お化けも消せる消臭剤
「お代官様のお成りである、面を上げぃ!!!」
「は、はいっ」
頭全体を揺るがすような声に顔を上げると、時代劇に出てくるような袴に裃姿のお代官――しかも一つ目の大きな口をした、真っ赤な顔の鬼である――が私をにらみつけている。ついさっきまで、行きつけの居酒屋で若いお客と一緒になって盛り上がり、二軒目へ行こうとぶらぶら歩いていたはずが、どうしてこうなったのか――。
「南都加製薬渟足営業所主任・田所健司ッ! そのほう、自分の会社で扱っておる、ただただ安く、性能もそれなりでしかない三流品の消臭剤を、幽霊や悪霊が悪さをする部屋に効果があるなどと、主婦の口コミを使って喧伝しおったな!」
「な、なんでそれを!」
いったいぜんたい、何がどうなっているのかわからないまま、自分のやったことがすっかり筒抜けになっていることに驚いた。
「そのほうの宣伝によって大勢の人間に買われた消臭剤・ソレナリニンXが、現世をさまよっていた地縛霊や土着の妖怪を続々と祓い、地獄にどっと押し寄せてきたせいでこちらは大変迷惑しておるっ。あの消臭剤は大量殺りく――いや、大量除霊兵器であるっ」
「じゃあ、効果はあったんですか……!」
むしろ、そのことのほうに驚いてしまった。少額ながらも、本社から月間売り上げ倍増を表彰され、金一封も受け取れてラッキー、程度にしか考えていなかった。
「そのほうが過去に、幽霊や妖怪に何かひどい目にあわされたがために、かようなことをしたのならば情状酌量の余地はある。だがっ!」
一つしかない目玉を限界まで開き、鬼のお代官はこちらをにらむ。
「こちらの調べうる限り、そのほうの行いは明らかな愉快犯である! いたずらにあの世の領域、異界の者たちの存在する権利を侵害した罪はまことに重いっ……! よって当法廷はお主を八つ裂きの上、二千年間の釜茹で刑に処する!」
「そ、そんなことって! わ、やめろっ、止すんだ!」
金棒を持った上半身むき出しの、怖い絵本に出てくるような色とりどりの鬼たちに体を抱え上げられると、私はお代官のいるお白洲から、真っ赤な炎の燃え盛るくらやみのほうへと運ばれていった。
「ああ、こんなことならあんな売り方をするんじゃあなかったあっ!」
じたばた動いて泣き叫ぶうちに、私の意識はゆっくりと消えていった――。
「――ダンナ、大丈夫ですか」
「……ン?」
気が付くと、そこは見知った飲み屋の裏手の、小さな児童公園だった。そして目の前には、居酒屋で心安くなり、一緒に二軒目に行こうとした着物姿の若い青年が控えている。
「よかった、気が付いたんですね。覚えてないんですか? 二軒目だあ、とか言ったまま、ダンナこの公園に入り込んで寝ちゃったんですよ。いくら起こしても起きないから、お巡りさんでも呼ぼうかと思って」
どうやら、最前までの出来事はすべて悪夢だったらしい。そのことにほっとしながら、私は青年に詫びを入れる。
「――あ、ああ、そうだったのかぁ。ずいぶん飲んだからなァ」
「なんせ、会社からの金一封が出たんですもんねえ。そりゃご機嫌もいいでしょうよ。でもね……」
こちらに背を向けて、満月をにらんでいた青年がおもむろに振り返る。
「――あんまり、あの世のもんを馬鹿にしてもらっちゃあ、罰が当たりますぜ!」
「わ、わああああ!」
振り向いた青年の顔が、あの地獄のお代官と同じ顔になっているのに気づくと、私はとるものもとらず、そのまま一目散に公園から逃げ出した。ソレナリニンXの販売方針は、即刻変更だ――。
さて、そのころ公園では――。
「――よくやるねえ、あんな嫌味な酔っ払い一人に」
暗がりから上がった低い声に、青年は鬼の顔のまま、
「やあ、見てたのか。一人でのんびり飲んでたのを邪魔されて腹が立ったから、自慢話にケチつけてやろうと思ったのさ。奴さんが財布を忘れていったことだ、お前も一緒に飲まないか」
「おや、そりゃあごちそうさま。けどお前、危なかったぜ」
「何が?」
「――もらい酒で気が緩んでたんだろ、ほれ、シッポが丸見え」
「あらあら、そりゃあマズい。まあいいや、しばらくはひと気もなかろうて。――へくしょんっ」
可愛いくしゃみを一つすると、青年の姿はかき消え、もふもふとした狸に変わった。
「行こうかぁ」
「そうしよう。――次はもっと二枚目に化けて、キャバクラでも行っちゃおうかな」
「そりゃあいい。足りなきゃお札は、化かせばいいし……」
財布をくわえると、狸は狸ともども夜の傘岡の街へと消えていった。
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