ツェツィの使い方講座
翌朝は、大人たちが明け方まで起きていたので朝から活動できるのは主に子供だけだった。
朝食も自室でとれたし、午前中の授業もない。
なかなか自堕落で良い朝だった。
ライラティーヌは食事を終えると、アンヌと一緒に訓練場へと赴いた。
念のため、森を眺めておきたかったのだ。
いつもは騎士がいて賑やかな訓練場も、今日は人気がなかった。
「朝まで剣術試合してたのかしら?」
「今日が当番の騎士以外は、みんなまだ寝ているんでしょうね」
観覧席を歩いていると、一人の騎士が森を見上げていた。
昨夜ついてきてくれた騎士の一人だ。
―――名前は確かハムトルート、いやハムドルト……。もう面倒だからハムでいいや。体型もそんな感じだし。
「おはようございます。昨夜はありがとう存じました」
「ライラティーヌ様。お早いですね。こちらこそ夢のような経験をさせていただきました」
「ふふ。本当に不思議な体験でしたわね。わたくしまだ夢見心地です」
「自分もです」
三人で森を眺める。
もう光は見えず、いつもどおりの冬の森が広がっていた。
「あの後さり気なく確認してみたのですが、こちらからは光は見えなかったようです。我々が森へ行っていたことも、誰も気づいていないようでした」
「良かったです。あまり人の耳に入れたくありませんから」
ライラティーヌは人差し指を口元に持っていて、片目をつむって見せた。ハムは笑顔で頷きながらも、少し肩を竦めた。
「勿体ない気もしますけどね。王都にでも報告すれば、一躍時の人ですよ」
「それが困るのです。昨夜のことは単なる精霊の気まぐれにすぎないのに、さもわたくしが特別のように思われるのは迷惑です」
「ゲルルフ団長も同じように仰っていました」
「まあ団長が?」
「はい。昨夜のこと聞けば、必ずライラティーヌ様を特別視する者が現れる。ご本人が望まれるのであれば構わないが、そうでない以上、我々は昨夜のことを忘れるべきだと。お望みには、ならないのですよね?」
ハムが確認するように覗き込んできた。力いっぱい首肯する。
「勿論です。考えただけでも逃げたくなります。というか、たぶん逃げます」
握り拳を作って見せると、ハムがお腹を揺らして笑った。
「それはきっとフォルクハルトが捕まえに行きますよ。首根っこを掴まれて戻ってくるお姿が目に浮かびます」
「そんなことありません。わたくしに言いくるめられてすごすご戻るフォルクハルトの後姿が、わたくしには見えます」
ハムは夜通し起きていて、今から寝るというので、ライラティーヌも訓練場を後にした。
ゲルルフ団長のおかげで、どうやら昨夜の一件は他に広がることもなく無事終了したようだ。
弾む足で自室に戻る。
だって今日ヘルマンが出発する。
そしてヘルマンさえいなくなれば、晴れて魔術のお勉強の始まりだ!
――――――――――
「勇み足が過ぎます」
クレメンスが頭を抱えながらグチグチ零した。
ヘルマンを見送ったその足で、コンラーディンの部屋に押しかけたのだ。
待ちに待った魔術の講義だ。大人しく待てという方が無理というものだ。
「限界まで待ちました」
早く早くと尻尾を振ると、鬱陶しげに眼鏡を正して溜息をついた。
「ライラティーヌ様、私は今日は休暇なのですが」
「ではなぜお兄様と一緒にいるのですか」
「休暇をどう使おうが、私の自由です。そして私は休暇を貴女のために使う気はありません」
「そんな! クレメンスはわたくしの側近でもあるのでしょう?!」
クレメンスの服の裾を掴んで懇願する。
「ですから、休暇です」
「ひどいですぅうううう!」
床にくず折れる。
はしたなかろうが知ったことではない。
「教えていただける時間は三日しかないのですよ。たった三日ですよ? 今日がなくなったら二日ですよ?」
床に拳を叩きつけて嘆いていると、呆れかえったクレメンスに首根っこを掴まれて引き起こされた。
「目に余る見苦しさです。ツェツィの使い方など、一日あれば伝え終わります」
「主に向かって何ですか! ふんぬー」
両手をバタバタさせていると、コンラーディンがくすりと笑った。
「では今日は私が教えてあげよう」
「コンラーディン兄様! 今お兄様が神に見えます!」
「ふふ。もともと私からの贈り物だし、私が責任を取るよ」
「きゃー! 大好きです!」
しがみつくと、クレメンスにペリッと引き剥がされた。
―――ちょっと、扱いがぞんざい過ぎない?
「コンラーディン様、それでは結局私が教えることになるのでは?」
「付き合ってくれなくても構わないよ。クレメンスは休暇だろう?」
一見爽やかな笑顔だが、ちょっと腹黒い。これがアンヌが言っていた、笑顔一つでクレメンスを黙らせる特技かと、感心する。
「……お付き合いいたします」
クレメンスが落ちた。
少しのすったもんだの後、クレメンスが箱からライラティーヌのツェツィを取り出した。
「これは魔術具ですか?」
「正確には違います。これは単に魔力を通しやすくものです。通常魔力は人の身体から出る事がありません。体内をグルグル回っているだけなのです。それを魔術として外に出すためには魔術具が必要になります」
―――じゃあ呪文を唱えるだけで手の平から『ファイヤーボール!』とかは無理なのね。ルイが言っていた魔法と魔術は違うってこういう意味だったんだ。
「通常魔術具に頼るほか、自力で放出できない魔力ですが、ツェツィを使うことで外に出すことが出来ます。単に魔力を放出するだけで、何か魔術が発動するわけではありません」
言いながらクレメンスは自分のツェツィを横にすーっと振った。
ツェツィの先端が描いた軌道に、赤く光る細い線が浮き上がった。
「赤く見えるこれが魔力です」
ツェツィをふっと振ると、赤い線は霧散した。
―――魔力って赤いんだ。
精霊が緑に発光していたため、何となく魔力は緑なのかと思っていたので、少し意外だ。
「術式は先ほどの魔力の線で引きます。時間経過で消えるものなので、早く正確に引かなければなりません」
「あんな複雑な術式を引くとなれば、時間も相当かかると思うのだけど」
「先の事よりも、まずは線を引く練習です」
「分かりました」
ライラティーヌはツェツィを構えると、ツェツィに魔力を集めるように意識しながら横に振った。
瞬間ぶわっと赤い光が飛び出した。
赤い光は線の形を取らず、五十センチほどのインクの染みのようになって宙に浮かんでいた。
「……失敗しました」
クレメンスは少し目を瞬かせた後、気を取り直したように咳ばらいを一つした。
「当然です。線の形にすることが最初の関門です。最終的には術式を引くのですから、極限まで細くできないといけません。このくらいです」
クレメンスがツェツィを振って引き直した線は、髪の毛ほどの細さだった。
「分かりました。頑張ります」
「二カ月ありますから、私が戻ってくる頃には細くなくて良いのでまっすぐに線が引けるようになっていてください」
言うと、クレメンスはさっさとツェツィを片付けた。
「え? え? 終わりですか?」
「終わりです。線が引けるようになったら、また来てください」
「……もう少し教師らしいところが見たいのですけど」
「だから一日で終わると申し上げました。それに言い飽きましたが、私は本日休暇です」
「ぐぬぬ」
ライラティーヌはツェツィを振る。光はどばーっと赤い帯になった。
「むう」
「……その勢いで失敗し続けていると、魔力が枯渇して倒れますよ」
「そう思うなら、もう少し助言を下さい」
クレメンスは深く溜息をついて、コンラーディンに振った。
「助言と言っても、貴方は規格外すぎて申し上げる事がありません。コンラーディン様の方がまだお気持ちがお分かりになるのではないですか?」
規格外とな?
「わたくしの魔力が多すぎるのですか?」
コンラーディンに問いかける。コンラーディンは口元に曲げた指をあてて思慮深げな顔をした。
「魔力が多いことに間違いはないが」と一旦言葉を切り、膝の上で緩く指を組んでから続けた。
「通常子供の魔力量は、魔力を吸い出す魔術具が溜まる速度で推測するのだけれど、ライラティーヌの溜まる速度は私やヘルマンとそう変わらないんだ。むしろ少し遅いくらいなんだよ」
早く溜まればたまるほど、魔力量が多いと言うことか。
自分の魔力は飛び抜けて多いと思っていたので、少し拍子抜けした気分になった。
「それにしてはライラティーヌは倒れすぎるんだよ。普通魔術具さえつけていれば、魔力が暴走することはないからね。頻繁に暴走する理由が多過ぎる魔力のせいなのか、何か他に欠陥があるのか、と皆を惑わせていたのだが……」
コンラーディンはいったん言葉を切ると、見えない目を向けてきた。
「両方だったようだね。欠陥というよりも体質と呼ぶ方が正解ではあるけれど」
「どういう意味ですか?」
「予想されていたよりもライラティーヌの魔力量は多いみたいだね。きっと魔力の流れが悪いのだろうね。どこかに大量に溜まっていて、それが悪さをしているのかもしれない」
「それは、命に関わることですよね」
胸のあたりをぎゅうっと握りながら確認した。
「魔力を操作できるようになれば解決する可能性が高い。すまない。怖がらせてしまったね」
コンラーディンの指が、優しくライラティーヌの髪を撫でた。
「自分の意思で魔力の巡りを扱えるようになりなさい。その為にもツェツィの練習をちゃんとするんだよ」
コンラーディンの声はとても心地良い。聞いているだけで、心が落ち着く。
ライラティーヌは安心して、すぐ頬の横にあるコンラーディンの掌に頭をもたれかけた。
「魔力操作は魔力が多い方が苦労する。だが一度でツェツィから魔力を出せたのだから、きっとすぐに覚えられるよ」
「普通は出せないものなのですか?」
「自分の中に流れるものの中から、これが魔力だと認識することがまず難しい。アンヌはその苦労をよく知っているのではないかな?」
後ろに控えるアンヌに問いかける。
「はい。生まれてからずっと普通に過ごしてきたの身体の中から、魔力だけを見つけろと言われても難しいです。私の魔力は少なすぎてあまり主張してくれませんし。魔力を探して体中に力を入れて、これが魔力かと追いかけるとオナラが出たります。そんな事の繰り返しでした」
「おい、アンヌ……」
クレメンスが頭を抱える。
「亜貴族あるあるです」
「そ、そうですか。大変だったのね」
悪びれもせず真顔でいる残念なアンヌに苦笑しつつ、なるほどと納得した。
何年もかかると言われていた魔力操作が、大した苦労もなく出来た理由だ。私天才かもと少しは調子に乗っていたが違った。
―――魔力は今まで感じたことがない感覚だもんね。そりゃ生れてからずっと魔力があるのが当たり前だった人とは違うよね。
「それから枯渇しないように、出した魔力は吸い上げておくといい」
コンラーディンはツェツィを振ると十センチほどの丸い形に魔力を押し出した。それから出した魔力を絡め取るようにツェツィをくるくる回すと、丸い魔力が吸い込まれていった。
「ドバっと出さないためのコツはありませんか?」
「こればかりは慣れるしかないが……、私は線を引く前に丸を作っていたよ。だんだん小さくしていくんだ」
「ありがとう存じます。頑張ります」
ぺこりと頭を下げて決意表明すると、コンラーディンが変わらぬ笑顔でにこにこと
「うん。ではそろそろ本当にクレメンスに休暇をあげたいと思うのだが、いいかな?」と退室を促してきた。




