遮る雲
第一学年 十月十日 木曜日
宝塚市高松町 白山家 白山正輝の部屋
煙草で茶色く彩られた天井と壁、その空間をゆらりゆらりと煙が漂っている。
「ねえ、正輝、外に行こうよ、カラオケにでも行こうよ~」
そう言った甲高い少女の声は、少しうんざりと言った様子である。
「少し黙ってろ、そんな気分じゃねえんだよ」
「最近、いっつもそんなんやん、ちっともおもろないわ~」
「美由紀、いい加減にせえよ、そんな気分じゃねえっていってんだろうが」
不機嫌に返した正輝に美由紀と呼ばれた一歳年下の少女は、
ぽっちゃりとした両頬を膨らましつつ茶色に染めた自分の短い髪をくしゃくしゃにして、無言で抗議を試みたのだった。
その様子をみた正輝は大きく舌打ちをすると、床にごろりと寝そべった。
茶色く濁った天井、漂う白煙、カチカチとゆっくりと時を刻む耳障りな時計の音が、
五月のあの出来事を正輝に思い出させる。
第一学年 五月十日 金曜日 清荒神(清澄寺)
清澄寺は、九世紀末に宇多天皇より「日本第一清荒神」の称を賜って以来、
“清荒神さん”として人々に親しまれ、神仏習合の火の神、カマドの神である三宝荒神尊を祀り、ひろく信仰を受ける由緒ある寺社である。
信仰心がミジンコ程も無い正輝にとっては神や仏に手を合わせるよりも参道に並ぶ露店を物色し、
おみくじで勝った負けたと騒ぐほうが重要だった。
そんな正輝がここを訪れたのはチームの一年下の後輩に相談があると呼びだされたからであった。
ぷらぷらとしばらく歩いていると後輩が遠くから頭を下げて挨拶しているのが目に入った。
正輝は後輩に向って歩み寄った。
ふと空を見上げると一面の雲が太陽の光を遮り憂鬱な色を湛えている。
視線を戻すとすぐ近くまで後輩の少年が来ていた。
後輩はおどおどした様子で正輝に声を掛けてきた。
「こんな所まで、すんません」
「おう、徹、気にすんなや。とりあえずコーヒーでも飲もうや」
正輝が後輩の山口徹を促し、二人は休憩所に入った。
正輝は自動販売機でコーヒーを二本買うと、緊張した面持ちで座る徹に一本投げてやった。
徹は礼をいいながら両手で受け取めると飲む素振りもなく黙ってうつむいた。
隣に腰を落とした正輝は、缶の封をあけて一口飲むと、「お前も飲めや」と徹に促した。
それに従い、徹もコーヒーに口をつけた、一口、二口目は無い。
無言と無言、どこと無く居心地の悪い空気が二人を包みはじめた。
そんな空気を振り払うように正輝が訊いた。
「で、なんの相談や?」
「はい・・・」
それっきり、なかなか徹から言葉が出ない。
その様子から、かなり深刻な内容であることは、正輝にも容易に想像できた。
とりあえず真っ先に思いあたることを口にしてみた。
「好きな女でも出来たんか?」
「ちゃいます・・・」
小さく頭を振り否定する。
煮え切らない後輩に少し苛立ったが、相手は自分を頼ってきているのだ、出来るだけ感情を抑えて優しく訊いてやった。
「じゃあ、なんや?はっきり言えや」
「実は・・・」
「実は?」
お互いがお互いに顔を向けると、正輝と徹の目が合った。
真っ直ぐ注がれる正輝の視線を受けた徹は覚悟を決め、緊張に声を震わせ言った。
「俺、チーム、抜けようとおもとるんです」
「なんでやねん?」
「ダサい話なんすけど、半月前に俺のおかんがぶっ倒れたんです」
「おかんが?なんでまた?」
「医者が言うには、過度の精神的ストレスが原因らしいんです。
俺ん家、親父が十年前に死んでからおかん一人で俺と妹を育ててくれてて、
俺に高校に行ってほしいゆうて寝ずに働いてんのに、俺は勉強もせんと好き勝手やって、
おかんに迷惑ばっかかけてて・・・」
「・・・・・・」
「今回、おかんが倒れて、俺、考えたんです。
もし、このまま、おかんが死んだらどないやって?
正直、最悪やないですか、」
「だからチームを抜けて、お勉強して、おかんを幸せにしてやりたいってか?」
「ダサいっすよね?」
「マジでダサい、ダサ過ぎて俺には真似できん。せやけど、」
「・・・・・・」
「ちょっとカッコええかも知れんな」
そう言って正輝が小さく笑うと徹もつられるように微笑を浮かべた。
自分の想いを尊敬する先輩が拾ってくれた。
そのことが徹は嬉しくて仕方が無かった。
この人を頼ってよかった徹が心からそう思った時だった。
小さな陽だまりの中に、正輝が氷の刃を落とした。
「せやけど、制裁があるで」と、
その声は発した本人さえぞっとするような無慈悲なものであった。
先程までの喜びの表情は消えうせ、顔を凍りつかせながら徹は尋ねた。
「制裁って何ですか?」
遠くで鐘の音が静かに響いていた。
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