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耳障りな時計

 第一学年 五月十七日 金曜日

 甲山森林公園


 西宮市が誇るここ甲山森林公園は、

 行楽シーズンには休日にもなるとハイキングを愉しむ家族で大いに賑わい、

 夜には街の明かりで彩られた夜景を愉しむカップル達が集う市民の憩いの場である。


 深夜二時、夜半の雨がうっすらと降り、辺りが白い霧に包まれて、

 どこか緊迫した雰囲気の中には、統一された黒服を身に纏った四、五十人からなる男女の群れがあった。


 群れの長である、銀髪の男・海老沢栄司が、片手をあげて合図をすると、

 その隣で胸元に銀の刺繍の黒服を着こみ、腕を組んで仁王立ちをしていた大柄で丸坊主の男、前川が全員に向って残念そうな声で叫んだ。


「みんな、今日は残念な話がある」

 そう言って前川が顎を動かすと、背後で控えていた少年が、人の輪の中央に歩み出た。

 山口徹である。


 徹の顔は青い月のように凍てつき、その膝はガクガクと大刻みに震えていた。

 愉快、不安、恐怖、同情、様々な意図を孕む皆の瞳が、あまりにもか弱い子羊へと向けられた。


「さて、皆も知ってる山口君やけど、事もあろうにチームに入って一年も経たんうちに抜けたいとか言い出しよってな。

 そんな簡単に抜けられたら、俺らOBの人らに示しつかへんし、何されるか分からへん。

 せやから、抜けるなら抜けるで、それなりの挨拶をしてから出て行ってもらわんと困るわけよ、分かるよな山口君?」

 坊主頭の声には、既に残念さは失われ、非情さを愉しむ響きがあった。

 徹は恐怖で言葉を返すことは愚か、泣くことさえも出来ずただ震えている。


「詰め腹でも切らせるか?」

「それやったら、俺が介錯してやるわ、誰か電ノコ持ってきてくれ」

「単車でひき殺したええんちゃうん?」

「やくざみたいに指詰めさせたら?」

「そこでストリップさせようぜ」

「おお、それええな、それでリンチしたらええんちゃう?」


 絶え間なく残酷な提案が挙げられる中、いつの間にか妙な熱気が辺りを渦巻きはじめた。

 ついさっき迄、同情的な感情を持っていた者にさえ、弱く憐れな徹が、

 何故か惨めで不愉快で嫌悪の塊に思え、徹を支配し審判する者へと変貌していく。


 正輝は見ていた、輪から一歩外れたところから、その狂乱の宴を、

 正輝は見ていた、仲間が仲間を残虐に裁く様を、

 正輝は見ていた、自分を頼った後輩が処刑台の上で震えているのを、

 正輝は見ていた、自分を頼った後輩に何もしてやれない自分を、


 突然、前川の大声が響き、正輝を宴へと引き戻した。

「よ~し、諸君、静粛に! 判決を言い渡す」


 皆が一斉に静まり、ギラギラと熱い期待を孕んだ目を前川に向けた。

 前川は海老沢に向って小さく頭を下げると、皆の期待を背に、死刑を宣告した。


 恐怖と絶望の中で徹は動かないというよりは、動けなかった。


 複数の男が輪から歩み出ると徹を顔・腹関係なく殴り、蹴り上げた。

 殴られないよう防御を試みるが、徹の弱々しい抵抗には容赦のない拳がめり込んだ。

 

 男達は、拳と蹴りでのキャッチボールを愉しんだ。


 ギャラリーは熱狂し、熱いウエーブを起こす。

 うつ伏せに小さくうずくまる徹に、容赦のない蹴りの嵐が襲来する。

 徹を囲む人影はいつのまにか膨れあがり、その攻撃は熱を帯びてより強力なっていった。


 それはどれほど続いたであろうか。時間の感覚さえ曖昧になった時だった。

 打ちのめされ這いつくばる徹がふと形の変わった顔を上げた。

 それは、瞬きする間もないほどの一瞬のことであった。

 徹と正輝、目が合った。ただ、それだけだった。


 正輝は見ていた、輪から一歩外れたところから、その狂乱の宴を、

 正輝は見ていた、仲間が仲間を残虐に裁き、弄ぶ様を、

 正輝は見ていた、自分を頼った後輩が処刑台の上で這いつくばるのを、

 正輝は見ていた、自分を頼った後輩に何もしてやれない自分を、


 正輝は見ていた、仲間を、




 第一学年 十月十日 木曜日  宝塚市高松町 白山家 白山正輝の部屋


 茶色く濁った天井、漂う白煙、カチカチとゆっくりと時を刻む耳障りな時計の音が、そこにあった。

 ふと、正輝の心が熱くなり、そして青色に怯えた。


 正輝が隣を見やると流行りものを特集したおしゃれ雑誌に見入る美由紀がいた。

「美由紀!」

 突然、大声で呼ばれた美由紀は、驚きのあまり見開いた瞳を正輝に向けた。


 正輝は、美由紀につめより、少女の柔らかい肩をきつく掴むと唇を重ねようとした。


「痛い、痛いって、そんな強く持たんといてって!」

 正輝の行動に、美由紀はあからさまにうんざりとした表情を浮かべると肩を掴む手を荒々しげに解きながら言った。

「最近、そんなんばっかりやん、今日は友達んとこ行くわ」

 解いた正輝の手を、放り投げると、美由紀は足早に正輝の部屋から出て行った。


 美由紀の苛立ちに満ちた足音が遠ざかると、部屋は静寂に包まれた。

「ふざけんな!」

 既に無い、美由紀の背にクッションを投げつけると、正輝は再び寝転がり、

 茶色い天井を眺めつつ、煙草に火をつけた。

 煙が部屋を覆う濁った霧をさらに濃くしていく。


 少し前までは、自分に憧れの眼差しを向け、何でも言う事を聞いていた美由紀、

 今の美由紀の瞳にはその輝きは無い、

 なぜか?


 あの日、多くのものを失った俺だからか・・・


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