紅葉の木の下
第一学年 十一月二十四日 月曜日
永平寺境内
今年の冬はより早く訪れたのか、木枯らしの吹く日が続き、
紅葉は彩を過ぎて、今にも散らんと待ちわびているようである。
(はぁ・・・)
中間テスト結果のあまりのひどさに親から塾通いが命じられたのである。
塾通い=自由の束縛と感じていた一文字にとってそれは耐え難いものであった。
「決定は期末の結果まで待ってくれ」と親にすがりつき、なんとかその場を逃れたが、
対策が何も打てず、悶々と日々を過ごしていたのである。
そんな憂鬱さを神頼みで少しでも晴らそうと逆瀬川駅近くにある、
永平寺へと学校帰りに立ち寄ったのであった。
永平寺は室町時代に造られた釈迦如来坐像をご本尊として本堂に祀り、
長い間人々を見守り続け、地元で厚い信仰を受けてきた寺院である。
一文字は境内に続く石段を登りきり、本堂の前に辿り着くと、
五円玉を賽銭箱に投げ入れ、お釈迦様にこの苦境を救って頂こうと手を合わせて願った。
お釈迦様に願いを伝えるうち、学業成就、金運(小遣い)アップ、
恋愛成就と願い事はどんどんと増えていった。
(観音様にもお願いしておくか)
一文字は、より万全を期すため、観音堂のある高台に続く石段へ向った。
石段を登るにつれ、木造の観音堂と隣に植えられている立派な紅葉が視界に入ってきた。
徐々に紅葉の幹が姿を現すと、意外なものが目に入った。
紅葉の下には見覚えのある黒色のセーラー服、長い黒髪、それは紛れもなく上原佐那だった。
上原は最期の彩を湛えた紅葉の木の下で目を閉じ、両手を下方で僅かに開きつつ、
静かに立ち尽くしている。
さっきの今だけに、上原との突然の出会いはお釈迦様の導きではないかと、
それ程信仰深くない一文字も、そう思わざるを得なかった。
(それはそうと、上原はあんなところで何をしているのか?)
声を掛けるのをやめ、その場で様子を伺うことにした。
緩やかな風にあおられて上原の黒髪とスカーフが揺れると、
最期の力でしがみついていた紅葉の葉が、
数枚ゆらりゆらりと舞い降りる。
それは刹那の時だった、
上原の瞳が凛と輝き、
下げていた両手が素早く空を切ると紅葉の葉は姿を消した。
上原はゆっくりと深呼吸をすると、握り締めた手を開き、
手の内にある紅葉を見て満足そうに頷いた。
神業とも思えるその技と、
真顔でその行為に取り組んでいる上原に驚きを隠せなかった。
色んな意味で興味の対象である上原に一文字は歩み寄った。
気配に気付いた上原が一文字のほうに顔を向けた。
「あっ、」
驚きの表情を浮かべる上原に、一文字は「よお」と軽い挨拶をした。
「いつから、そこにいたん?」
「いつからって、そうやな・・・」
「紅葉が落ちてくる少し前からかな」
「そ、そう・・・」
冷静さを装うとしているが、上原の表情には明らかに動揺が走り回っている。
どこか涼しすぎるようなイメージを抱いていたが、
今の上原は、人間的な感情に溢れており、身近な存在に思えた。
「で、上原さんは何してたん?」
「な、何って・・・」
「・・・・・・」
上原は静かに目を閉じ、一呼吸する、
再び目を開いたときには冷静な表情に戻っていた、
それは覚悟というよりは諦めといった感情を秘めたものであったが、
「な、なんて言うか、簡単に言えばイメージトレーニングかな」
「イメージトレーニング?どんな?」
「笑わへんって約束できる?」
「うん、約束できる」
「じゃ、じゃあ、説明するわ」
「今やってたのは、風の流れを聴覚と体の感覚で読んだ上で、
紅葉の動きを推測して、
最後に視覚を持って拍子を捉える。
要するに拍子を捉えるためのイメージトレーニングやね」
(わっ、な、なんや、よう分からん事を言い出したな)
と今度は一文字が動揺する番であった。
「あ、キツイこと言い出したなって顔してる」
それを隠すため文字通りのポーカーフェイスで一文字は応じた。
「そんなことは、」
「・・・・・・」
この危機をどう回避する?
なにか手はあるか?
過去という名のタンスをひっくり返して探しに探した。
溢れ出るゴミのような記憶の片隅に至高の一手は潜んでいた。
「実は俺も同じようなことをしたことがあんねん、俺のは集中力を鍛えるもんやけどな」
「集中力を?」
「まあ、見ててくれ」
一文字はボクシングでいうオンガードポジションで構えると、風を待った。
風が吹き、紅葉がゆらりゆらりと舞い降りると、
一文字はそれに向って素早く左ジャブを二回と右ストレートを一発放った。
そして握った拳を上原の前で開いた。
左右の手にはくしゃりと潰れた紅葉が握られていた。
これは一文字にとっては賭けであった。
昔、あるボクシング漫画の影響で死ぬほど練習して、
五回に一回できるようになった業を披露し成功させたのである。
正直、「俺、どうよ」と言ってやりたかった。
「うわ、懐かしいわ、私もよくそれやってんよ」
「え、そ、そうなん」
嬉しそうな上原の反応は一文字が予想もしないものであったが、
とにかく危機は回避したようだ。
会話していてふと違和感を感じた。女子と話をしているというよりは、
銀平あたりと話をしている、そんな錯覚を覚えたからだった。
「ところで、岡君はこんなところに何しに来たん?」
そう問いかける上原の透き通るような声、やはり銀平とは違う。
「ここには、学業成就のためにお参りに来てん」
一文字はそれ以外の物欲溢れる願い事は、あえて伏せた。
「まあ、それで観音堂に行ったら上原さんが紅葉相手に戦ってたわけで」
「別に戦ってたわけじゃあ・・・、まあ、でも、似たようなもんなんかな?」
「上原さんこそ、何でここにいるん?」
「わたし?なんて言うか、ここは私にとっては家みたいな所やから」
「この辺に住んでるん?」
「うん、境内からあそこの石段を降りたとこにある『浄妙院』という房が、私の家やねん」
「もしかして坊さんの娘とか?」
「うん、私の父がここの住職をしてんねん」
他の人とはどこか異なる彼女の独特な感性とか雰囲気とかが、なんとなく納得できた。
「そうや、話変わるけど、岡君の名前って一文字って言うねんね」
「そ、そうやけど、ほんまに話変わったな、原型留めてへんやん」
「せやから、話変わることを前もって言っといてん」
「一文字って名が珍しい?」
言いつつ、上原から次に来る言葉が何かを予想していた。
今まで幾人もの人に問われてきた言葉、
『なんでそんな名前なん』
「そうやね、珍しいのは珍しいね、でもそれより・・」
「それより?」
「それより、ええ名前やね。わき目もふらずに物事に取り組む、
簡単なようで誰にでも出来ることじゃない、結構大変な名前を背負ってるんかな」
無邪気な微笑みを浮かべる上原に一文字は動揺していた。
一文字は、上原がコアな一文字の名前を好意的に評してくれたことが、
妙に嬉しくて心が踊った。
上がるテンションの中で調子に乗って言った。
「一文字が気にいったんやったら一文字と呼んでくれてOKやで」
言ってから、今までほとんど面識がない人に、
馴れ馴れしすぎたかなとちょっと心配になったが、それは無用なものだった。
「うん、そうするわ、じゃあ公平に私のことは佐那って呼んでな」
「おう、了解や、佐那」
ぎこちない一文字の呼びかけに佐那は微笑みながら静かに頷くと、
腕時計に目をやり申し訳なさそうに言った。
「ごめん、一文字君、用事があるから、そろそろ帰らんといかんわ」
「そうなん、じゃあ、明日、学校でな、佐那」
「うん、さようなら、一文字君」
あえて使った互いの不慣れでぎこちない呼び方が、
どこかくすぐったく、滑稽に思えて、二人は顔を見合わせて笑った。
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