ゲルドゥヴォルを打たせてくださいませ!
食堂に入ると、すでに家族は勢ぞろいしていた。
ライラティーヌはしずしずと歩くと、父親であり領主であるヨアヒムの前で膝をつき手を交差させた。
「ご心配をお掛けしてしまい申し訳ございませんでした」
「戻ってくれて何よりだ。ほら顔を見せておくれ」
ヨアヒムの声が耳に届いた途端、親愛の情がぶわっとあふれ出てライラティーヌを包み込んだ。
―――これは……本物のライラティーヌの感情だ。
記憶を引き継いだことで、ライラティーヌが抱いていた感情まで引き継いでいる。
そのせいで、クレメンスを苦手と感じ、両親に愛情を抱いてしまう。
あくまでも他人の感情なので、それに振り回されるほどではないが。
ヨアヒムは優しい栗色の瞳で、ライラティーヌの生還を心から喜んでくれていた。優しいが気の弱そうな、そして少し貧弱な感じのする男だった。
斜め向かいに座る緑色の髪の聡明そうな美女が、正妻でライラティーヌので母のクラウディア。
反対側には、ヘルマンの母である第二婦人が座っている。化粧の匂いが強い派手目な女だった。
一通りの挨拶を済ませ、席に着く。朝食の始まりだ。
クレメンスは兄コンラーディンの後ろに控えており、ヘルマンの後ろには昨日の執事風の男が立っていた。名前はダミアン。
「今回は本当にダメかと思ったぞ。戻ってくれて本当に良かった。やはりライラティーヌは神々から愛されているのだな」
ヨアヒムが目を細めた。
父と母の前ではヘルマンも本性を隠しているようで、すました顔で座っている。何か一言いってやりたくなった。
「実はわたくし、一度死んだみたいなのです」
「どういうことだ?」
「夢の中で神々にお会いしたのです。美しい神殿で、ああここがあの世かと思ったのですが、お前はまだ来るな、と神々に追い返されてしまいました」
だから私を殺そうとしても無駄ですよ、とヘルマンに伝わってほしい、との気持ちを込めて微笑む。
「アンゲスリュートにお会いしたのか?!」
「お名前はお聞きできませんでした。とても美しい方でしたのよ」
なんだ夢かという納得と、まさか本当にという戸惑いがないまぜになったような表情をしている。
「なぜ追い返したのかしら?」
ヘルマンの母が少し忌々し気に乗ってきた。
「今はまだ来る時ではないという趣旨のことをおっしゃっていましたわ」
「まあ、自分は神々に愛されているとでも言いたいのかしら」
「子供の夢物語ですのよ。聞き流してくださいませ」
ライラティーヌは首を傾げて受け流した。
その後は、当たりさわりのない生ぬるい会話を投げ合いながら朝食は進んだ。
朝食を取りながらも、口に入れるものの鑑定は怠らない。
「しかし、せっかくの誕生日が台無しになってしまったな。ライラティーヌ、遅れてしまったが何か欲しいものはないか?」
食後のデザートを食べているときにヨアヒムが聞いてきた。
どうやら倒れた日は誕生日だったらしい。
「まあ。プレゼントを頂けるのですか?」
「ライラティーヌももう八歳ですもの。親が与えるものよりも、自分が欲しいものが出てくる年齢でしょう?」
クラウディアが優しく微笑む。つられてライラティーヌも笑顔を返す。
―――誕生日だったんだ。プレゼントか。欲しいものは安全と自由、なんて無理だよね。
少し考えた後、いくつかの候補の中から一つ選んだ。
「では、わたくし魔術の本が欲しいですわ」
「むう」
途端にヨアヒムが難しい顔で髭を撫でた。
―――やっぱり駄目かな?
「わたくしもう倒れたくないのです。魔力が多すぎるのであれば使ってしまえば良いでしょう? 簡単な魔術で適度に魔力を消費する術を学びたいのです」
うーむ、と再び食堂に沈黙が落ちた。みんなが考え込んでいる。
「まだ早かろう。惨状が目に浮かぶ」
最初に口火を切ったのはヘルマンだった。ヨアヒムも続く。
「確かに、今回の件で、普通なら十歳から始める魔力操作も少し早めようかと考えてはいたが……」
「本当ですか? 嬉しいです」
手を叩いて喜ぶと、ヨアヒムが手を振った。
「いや、今すぐではないぞ。少なくとも後半年から一年ほどは様子を見るつもりだ」
「そんな。何故ですか? わたくし頑張れますわっ」
食い下がるライラティーヌに場が一瞬シンとした。
一瞬凪いだ空気に、そっと置くように静かな声がかけられた。
先ほどまで全く存在感の無かったコンラーディンだ。
「アリュステル」
コンラーディンがグラスに手をかざして唱えると、グラスになみなみと水が溜まった。
「これは初歩の魔術で水を生み出すものだ。生み出される水の量は魔力の量に比例する。魔力操作が出来るようになれば自分の望む量を出せるようになるのだが、おそらく今のライラティーヌがこの魔術を使えば、テーブルが水浸しになってしまうよ」
全員がうんうんと頷いている。
食堂を見渡す。所謂貴族が使ってそうな長いテーブルで、十メートルはありそうだ。
―――私の魔力って、そんなにすごいんだ。
「これが火の魔術だったらどうなるであろうか。水でも人は死ぬこともあるね。魔力が多いというのはそういう事なんだよ」
静かな声で諭されては頷くしかない。
もとより却下されるのは織り込み済みだ。本当に欲しいものは別にある。
「分かりましたわ。我儘を申しあげました」
「分かってくれたならばそれで良い」
コンラーディンはまた、何事もなかったかのようにデザートに戻った。盲目とは思えないほど、上品に、スムーズに食べていた。
「ではわたくし、アンヌが欲しいですわ」
「アンヌとは、あのメイドのことかい?」
ヨアヒムが怪訝そうな声をあげる。
「ええ。わたくしのせいで辛い目にあっていると聞きました。ですから何か下さるというのなら、アンヌの命を下さいませ」
「マイルが気に入らないのですか?」
クラウディアが理知的な瞳で聞いてきた。ライラティーヌは胸を張った。
「いいえ。優しいマイルにも感謝しております。でもわたくし、アンヌの淹れてくれるお茶が大好きですの。お願いですわ、お父様お母様」
両手でお願いのポーズをとる。あざとくったって構わない。だって八歳だからね!
驚いているヨアヒムの隣で、クラウディアが母親の顔で頷いた。
「良いでしょう。人命を尊ぶ優しい心根を持った娘を誇らしく思いますよ。ですが、優しさと甘さをはき違えてはいけません。その優しさを軸に少しづつ学んでいきなさい」
「ありがとう存じます!」
―――やった、これで自室の安全度が上がった。ずっと命を狙われっぱなしじゃ気が休まらないものね。
「おいおい。其方が勝手に決めるでない」
ヨアヒムが慌てたように口を挟んだが、ぴしゃりとクラウディアに止められた。
「これは子育ての問題ですわ。わたくしの領分です。根回しならばわたくしが致します」
「むう」
―――おう。領主様尻に敷かれてるねぇ。
「領主の決定を蔑ろにするのは、いかに正妻といえども分をわきまえた方が宜しいのではなくて?」
ヘルマン母が、今がチャンスとばかり苦言を呈した。
「よいよい。ただ私から言いたかっただけなのだ。これではアンヌはクラウディアからの贈り物になってしまうからな。私からの贈り物がなくなってしまった。ライラティーヌ他に欲しいものはないか?」
「まあ、他にもおねだりして良いのですか?」
―――やったね! 身の安全を優先して後回しにしていた、おねだりがあるよ! お母様、グッジョブです!
小躍りする思いで、若干飛び上がる勢いをつけてビシッと手をあげた。
「ゲルドゥヴォルを打たせてくださいませ!」
ゲルドゥヴォル。囲碁に似た盤上競技。
どのように違うのだろうか、どれほど研究されているのだろうか。
ルイ達が打っている姿を見てから、ずっとワクワク気になっていたのだ。
「道具を買ってくださいませ。とても面白いのですよ。出来れば棋譜も欲しいのですが、棋譜ってあるのでしょうか? 領内でどなたかお打ちになる方はいらっしゃるのかしら」
夢見心地でくねくねしながら言い募る。
ふと見ると、食堂の雰囲気が一変していた。
皆が固まっている。
「? わたくしなにか変なことを申しましたか?」
おずおずと尋ねると、すっかり領主の厳しい顔になったヨアヒムが射るような目で問いかけてきた。
「それが何を意味するか、分かっていっているのか?」
ヨアヒムの声が低い。
「……え? わたくしはただ、皆とゲルドゥヴォルを楽しめたらどんなに素敵だろうと思っただけで……。とても素晴らしい競技ですのよ……。何か不味かったのでしょうか? 教えてくださいませ」
ヨアヒムは深い溜息をつくと、後ろに控えていた側近に向かって
「あれを」と指示した。
音もなく側近が出ていくのを黙って見守る。
「内容が内容だけに、皆には退席してもらうが、ライラティーヌの罪が明らかになるまでは立会人となってもらう。どのような結果になるにせよ、今、そして今から見聞きしたことの口外を禁ずる。ライラティーヌ、他の誰かにゲルドゥヴォルの話をしたか?」
慌てて音が鳴りそうなほどに首をふる。
「してません。お父様、わたくしは何か罪を犯したのですか?」
「それを今から明らかにする」
いつの間にか数人の騎士に左右を固められ逃げられないようになっていた。
すっかり犯罪者扱いだ。
「……あの、何か誤解なさっていませんか? ただゲルドゥヴォルが打ちたいだけなのです。何かと勘違いされていませんか? ただの盤上競技ですよ。交互に打って……ふがっ」
いつの間にか後ろに移動していたクレメンスに口を塞がれた。
「おだまり下さい」
「っいきなり何をするのです! 私はただゲルドゥヴォルの……ふがっ」
また口を塞がれた。
「頼みますから黙ってください。それ以上口にされれば、ここにいる私たちも罪を犯すことになります」
「そんな……」
―――ゲルドゥヴォルを打つだけで、なんでこんな事態になってるの? 解せぬ! これはものすごくピンチなのでは?