私はお約束が分かる女
でも大丈夫、私はお約束が分かる女。とライラティーヌは鼻息を荒くする。
「破滅フラグを避けながら力をつけていけばいいのよね。嫌われるイベントを逆利用して好感度を上げて、気がつけば皆から愛され、権力も愛情も独り占め。うふふん。この本があれば楽勝だわって言いたいところだけど……。そもそも本当のライラティーヌって非の打ちどころがないのよね」
むしろ優秀過ぎて、良い子過ぎて破滅の人生を歩んでいる。
ライラティーヌの破滅フラグを避けるためには、好感度を落とす必要がある。
「まず無能のふりをして、ヘルマンに気に入られず、敵視されずの微妙な位置をキープしつつ、領民の不幸などには目を瞑って見ないフリ。そうしてなんとか安全圏にいる他領の貴族の次男坊くらいに嫁げればグッドエンドってところか」
もしくはヘルマンを失脚させる。その結果はカロリング領の女領主。
領民もひどい目に合わずに済むし、きっとこれがベストエンドなのだろう。
一つ目の案は、精神的なダメージが辛そうだ。ヘルマンに媚びへつらうのにも吐き気がする。
二つ目は、八歳の子供相手に、どれだけの人が協力してくれるか分からない。
もちろん領民の事を考えると二つ目が最良案に見える。でも考えてみて欲しい。本物のライラティーヌは領民に裏切られるのだ。その領民の為に、命がけの戦いを挑むのもモチベーションが沸かない。
何よりも、そもそも領主になんかなりたくないのだ。
―――だって面倒臭そう。私はただ囲碁が打てて、イイ感じで異世界が堪能できればそれでいい。出来るだけしがらみなく生きていきたいのに。
どちらの案も一長一短があり、ライラティーヌは腕を組んで頭をひねった。
考えはすぐに纏まった。
「うん。逃げよう」
―――ルイは本通りに生きなくていいって言ってたし。カロリング領では自由とはかけ離れた生活しか待っていなさそうなんだもん。それに私はライラティーヌへの領民の仕打ちを、許す気なんて毛頭ないのだ! ふん。
「そうと決まれば、問題はいつ決行するかよね。いくらなんても八歳の子供が一人で生きていくなんて、目立ちすぎるし、準備を整えるにも時間がかかるしね。……げ。」
ペラペラと本を捲っていた手が止まった。
見過ごせない記述を発見してしまったのだ。
「ライラティーヌ、十一歳の時にヘルマンに犯されてる……。十五歳で十一歳を犯すなんて、ヘルマンなんて鬼畜! 許すまじ!」
カロリング領に残ると命の危険だけじゃなく、貞操の危機も乗り越える必要があるようだ。
何が何でも逃げなくちゃ、と決心し、出立の時をヘルマンに手を出される前の十歳に決める。
「後二年か。出来る限りの準備をしなくちゃ。必要なのは自衛力、経済力、常識、生活力でしょ。後はっと、どこかに筆記用具はないのかしら」
これからのTODOを書き出すため、部屋の中を物色し始めた。
―――お、紙みっけ。鉛筆は……やっぱり羽ペンなのね。
この世界に紙があったことにほっとした。現代の洋紙ほどの品質はないが、ちゃんと使えそうだ。
出来ればボールペンや鉛筆など携帯できる筆記用具が欲しいところだ。
その内作ろうと心に決めたところで、違和を感じた。
「あれ? 本が重くなってる?」
本はA4サイズ程で五センチほどの厚みがある。そこそこの重さがあるはずなのだが、今までノートくらいの重量しか感じなかった。ところが今は見た目通りの重さになっていた。
不思議に思って中を見ると、
「嘘! 白紙になってる! どうして? まだ細部まで読んでないのに!」
魔術具だったものが役目を終えて普通の本になったような感じだ。
昨日は晩年を中心に読んだが、今日はざっと最初から目を通したため、『読み終えた』と判断されたのかもしれない。
「本当に目を通しただけで、細部なんて全然読み込んでいなかったのに……。嘘でしょルイ……」
未練がましく何度も頁を捲ってみるが、白い世界が続くだけだ。
床に両手をつく勢いで項垂れていると、ドアをノックする音が聞こえメイドが一人入ってきた。昨日とは違うメイドだ。この顔も知らない。
さっとクレメンスとのホットラインのベルの位置を確認する。
「まあ、お早いお目覚めでしたのね。お着換えもお済になられて」
「え、ええ。目が覚めてしまったのです。自分で着てみたのですけれど、変ではないかしら」
ショックから立ち直れないまま、力なく返事する。
「上手に出来ておりますよ。少し手直しさせていただきますね」
「ありがとう存じます。えっと……」
「マイルでございます」
「ありがとうマイル」
「いえ、ですが明日からは私が致しますので、ゆっくり寝ていらしてくださいね。今日は病み上がりですからこのままで結構ですが、朝は湯あみもございますから」
マイルが優しく微笑んでくれたので、曖昧に笑い返しておいた。湯あみって朝なの? と思いながら。
マイルにリボンの位置や襟のフリルなどを手直ししてもらうと、今度は髪だ。
丁寧に髪を梳かれている間、ライラティーヌはこれからすべきことを指折り考え込んだ。
―――気持ちを切り替えなきゃ。ないものはないんだ。失ったものを数えるな!だわ。最優先は自衛力だわね。今日はどこかで騎獣を試してみなくちゃ。後は魔術について勉強しなきゃ。
「ねえマイル。魔術の本なんて我が家にあるのかしら?」
「魔術ですか? ライラティーヌ様にはまだ早いかと存じますが」
「や、やってみたりしないわよ。ほら、わたくし魔力が暴走するせいでいつも倒れちゃうでしょう。だから魔術について少しくらい知識があった方が良いのではないかと思ったのです」
ライラティーヌが倒れたのは、魔力の暴走という話になっている。
魔力は多いに越したことはないが、多すぎると溢れ出して周囲に被害を与えたり、自分の身体を破壊したりしてしまうそうだ。何それ恐ろしい。
大人になり魔力の扱いに慣れてくれば、そのような事故はなくなるのだそうだ。
魔力の扱いが不慣れな子供は皆、魔力を適度に吸い出す魔術具を身につけているのだが、ライラティーヌの場合は魔力が多すぎるせいか、魔術具がすぐに壊れてしまったりするらしい。
「魔術の本でしたら、皆様お持ちだと思いますが、魔力操作は十歳から、魔術は十二歳からとされていますので、貸していただくのは難しいかと」
「何それ。法律できまっているのですか?」
「いえ、なんとなく、ですわね。その辺りの年齢が相応だ、という慣例ですわ」
―――十歳からじゃ間に合わない。ダメもとでおねだりしてみようかな。誰におねだりするのがいいのかしら。ヘルマンは論外だし、やっぱりお父様かしら。
考え込んでいると、目の前にティーカップが置かれた。
いつの間にか髪の手入れを終わらせたマイルが淹れてくれたようだ。
「ありがとう。とってもいい香り」
「身体に優しいフレモンにしてみました」
慈愛に満ちた笑顔に、思わず頬が緩む。
―――マイルいいなぁ。母性の塊みたいな人だなぁ。倒れる前は違うメイドさんだったんだけど。無口で少し抜けたトコロがあって、年齢は十五歳くらいだったな。名前は確かアンヌ、だっけ。アンヌもかわいかった。
ライラティーヌはティーカップを顔の前まで持ち上げて、湯気から立ち上る芳醇な香りを愉しんだ。
―――この世界にも紅茶ってあるんだ。フレモンって言ってたけどお茶の名前かな。お、こういう時にぴったりなアレ、使ってみようかな。
カップの中身をじっと見つめる。ルイから貰ったギフトの出番である。
―――鑑定!
『フレモン』
乾燥させて燻したフレモン草を煮出した飲料用のお茶。
胃を護る作用がある。毒入り。
―――ちょっと待て! 最後に何か不穏な一文が!
思わず振り返ってマイルを見てしまう。
「? どうかなさいましたか?」
変わらない笑顔に、慌てて首を振る。
「い、いえ。とても良い香りだから、マイルも一緒にどうかしら?」
「まあ、ありがとう存じます。ですが私は先ほど沢山お水を頂きましたから」
「そ、そう」
もう一度鑑定をしてみるが、結果は変わらない。
毒だけに集中して鑑定してみると
『ホルイットの樹液。無味無臭。遅効性。体内の魔力を固める作用がある。致死量』
どうやら集中すれば詳細が分かるようだ。便利。
―――って言っている場合か! 致死量かよ!
―――ど、どうしよう。飲まなきゃだよね。怪しまれるよね。っていうか、昨日の今日でまた来たか! よっぽど早めに殺したいのね。
後頭部にマイルの視線を感じる。鏡越しに目が合った。変わらない微笑みにぞっとする。
飲んだふりでは通用しそうにない。
―――あ! あれ。使えるかな。
ルイに強請ったもう一つのギフトを思い出す。
―――この毒の中和剤、ティーカップの中においで!
変化はない。
念のため、鑑定をしてみると『毒入り』の文字が消えていた。
うまく行ったようだ。
一思いにくいっと飲む。
普通に美味しい。
「とっても美味しいわ」
「それは良かったです。本日は朝食を皆さまでなさるとのことです。もう少ししたら食堂に参りましょうね」
何食わぬ顔でお茶のお代わりを淹れるマイルに、今思いついた、という風で問いかけた。
「そういえば、アンヌはどうしたの? 身体でも壊しているのかしら?」
記憶を探る限りアンヌは敵側ではない筈だ。スパイや刺客ならば、もう少し使える人を差し向けるだろう。
マイルは途端に、表情を曇らせて声を落とした。
「アンヌは沙汰を待っているところですわ」
「沙汰って、アンヌ何か悪いことでもしたのですか?」
「……ライラティーヌ様の魔力の管理に失敗いたしました。暴走させ、主の命を危険に晒したのですから、極刑は免れないかと」
「そんな……」
自然と口元に手が行く。
「わたくしアンヌに謝らなくては」
「とんてもありません。魔力の管理はメイドの仕事です。ライラティーヌ様はとても優秀で魔力の管理以外お仕事なんてないも同然なのですから、それを怠ったアンヌが悪いのです。もうお忘れください」
―――これが貴族。これが異世界ってことなのかしら。人の命が軽すぎる。
重たい気持ちで唇を噛んでいると、ふとある考えが浮かんでマイルに問いかけた。
「ではわたくしが今倒れたら、今度はマイルが責めを負ってしまいますね」
―――なのに、私に毒を盛るなんておかしいよね。やっぱりマイルは何も知らずにお茶を淹れてくれただけなんじゃないかな。
「そうですね。でも『今』であれば、やはりまだ身体が癒えていなかったのだという事になるでしょうから、ご心配には及びませんわ」
マイルの笑顔が深まった気がしたのは、きっと気のせいではないのだろう。
「……安心しましたわ」
そう返すのが精一杯だった。