呼ばれた気がしたからですよ
揺れているような感覚のする暗闇の中で、男の話し声が聞こえる。
―――誰かが話してる?
「もう魔力の暴走は起こらないのではなかったのですか!」
「これは普通の暴走とは異なる。暴走したのは魔力というよりも感情だ。激しい葛藤が魔力の動きを活性化させてしまったのであろう」
「ライラティーヌ様がそこまで動揺なさるなど。いったい何があったのですか」
「それは言えぬ」
「ヴォルデマール殿!」
―――この声は、ヴォルデマールさんと……。
「フォルクハルト」
うっすら持ち上げた瞼の向こうに、ほっとする優しい顔があった。
「お気づきになられましたか。お身体は大丈夫ですか? 何処か痛いところなどは」
「大丈夫……です。少しぼーっとするだけです」
フォルクハルトはライラティーヌの脈を測ったり、額に手を当てたりしてから、安心したように息を吐いた。
「良かったです」
「心配かけてごめんなさい。……でも何故ここにフォルクハルトがいるのですか?」
今日の護衛はハムで、フォルクハルトは騎士団の仕事に就いている筈だった。
「呼ばれた気がしたからですよ」
「え?」
「ライラティーヌ様に呼ばれた気がしたからです。助けて、と」
全く覚えていなかった。
無意識に、フォルクハルトに助けを求めていたのかもしれない。
「呼んだかもしれません」
「はい。ですから駆けつけました。何があったのですか?」
―――何が。ゲルドゥヴォルを見つけて、理性と欲望が戦って。頭の中を嵐が吹き荒れるみたいになって。過呼吸になって。それから……。
ライラティーヌは呆然と自分の唇に触れた。
―――薬を飲まされた。
ヴォルデマールと目があった。
果てしない無表情だ。
「フォルクハルト、席を外せ」
二人の間に流れる、常とは違う空気を読み取ったのだろう。
フォルクハルトはヴォルデマールに向き直ると挑戦的に睨んだ。
「それは、命令ですか」
挑むような言い方に、ヴォルデマールがそっと目を閉じた。
「私とて、ライラティーヌに関する事で、其方に隠し事などしたくはない。だが繊細な話になる。二人だけで話したい」
フォルクハルトは少しの躊躇いの後、
「いずれ必ず、お聞きします」
と言い置いて部屋を出て行った。
――――――――――
「さて」
ヴォルデマールは、壁にもたれかけていた背を起こした。
ベッドの側に椅子をずらして腰を下ろす。
「覚えているか?」
「……はい。ご迷惑をお掛けしました」
一言口にしただけで、涙が一筋流れた。
「緊急の事態だった為、強引な方法になった。許せ」
「はぇ?」
一瞬何の話かと思った。
どうやら、口移しで薬を飲ませた事にショックを受けて、泣いていると勘違いしたようだった。
あんなのは人工呼吸と変わらない。別に大騒ぎする程の事でもない。
別に初めてという訳でもないのだし。
―――いや、初めてだった! ちょっと見栄をはりました!
「いえ。単なる医療行為です。謝って戴く事ではありません」
「では何故泣く」
「それを聞きますかね」
じとっと舐めつけた側から、また涙が溢れてくる。
「ゲルドゥヴォルか。……それほどまでに、焦がれていたとはな」
ヴォルデマールは、考えをまとめるかのように、長い髪をかき上げた。
「制約の内容は、アレについて其方が持っている知識を他人に話さない。新しい知識を入れない、というものか?」
ヨアヒムは、知ったルールや知識を人に話してはいけない。調べてもいけない。当然興じるなんて論外、と言った。
「はい。もちもん興じるのも禁止されています」
「成る程。では、制約に抵触しない範囲で話そう」
急に瞳が真剣さを増した。
「何故領主を目指さない。それで解決する問題であろう」
「そんなに待てません」
ヨアヒムはまだ四十代だ。領主が入れ替わるのは、十数年は先の話になるだろう。
「わたくしからも一つ質問が」
「なんだ」
「ヴォルデマールさんは、法を犯しているのですか」
「いや。正当な権利を持つ者だ」
―――正当な権利。じゃあやっぱり、領主にならなくてもゲルドゥヴォルを打つことは出来るって事だよね。
「驚かないのだな」
「どの様な方々が権利を持っているか知りませんもの。驚きようがありません」
ヴォルデマールの丸く開いた目が、そんな事も知らないのか、と言っていた。
問題は、権利を手に入れる条件だ。
ヴォルデマールが持っていると言うことは、学者という事だろうか。
もしくは家系か。
本因坊家みたいに、ゲルドゥヴォルに従事する一族があるのかもしれない。
「わたくしがヴォルデマールさんの養女になれば、解決しますか?」
その一族の一員になれば済む事なら、ヴォルデマールの家族になるのが一番の近道だ。
その時、指に熱を感じた。制約の紐が熱を持ち始めている。どうやらこの質問は、アウト寄りだったらしい。
指を気にする様子を見て、ヴォルデマールは明言を避けた。
「まったく。私を何歳だと思っているのだ。せめて妻の座を求めてみよ」
「ヴォルデマールさんこそ、わたくしを何歳だと思っているのですか」
「この程度の年齢差、貴族なら珍しくもなかろう」
―――いや、離れすぎでしょ。
ヴォルデマールは二十代半ばに見える。
少なくとも二十歳を下回っている事はないだろう。
つまり最低でも一回りは離れていると言う事だ。
―――まあ、沙夜ならあり得る年齢差なんだけどね。
「わたくしが望めば、妻にして戴けるのでしょうか」
「あり得ぬ。私が其方を娶る事は絶対にない。養女など論外だ」
「分かってはいても、そこまで言い切られると、乙女心が傷付きます」
頬を膨らませてそっぽを向くと、頬に手が伸びてきた。
「むぎ――。やめてくらひゃい!」
「ふ。まあ良い。……それほどに焦がれるのであれば、その紐が取れた時、訪ねて参れ。相手くらいしてやる」
「っ本当ですか?!」
―――相手って言った! それは対局してくれるって事だよね。間違い無いよね?!
「約束ですよ。後でそんなつもりは無かったとかナシですよ?」
ヴォルデマールの襟首を掴んで詰め寄ると、至極面倒臭そうに、手を回して背中をぽんぽんと叩いてくれた。
「約束しよう。ジオルレイドの中であれば、誰かに見られる心配もなかろう。その為にも早く課題をこなす事だな」




