誓約の紐
尋問会が終わると、ライラティーヌはヨアヒムの自室に強制連行された。
ここからは、領主しか知ってはいけない話となるらしく、二人きりで尋問が再開するらしい。
―――ううう。ゲルドゥヴォルが打ちたいだけなのに、なんでこんな目に……。
「さて」
ヨアヒムに促されて窓際の小さなテーブルに二人向かい合って座った。
事前に側仕えが淹れてくれたのだろう、ティーカップがあたたかな湯気をあげていた。
鑑定鑑定。うん大丈夫。
「ゲルドゥヴォルのことをどこまで知っている」
「……口にして良いのですか?」
クレメンスに口を塞がれたことを思い出しつつ確認すると、ヨアヒムが優しく微笑んだ。
「構わない。防音の魔術もかけてあるから安心して話しなさい」
「はい。では……。ゲルドゥヴォルは二人で対戦する盤上競技です。十九かける十九の点があり、その点の上に石を交互に置いていきます。着手禁止点以外どこに打っても良い、自由度の高い競技です。基本は陣取りゲームで、相手の石を囲んで殺したり、囲って相手が入ってこれないようにして陣地を増やします」
「ふむ。それだけかい」
「えっと、コウやセキなんかの特別な場合のルールもあります。あとコミは六目半です」
「ちょっと待ちなさい。コウ、セキ、コミとはなんだ」
ふむふむと聞いていたヨアヒムが眉をしかめた。
「え? えっとコウはお互いが一石を取り合える状況でですね……何か書くものはありませんか?」
ヨアヒムが差し出した紙に、サラサラとコウの図を描いていく。
「ここで黒が白一石をとると、今度は白が取り返せるでしょ。そうしたら、また最初の図に戻るから、延々と一石の取り合いが続いてしまいます。だから黒が一石をとったら、次は白は別のどこかに一手打ってからしか取り返しちゃダメなんです」
「なるほどタッセだな」
どうやらこちらの世界ではコウのことをタッセと呼ぶらしい。
セキはオラヒ、コミは存在しないそうだ。
一通り説明し終わると、ヨアヒムは長い息を吐きながら、額から顎までを手でさすった。
まいったなぁ、といった感じだ。
「ほとんど知っておるではないか」
「そうなのですか? ですが神々の口調では他にも何かありそうでしたが」
……魔石も黒くならなかったしね。
「確かに他にもある。むしろ核となる部分が抜けておるな」
「ほうほう。それはどのようなルールですか? 何か禁止事項なんかがあるんでしょうか?」
目をキラキラさせながら詰め寄ると、ヨアヒムが思いっきり顔をしかめた。
「食いつくでない。お前は罪人となるかどうかの瀬戸際にいる自覚があるのかい?」
「え? ありません。潔白は先ほど証明されたのではないですか? そもそも何故ゲルドゥヴォルを打ちたいと言っただけで罪を問われたのか、全く疑問なんですけど! あんな素晴らしい競技、もっと皆で楽しみましょうよ」
テーブルをバンバンと両手で叩きながら力説するライラティーヌに、ヨアヒムが心底驚いたように目を見開いた。
「お前……、本当にただゲルドゥヴォルを打ちたいだけなのか?」
「そうですよ。他に何があるんですか? ルールをご存知なのですから、お父様も打てるのでしょう? 一局手合わせ致しましょうよ。ゲルドゥヴォルならわたくし一日中でも毎日でも、お相手できますわ」
むしろ望むところです!
「そうか……」
ヨアヒムは諦めたように苦笑すると、近くに寄るように手招きをした。
椅子から降りて側にいくと、そのまま脇に手を入れられ、膝の上に座らされた。
「お父様?」
実年齢十九歳には、少し耐え難い体勢だが、心のどこかに残っているライラティーヌが喜んでいるような気がして、されるがままに膝にちょこんと座ってヨアヒムを見上げた。
「いいかい、ゲルドゥヴォルを打ちたいという言葉は『領主になりたい』と同義なのだ。お前はコンラーディンやヘルマンがいる前で、領主になる宣言をしたのだぞ」
「そんな! わたくし領主になる気なんて微塵もございません」
―――なんてこった。私誕生日プレゼントに領地を強請った強欲娘になっちゃってた!
「そうだな。ただ神々が嗜まれた御姿を拝謁し、憧れから自分も打ってみたいと思った、というだけの話だと、私から皆に説明しておこう。この件と次期領主の件は無関係だ、いいね」
「もちろんです。ありがとう存じます」
「ただ問題もある」
「なんでしょう?」
「お前は知りすぎた」
―――なんて不穏な言葉! 殺される!
先読みして慄いていると、指に赤い紐状の指輪が嵌められた。よく見ると細かい文様が刺繍で施されている。ミサンガの指版みたいだ。
「今後ゲルドゥヴォルの事は忘れるのだ。お前の知ったルールや知識を人に話してはいけない。調べてもいけない。当然興じるなんて論外だ」
「そんな! 打たせてくださいませ! ただ打ちたいだけなのです。お願いいたします」
「ならぬ。もし打てばお前を処刑しなければならなくなる」
「そんな……」
「いいかい、本来ゲルドゥヴォルについて知識を得ること自体が罪なのだ。お前は神々から直接知識を得たためそれを罪には問えないが、今後に関してはお前の責任だ。ゲルドゥヴォルは忘れるのだ」
「そんなぁ、あんまりですわ」
気づけば視界が緩んでいた。
囲碁が打てるというからこの世界に来たのに。
死と隣り合わせの境遇も、囲碁が打てさえすれば耐えれると思ったのに。
大粒の涙がほたほたと手に落ちる。
「な、何も泣かなくても良いではないか。一言でいいのだ、誓うと言っておくれ。ゲルドゥヴォルを口外しない、調べたり興じたりしないと誓うだけで良いのだ」
泣きじゃくるライラティーヌを抱きしめながら、ヨアヒムがオロオロと顔を覗き込んでくる。
「ううう……嫌ですぅ」
「頼む、我が子を罪人にしたくはないのだ。私から娘を奪わないでおくれ」
ヨアヒムの気持ちが痛いほど伝わる。
ライラティーヌだって死にたくはない、でも。
「誓ったらどうなるのですか?」
「誓約の指輪が発動する。誓約を破れば、その場で魔力を奪われ拘束される。行きつく先は処刑場だ」
「嫌だぁ!」
―――あんまりだ! あんまりだぁ!
「いつまでですか? いつまで我慢しなくてはならないのですか?」
「領主になれば外す。死んだときも外れる。もし自分で勝手に外せば私に伝わり」
「処刑場行きですか」
「そういうことだ」
―――なんて物を娘につけるんだ! この人でなし!
散々泣いて泣いて、頭が痛くなったころ、ようやく涙も落ち着いた。
「ごめ……なさい。子供みたいに泣いてしまいました」
「よい。久しぶりにお前に甘えられて、嬉しいぞ」
「ゲルドゥヴォルくらいでなんでムキになるんだって顔ですよ」
「神々から直接知識を賜ったのだ。私とは思い入れが違うであろう。共感できぬ我が身が悔しいが、想像は出来る。だがここは人の世だ。人の世には人としての法がある、分かるな」
「……はい」
ヨアヒムが頭をなでる手が優しい。ライラティーヌは未練がましく食い下がる。
「頭の中だけで、棋譜を並べることもいけませんか」
「棋譜を見てはいけないのに、どうやって並べるんだい」
「覚えています」
「なんと……」
そう覚えている。今まで打った棋譜も、歴代の棋士の棋譜も。
あんな美しいものを忘れるなんて出来る筈がない。
「見ないのであれば、問題なかろう」
「ありがとう存じます。最後に一つおねだりです」
「なんだ?」
「わたくしの知らないルールを一つ、教えてくださいませ。それを知っているだけで、頭の中での遊びの幅が広がります」
「むう」
ヨアヒムが渋い顔をした。
即断られるかと思っていたが、迷う余地がありそうなことに勢いをもらい、畳み掛ける。
「どうせ今後口外はできないのですから、少しくらい知識が増えても同じでしょ? 後生ですわ」
ヨアヒムはしばらく悩んだ後、意地悪気に口の端をあげた。
「では一つ間違いを訂正しよう」
「間違いですか?」
ヨアヒムはどこか得意げに告げた。
「ゲルドゥヴォルは盤上競技ではないぞ」
―――なんですと?!
「さあ誓いなさい」
「待ってくださいませ! もう少し詳しく!」
「ならぬ。早く誓うのだ」
「……ううう、誓います」
瞬間魔力が吸われる感触がして、指輪が赤から黒に変わった。
ライラティーヌに深い楔が打ち付けられた瞬間だった。
―――ああ、私の異世界生活が……。このままじゃ、本物のライラティーヌとは別の理由で処刑場送りになってしまう。