を感じた、その先を見やると佐那が嬉しそうに微笑んでいた。

(この状況、いったいどうなってんの?)


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