4.エピローグ
明朝、聖女リンジーは元気に神殿に帰ってきた。一睡もしていない、酷い顔の神官長たちに出迎えられ、彼女は首を傾げたそうだ。
「明朝には帰るって、手紙に書いてませんでしたっけ?」
それを書いた二枚目の便箋を入れ忘れていたようで、聖女リンジーはその日から謝罪行脚の日々を送っている。
駆け落ち事件から一週間後、モニカは聖女リンジーと対面した。
「この度は大変申し訳ございませんでした!」
「いえ、ご無事で何よりです」
モニカは元気な聖女リンジーに安堵しつつ、結界を張る代役が立てられることを伝えると、彼女は嬉しそうに笑った。
「モニカさん、凄いです!私には全く思いつきません!」
「ふふ、ありがとうございます」
「これで、子どもを持つ夢が叶います」
聖女は、結婚をしても子を持つことが許されなかった。お産は命がけ。もし、命を落としてしまえば、この国を守る結界を維持する事ができなかったからだ。出産適齢期に次期聖人や聖女が現れることはあったが、ほとんどの聖女は自身の子を持つことが出来なかった。
「ところで、よくソア国が帰して下さいましたね?」
「え?」
モニカの質問に、聖女リンジーは笑顔で固まった。モニカが不思議そうに首を傾げていると、聖女リンジーは気まずそうに話し出す。
「えぇ〜と……邪魔する人たちを、みんな倒して帰ってきました」
「え?!」
聖女リンジーはアハハと笑いながら、頭を掻いた。この可憐な少女が、兵士たちを倒す姿は想像ができないと、モニカは怪訝な顔で彼女を見る。聖女リンジーは視線を泳がせながら、話を続けた。
「えぇっと、私の出身地は山間部でして、昔っから野山を駆け回っていたんです」
ぽりぽりと聖女リンジーは頬を掻く。その姿は神殿や式典で見る、高貴な聖女ではなく、年相応の女の子のようで、モニカは目を瞬かせた。
「村で一番ケンカの強い、負け知らずの女の子が私です。今でも村で一番、強いんですよ」
フフッと笑う聖女リンジーは、嘘を言っていないのだろう。彼女の後ろに立つ護衛騎士たちが青い顔をしていた。モニカはもう一つ、疑問に思っていたことを訊ねる。
「リンジー様。そもそも、ソア国へ向かった理由は何だったんですか?」
「あ!イアン様に『飛行型の魔人に、ソア国の王都が襲われている。民の為に力を貸してくれ』と言われて、慌てて着いて行ったんですが……」
ポリポリと再び聖女リンジーは頬を掻く。
「そしたら急に捕らえられて。ソア国の為に結界を張って、イアン様と結婚しろと言われて」
聖女リンジーの顔が段々と険しくなる。モニカは、彼女は意外と表情が豊かな女の子なのだなと思った。普段、感情を押し殺して、聖女の仕事をこなしているのかもしれないと考えていると、ふうと聖女リンジーは大きく息を吐いた。
「シリル様は『僕の前では聖女としての私じゃなくて、ただのリンジーで居ていいんだよ』と言ってくださいました。二人きりのお茶会は、ホントにマナーなんて無い。ただ笑って話して、好きにお菓子やお茶を飲んで……」
キッと聖女リンジーは鬼のような形相になる。
「そんな素敵なシリル様を、ありのままの私を受け入れてくれた人を、イアン様はただの優男と侮辱しました。許せるはずがありません」
ぎゅっと聖女リンジーは拳を握る。モニカはゴクリと喉を鳴らした。
「魔人の襲撃も嘘だったので、好き勝手に暴れて帰ってきました。一応、命は奪っていません。腐っても聖女ですから。国王陛下はそれをお許しくださったし、シリル殿下との婚約も継続されるのでよかったです」
聖女リンジーは晴れやかな笑顔を浮かべた。でっち上げの抗議文を送ったり、愛しあうシリル王子と彼女を引き裂こうとした報いねと、モニカはにっこりと愛想笑いを浮かべながら考える。
「本当にご迷惑をおかけしました。もし、モニカさんの研究で、お役に立てる事があったら、協力させてくださいね」
「リンジー様、ありがとうございます」
聖女リンジーは頷くと、再び頭を下げてから立ち上がる。モニカも立ち上がると、応接室のドアを開けた。聖女リンジーを護衛する聖騎士たちが、彼女を守るように後ろに続く。
「モニカさん。本日はお時間をいただき、ありがとうございました」
「いいえ。こちらこそ、ありがとうございました。気をつけてお帰りください」
聖女リンジーに差し出された手を、モニカは握る。彼女の少し小さくて華奢な手から、同じ光魔法の使い手なので感じられる膨大な魔力量に、モニカは彼女の重荷を少しでも軽く出来ただろうかと自問しながら、ゆっくりと手を放した。お互い一礼すると、聖女リンジーは笑顔を浮かべて、転移水晶の安置されている部屋に向かって歩き出す。モニカはその後姿を見送った。
「聖女様は、お帰りになられたかな?」
背後から声をかけられ、モニカは笑顔で振り返る。
「ジャレッド!」
「モニカ、久し振り」
ソア国との国境付近に出征したジャレッドは、その後処理に追われていた。
人同士の戦闘はなかったが、ソア国が魔物をおびき寄せる香を使ったために、結界の効果が切れる時間には、結界の外には魔物たちが溢れた。モニカの研究で明らかになった方法と、戻った聖女リンジーによって張られた三重の結界が張られているので、魔物たちの侵入は防ぐことが出来た。しかし、放置する訳にはいかず、魔物討伐を行うことになった。
「ジャレッド、大丈夫?凄く疲れた顔してるわ」
モニカはやつれたジャレッドを見上げて、心配そうに声をかける。彼は力なく微笑んだ。
「はは、大丈夫。心配してくれて、ありがとう。モニカに会えたから元気になったよ」
「ジャレッド……。私の研究室で、ちょっと休んでいったら?」
弱々しく笑うジャレッドに、モニカがそう提案すると彼は頷く。
「うん、いいね。お邪魔しようかな?」
「疲れに効くお茶を淹れてあげるわね」
二人は並んでモニカの研究室に向かう。ジャレッドと同じく出征した魔法使いたちは皆、疲労の色が濃い。それほど魔物との戦闘は酷いものだったのかと、モニカはジャレッドを見上げた。
モニカの研究室に着くと、ジャレッドはどっかりと椅子に腰を下ろす。
「はぁ〜、疲れた。久し振りに暴風王子のお守りは」
「暴風王子?」
ケトルに水を入れ、コンロでお湯を沸かし始めると、モニカはジャレッドの隣に座った。フツフツとお湯の沸き始める音を聞きながら、ジャレッドは話し始める。
「あぁ。モニカは学園に入学するまでは、男爵領に居たから知らないのか」
首を傾げるモニカにジャレッドは話を続ける。
「シリル殿下は、今でこそ穏やかで落ち着いた方だが、小さい頃は嫌なことがあると風魔法を暴発させて王宮が半壊しまくってたんだ」
「えぇ?!」
モニカは王宮内の会議室で見た、少し気落ちしたシリル王子を思い浮かべた。
「そんな風には見えなかったけど……シリル殿下はそんなに活発な方だったの?」
「いや、腕白というより、気弱で泣き虫だったな。王族は魔力量が多い方がほとんどだから、感情が高ぶって暴発という感じだ」
怒りや悲しみの感情で魔力は暴発する。シリル王子は後者だろうなと、モニカは納得しながら、お湯が沸いたのでハーブティーを淹れる準備を始めた。乾燥させたカモミールジャーマンやセージをティーポットに入れて、一呼吸おいてからお湯を注ぐ。甘いながらスッキリとした香りに、モニカは微笑みながら、砂時計をひっくり返して、ジャレッドに話の続きを促した。
「それで?シリル殿下がどうしたの?」
ジャレッドは、モニカを見上げながら口を開く。
「聖女リンジーが帰還し、イアン殿下との『真実の愛』が否定されて嬉しかったんだろうね」
遠い目をして、ジャレッドは砂時計の砂が落ちていく様子を見ていた。
「竜巻を発生させて、魔物を一掃したよ」
その言葉に、モニカは目を皿のように丸くする。ジャレッドを見ると、彼は疲れた笑顔を浮かべた。
「近くに潜んでいたソア国の兵士たちの方へ吹き飛ばしたんだけど、阿鼻叫喚だったよ。勿論、ソア国の兵士たちは、竜巻で怪我を負ったりはしていない」
いきなり魔物が降ってきたら、それは驚きだろうとモニカは思う。そして、アルフレッド国を襲わせようとした魔物たちだ。下位の魔物だけではなかったことは想像に容易い。モニカは砂が落ちきったのを確認して、ティーポットを揺らしてハーブティーをティーカップに注いだ。
「はい、ジャレッド」
ティーカップを二つ持ったモニカは、一つをジャレッドの前に置く。
「ありがとう、モニカ」
「いいえ。それで、どうなったの?」
ジャレッドはハーブティーを一口飲んで、一息ついてから口を開いた。
「下位の魔物は竜巻に巻き込まれた時点で死んでいるが、上位の魔物はそうはいかない。ソア国に魔法使いは少ないから、こちらの魔法使いたちで何とか倒したよ」
上位の魔物を倒すのは骨が折れただろうなと、モニカはジャレッドの疲れた顔を見つめる。
「その場に居たソア国の兵士たちは捕らえてたけど、怯えきってしまってね。取り調べをするには、まだ時間がかかりそうだ。まぁ、私達の仕事じゃないけど、情報部は大変だろうな」
ジャレッドは再びハーブティーを口に運び、ホッと息を吐いた。モニカに笑いかけると、話を続ける。
「ソア国からは、イアン殿下が単独で行った暴挙として、彼の身分を剥奪の上、幽閉すると伝達があったよ。陛下は、謝罪と近隣国へ聖女誘拐事件の全容を伝えること、聖女を攫った賠償金をソア国に支払うことを要求したけど、どう出るかな」
モニカは困った顔でジャレッドを見つめた。ソア国は謝罪と事件の全容を伝える要求は直ぐに飲むだろうが、賠償金はどうなるか分からない。考え込むモニカに、ジャレッドは声をかけた。
「明日からしばらく休みながら、予定通りモニカのドレスを決めに行こうか」
「え!大丈夫なの?」
嬉しいが、疲れているジャレッドに、ドレス選びに付き合ってもらうのは申し訳ないなと、モニカは心配になった。ジャレッドは笑ってモニカの手を握る。
「あぁ。モニカのドレス姿を見たら、元気が出るよ。一週間、会えなくて寂しかったし」
へらりと自分だけに見せる気の抜けた笑顔に、モニカも思わず笑った。
「私もよ、ジャレッド。明日が楽しみだわ」
モニカが声を弾ませて答えると、ジャレッドは眩しいものを見るように目を細めて笑う。
「じゃあ、もうジャレッドは家に帰って休んでね」
「うん。モニカの言う通り、これを飲んだら帰って休むよ」
ハーブティーの入ったカップを傾けて、ジャレッドは笑った。モニカは口角を上げて頷くと、隣でカップを口に運ぶ。
戦争にならなくて良かった。平和が一番と、モニカは結界越しに雲一つない青空を見上げて微笑んだ。
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