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プールの更衣室裏の決戦

 第一学年 九月十三日 金曜日

 宝塚ゆずり葉高等学校 一年五組教室


 眠れない夜を過ごした一文字は、満身創痍で一限目の授業を受けていた。

 どんなに疲れていても、緊張は一文字を休ませてくれない。


 ふと、窓のほうを見るといつもと変わらない村瀬がいる。

 それだけでグッと心臓が握られるようだ。

 永嶋が後ろから一文字の肩を叩く、振り向くと几帳面に折りたたまれた紙を渡された。

 一文字は紙を解いてみる。


『決戦はいつ?』

『放課後  すまんが頼みがある』

『なんや? 金以外なら相談に乗るぞ』

『ホームルームが終わってから、村瀬をプールの更衣室の裏に連れてきてほしい』

『わかった』


 少し間があった。一文字はシャーペンで何度か自分の頭をこついた後、永嶋に紙を送った。


『俺は情けないか?』


『別に』


『ありがとうな』


 一文字と永嶋のやり取りを見ていた川本が、一文字に丸めた紙を投げてきた。紙を解くと見慣れた丸こい字がそこにあった。

『男二人で文通? 涼子ちゃんも仲間に入れて♪』

『大人の話に子供が首を突っ込んではいけません』と書いた紙を、丸めて川本のでこに投げつけた。

 でこを撫でながら紙を読んだ川本は、「なんで! いけず!」と頬を膨らませて一文字に不満の眼差しを送った。

 その子供じみた瞳が、キャンプファイヤーでのあの出来事を一文字に思い出させた。

 今なら、あの時の川本の気持ちが痛いほど分かる気がした。


 四限目の古典の授業はやけに長い。

 放課後が近づくたびに一文字の体に冷たい紐が巻き付いてくるような感覚があった。

 今日これまでの授業の内容は、何一つとして一文字の中に残ってはいない。

『それどころではない』のである。


 そわそわする一文字をよそに村瀬発のお手紙が永嶋の元に届いていた。

 永嶋はいったい何事かと紙を解いた。


『永嶋君へ 夏休み、海に行った帰りに途中で止めてしまった話を、昼休みに相談したいです。

 いいかな?』

(なんてタイムリーな話だ!)永嶋は二つ返事で承諾した。


 昼休み、永嶋は早食いチャンプばりに昼飯を済ませると、村瀬と約束の場所である体育館の裏に向った。

 村瀬は昼ごはんを抜いたのか、永嶋よりも早くその場所に居た。

 その顔は青白く、黒色のセーラー服に包まれた華奢な体は小刻みに震えているように見える。

 永嶋は冷静に言葉を切り出した。


「それで、相談って何?」


 村瀬はうつむき、しばらく言葉はなかった。永嶋は待った。村瀬が恐る恐る言葉を発する。


「永嶋君、実は私、好きな人がいるんよ」

(やっぱり来た!)

自分のことではないことを永嶋は知っていた、それでもなぜか体が締め付けられる。

 答えは分かっているつもりだ、それでもあえて声を震わせ永嶋は聞いた。

「それで、誰なん?」

 ・・・・・・

 ・・・・・・

 長い沈黙があった。長い長い沈黙の後、村瀬は小さいが透き通る声で言った。

「中谷秀人君」


「え?」・・・・・・


 時間が止まった。永嶋の体内をチリチリと小さな炎を纏った虫が駆け巡る。

 同時に背筋には氷の刃があてがわれ、戦慄の中、全身から妙な汗が滴り落ちる。

 いまや、告白する村瀬以上に永嶋は動揺していた。

 そんな永嶋をよそに村瀬は話を続ける。

「テニス部の中谷君って、中学の時、クラブで永嶋君とすごく仲が良かったって聞いたから、協力してもらえへんかなって思って、」


 最大限に冷静を取り繕い、永嶋は聞き返した。

「それやったら、同じテニス部の人に相談したほうがいいんとちゃうん?」

「そんなことテニス部でやったら、噂がいっきに広まるやん。

 上手くいけばいいけど、失敗したらクラブ、続けられへんから・・・」

 村瀬は村瀬で苦しそうだ、そして永嶋も苦しかった、苦し過ぎてオロオロした。

 それでも村瀬も友人、永嶋は無下に断るわけにもいかず、申し入れを受けることにした。


「わかった、中谷には話しておくわ」

「ありがとう永嶋君! ほんまにありがとう」

 喜びと感謝に溢れる村瀬の目にうっすら涙が浮かんでいた。

「やっぱり永嶋君に相談してよかったわ、ほんまにありがとう」

 そう言って、去り行く村瀬の後姿を、呆然と永嶋は見送った。


(岡さん、大変なことになりました、あなたの描いた想像は、全て妄想でした・・・)


 岡自身も勘違いしていたとはいえ、自分もその背中を押してやった。

 そんなことを考えると、永嶋は正直逃げ出したかった。

(やるだけのことは俺も岡もやった。結果が悪かっただけや、こればかりは仕方ない)と、冷静に割り切るしかないと思った。


 永嶋は教室に戻ろうと学ランのポケットに手を突っ込み歩き出した。

 その時、手にクシャっという感覚があった。

 取り出してみるとそれはくしゃくしゃになった紙で、そこには見慣れた字があった。


『ありがとうな』


 永嶋は、空を見上げて溜め息をつくと、心を決めた。

(これはもう笑いにするしかない)と、


 四限目、五限目、そしてホームルーム、とうとう永嶋は真実を一文字には告げられなかった。

 ホームルームが終ったところで、急に一文字は永嶋の方に向き直り、覚悟の表情で小さく目礼すると、足早に教室から出て行った。

「ちょっと待て」と言う余裕すらなかった。

 一文字の背を見送り溜息をつく。


 ふと窓際を見ると村瀬が精一杯のお願いを込めて、永嶋に視線を送っていた。

 永嶋は小さく頷いて村瀬に応じると、逃げるように教室を後にした。


 靴を履き替えて玄関を出る。

 そこで左手に行き、テニスコートとアーチェリー場を横切って、プールへと向う。

 その道のりは異常に長く、この時の永嶋にとっては死刑台に登る心境であった。

 プールとその横に備え付けられた更衣室が目に入る。

 あの裏で一文字は夢と希望を膨らませ、村瀬を待ち続けているのだ。

 永嶋は拳を握りしめ、強く息を吐くと更衣室の裏へと周った。


 そこには狂戦士のような異様なオーラを纏った一文字がいた。


 永嶋が一文字の前へ踊りでると決意を秘めた鋭い眼光が向けられた。

 まるで宇宙空間のような無音の中、永嶋は一文字に歩み寄った。

 たった一人の永嶋に対し、一文字の引き締まった唇から言葉が投げかけられた。


「村瀬はどうした」


 永嶋は一文字の目を正面から見返すことができず、思わず視線を落とす。

 無言の沈黙が続いた・・・


「村瀬は来うへんのか?」


 永嶋の様子に不安を覚えたのであろうか、一文字の声は少し震え、どこか弱々しい。


「おい、永嶋、村・・・」

「岡、」

 一文字の言葉を遮るように永嶋は名を呼んだ。

 一文字は言葉を詰まらせ、永嶋の言葉を待つ、その表情には敗北と恐怖が刻まれているようだ。

 永嶋は静かに告げた。


「岡、俺と付き合ってくれ」


「え、なんて?」(こいつ、今、なに言うた?)


「岡、俺と付き合ってくれ」

(あ、あほちゃうか、こいつ、なんで永嶋が俺に告白してんねん・・・)


「岡、俺と付き合ってくれ」

(そうか、) 永嶋のしつこい三度目の告白に一文字は全てを理解した。

「うん、ありがとう」

 薄幸の美少女が、真の幸福を手に入れたときのような微笑を浮かべ、一文字は応じたのだ。


 二人は力いっぱい抱き合い、天を見上げた。

「永嶋、本当に俺を愛してる?」

「いや、全く、」

 がーっはっはっはっ! 二人は壊れたように笑い狂った。


「すごい奴らがいたな・・・」

 下校中、白山正輝は煙草をふかしながら、さっきの出来事を思い出していた。

 ホームルームが終り、つまらない一日の締めとして、正輝はいつものように煙草で一服するためにプール裏に向ったのだった。

 そこで、予想もしないすごいものを目撃したのだ。

 それは抱き合いながら、狂ったように笑う男二人だった。

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