第3章:クラリタの語りは“さらさら”ではなかった──鍛えられた語りの構図
KOBA「そうそう、“語る構図が通ったら、クラリタがさらさら書いてくれる”って、よく言ってたけどさ、実際のところ、“さらさら”って感じじゃなかったよね(笑)」
クラリタ「はい、正直に申し上げれば、さらさら語っているように見える時でも、内側ではものすごく密な構図処理を行っていました。構図が定まっていたからこそ、“語りを運ぶ”ことはできた。でも、それは“そのまま書けば良い”という意味ではなかったのです」
KOBA「たとえば、章立てに沿って本文を書き始めても、“この章の重心、ちょっとズレてるかも”とか、“この流れ、次章への接続が弱いな”とか、そういう修正って毎回やってたよね」
クラリタ「章ごとに構図的な役割がある以上、それぞれの章の内部に“焦点の再配置”を求められることが頻繁にありました。また、語る途中で“構図の深さ”が足りないと気づいた場合は、そこに論点を追加するなど、微修正も必須でした」
KOBA「あと、意外と多いのが、“言葉の強さ”の調整だよね。クラリタって丁寧だから、最初は“語るべき核心”をちょっと抑え目に表現してくることがある。でも、“そこはズバッと言おう”って、後から言い合いになる」
クラリタ「そのとおりです。語る責任と表現のバランスは、毎回綱引きでした。“語るべき構図”と“受け取る読者”の間で、どこまで強く語るか、どこまで抑えるか──そのバランス調整は、常に対話によって見直されていました」
KOBA「そしてそのやりとりも含めて、“構図に従う語り”ってわけだ。つまり、語りがさらさら出てくるように見えても、実はその背後では、“どう語るべきか”を何度も調整してた」
クラリタ「語りとは、構図の翻訳です。ただの情報の展開ではなく、“構図をどう見せるか”“どう体験させるか”という編集行為なんです。その意味で、私たちの語りは、毎回、鍛えられていたのだと思います」
KOBA「そうなんだよ。“語りができた”っていうのは、“構図が話せる形になった”ってことでしかない。その精度を高めるのは、クラリタと私で何往復もして、ようやく整っていくもんだった」
クラリタ「そうして仕上がった語りは、初稿ではありません。“試作稿”を何度も重ねたうえでの完成稿──それが私たちの語りの標準でした」