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上原の護身術1

 第一学年 九月二十六日 木曜日

 宝塚ゆずり葉高等学校 一年五組教室


 九月も半ばを過ぎ、この日は異常な程に心地良い日和だった。

 隣の川本が小まめにノートをとっており、シャカシャカと鉛筆の擦れる音が耳に流れてくる。

 眠気とは恐ろしいものでそれさえも川のせせらぎに感じさせる。


 しばし夢の中を彷徨った後、今度は退屈の虫が一文字に取り付いてきた。

 まじめに授業を受けている川本をからかってやるかと隣を見やると、その奥で真剣な表情でノートをとる村瀬が目に映った。

 恋をすればと昔からよく言うものだが、中谷と付き合い始めてからの村瀬は、日を増すごとに綺麗になっていく。

 しかし、一文字の瞳には、もはや彼女はセピア色にしか映らなかった。


 放課後、一文字はしぶる永嶋を強引に誘い、二人で総合格闘技の練習をしようと市民体育館へとやって来た。


 武道場の扉前に到達した時、扉の向こうからバタバタとなにやら音がしてくる。

 どうやら先客が練習しているようだ。

 一文字は少し残念そうに言った。

「貸切とはいかんかったな」

「まあ、仕方ないやろ、半面しか獲ってへんねんから」

「いや、俺は、永嶋の無様な技を人様に晒す事を気遣ってんねんけどな」

「余計なお世話じゃ」


 一文字が道場の扉を開くと、そこにはジャージを着た女子二人と、もう一人、白の武道着の上から黒い袴を毅然と身につけた女がいた。

 なんらかの古武道をたしなんでいるのであろうその袴姿の女は、腰まである髪を後ろで一つに束ねている。

 色白で端麗な顔に浮かぶ漆黒の瞳がさっと一文字達に向けられた。

 その視線を受けた一文字は、思わず息を呑んだ。


 袴姿の女はすぐになにも無かったかのように、視線を友人であろうジャージ姿の女子の方に戻した。

 その視線から解放されてから一文字は思い出すことができた。


 雨が降りしきる日、はじめて学校の玄関で出会った女生徒。


 体育祭の日、百メートル走で敗れはしたが全力を出し切ったことに満足し笑みを湛えた女生徒、

 確か『一ー三 上原』だった。


 髪の短いジャージ姿の女子が、何かを覗うようにじっとこちらを見つめている。

(なんや、俺に惹かれたんか?)

 と一文字が勘違いしはじめた時、その女子が嬉しそうな表情でこっちに向って声を掛けてきた。

 それはやけに早口であった。


「永嶋君やん、こんなところに何しにきたん?」

「いや、こいつに無理やり総合の練習に誘われてな」

 永嶋は一文字を親指で指しながら応じたが、その女子は(総合って何?)といった表情だ。


「知り合いか?」

 一文字が永嶋に尋ねると同時に上原もショートヘアーの早口な女子に同じ内容を尋ねているようだ。

 永嶋が面倒そうに答えた。


「中学の時の同級生で林さんっていうねん」

「ふ~ん」

 聞いておきながらその答えにも、林さんという早口な女にも一文字は興味が無かった。


 今度は、永嶋が林に尋ねる。

「林さんらは、何してるん?」

「うん、佐那に護身術を教えてもらってんねん」

(上原佐那っていうんや)一文字は袴姿の女の名前を自分の中で認識した。


 永嶋が続けて林に問う。

「護身術?」

「うん、佐那は合気道の達人やねんで」

「そんな、達人やなんて」

 片手を軽く振りながら上原は林の言葉を否定した。


「早く続きやろうよ」

 もう一人のジャージを着た女子が上原に向って言った。

「じゃあ、また」と林が言うと女子三人は、練習を再開しはじめた。


 上原が何やら説明をしながら林の左手の甲を右手で上から掴み、それに左手を被せ外側に緩やかに捻った。

「痛っ!」と叫んだ林の体は、左に大きくぐらつき片膝をついた。

 上原はすぐに手を離し、また何やら説明をしている、おそらく先程の技であろう。


「また、見とれてんのか?」

「別に見とれてへんわ」

 そう言う一文字は、少し照れている自分を隠すために永嶋を背負い投げでぶん投げた。


「いきなり、なにすんねん!」

 永嶋が強烈に一文字の頭をひっぱたいた。


 そうこういいながら、永嶋と一文字は、アームロックや肩固めと言った総合格闘技の基本技の練習をもくもくと行っていた。

 とはいえ、一文字は少し離れたところで女子二人に技を教えている上原佐那のことを、なんとなく意識せざるをえなかったのだが。


 林にしっかり握られた手首を、上原がスナップを利かせて素早く自分の方にたぐり寄せると、

「あっ!」という間に手首は解き放たれた。


「相手が手首を掴んできたら、親指が弧を描くように、自分の体のほうに素早く切れば外れんねん。

 じゃあ、やってみて」


 そう説明し、上原が右手で林の左手首をしっかり握る。

 林は見よう見まねで上原の真似をするが、「あれっ、あれっ?」いっこうに外れない。


 林は甘えたような声で言った。

「佐那~、外れへんよ~」

「もっと素早く手首を返したほうがええわ」

 そう助言された林が何度も何度も試みること十数回・・・


「やった、ほら佐那、外れたで!」

「優子、今のはええわ、その感覚を忘れたらあかんよ」

 褒められた林は嬉しそうだ。


 もう一人の女子が、上原に疑問をぶつけた。

「せやけど、女同士やから外れるけど、男の人にがっしり握られたら外れるんかな?」

「うんうん、確かにそれは言えるわ、どうなん佐那?」

 上原は少し困ったように眉を曲げ答えた。


「せやね、片手でリンゴを握りつぶすような人には無理かもしれんけど、普通の人が相手やったらなんとかなると思う」

「ふんふん、それやったら百聞は一見にしかずやね」


 右手の人差し指を立てながら、そう言った林の好奇心に満ちた眼差しは、旧友の永嶋に向けられていた。


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