誕生日
「おねえさん、見て見て。うまく描けたでしょ?」
まあ、本当。うまく描けたわね。え? お誕生日のプレゼントにするの。そう、きっと喜んでくれるわよ。あら、もう一枚描くの?
「うん! だって、おねえさんも今日が誕生日なんでしょ?」
ふふ、ありがとう。私の誕生日なんて、もう長いこと気にしてなかったわ。
「あ、ダメー! まだ見ちゃダメ。おねえさんの絵なんだもん。できあがってからの、おたのしみだよ」
はいはい、ゆうこ画伯のお邪魔にならないように、おねえさんは一足先にあの人に、お誕生日おめでとうって言ってこようかな。
きっかけは、友人からの紹介だった。
「ちょっと洒落たコーヒーショップが近くにできたから、一緒に行かない? もうすぐあなたの誕生日だし、そこでおいしいケーキでも……それにその……どうしても会わせたい人いるんだ。あたしの従兄弟なんだけど」
「従兄弟って……男のひとなの……?」
いままで交際どころか、男の子の手を握った事すら無い私にとって、その申し出は冒険すぎた。
「そうだけど、まあまあ、尻込みしないで会うだけ会ってみなよ」
友人は、私とは何もかもが正反対だ。小さな頃から男勝りのお転婆で、活動的。女らしくないと眉をひそめる者たちなど、どこ吹く風で。それがとても格好良くて。
色々アドバイスしてもらって精一杯のおめかしをして、半ば無理やり連れてこられたコーヒーショップ。初めて会った貴方を前に、私は貝みたいに押し黙ってた。ろくに話せない私に気を使って、貴方はあれこれと話しかけてくれたけど、会話は今一つ弾まなくて。
せっかくのコーヒーも、すっかり冷めてしまうころ、
「あのね、よく誤解されるんだけど、この子不機嫌な訳じゃないから。緊張しいで口下手なだけだからさ、兄ちゃんばっかり喋んないで、ゆっくり話聞いてあげなよ」
見るに見かねた友人が、助け船をくれた。
「とんだ誕生日のプレゼントになっちゃったかなぁ。ごめんね、アサミ。ここの勘定奢るから……こいつが」
「お前の分もか?」
「会いたいっつったの、兄ちゃんやん。お膳立てはしたでしょ」
「まいったな……。そういえば、さっきこいつが誕生日がどうとか言ってたけど、アサミさんは今日が誕生日なんですか?」
急に話をふられ、しどろもどろになりながら、
「え、えっと。今日じゃなくて、一週間後なんです」
それだけ言うのが、やっとだった。
「えっ? 僕も、その日が誕生日なんですよ。こんな偶然って、あるんですね」
「ええ、本当に」
誕生日が近いと親近感がわきやすいというけれど、そのせいだろうか。さっきまでの緊張感は薄れていく。今なら、言えるかもしれない。
「あの……! あの、もしご迷惑でなければ、また会いませんか?」
自分でも、びっくりした。こんなことが言えるなんて。傍らでは友人が、やるじゃない、って目配せしていた。
お誕生日、おめでとう。貴方はまた一つ、歳をとったね。今年も貴方の側で一緒に祝うことができて、とても嬉しい。でも……。
貴方はあのときから、誕生日はいつも少し寂しそうね……。
あれがいつの事だったかは、もう思い出せない。初めて会ったときほど、私が引っ込み思案じゃなくなったとき、貴方は私を見つめながら呟いたっけ。
『この先もずっと、お前と一緒に誕生日を祝いたい』
貴方ったら、言い終わるとすぐに照れ隠しのつもりか、顔をそむけたのよね。なんか、格好悪いプロポーズだな、なんて言いながら。
今でも可笑しくなっちゃう。いつもおどけていた貴方が、見たことないくらい真面目な顔してたから。似合わないことするねって言ったけど、本当は滅茶苦茶嬉しかった。貴方の言葉を、心の中で何度も何度も反芻した。
それから毎年、毎年、お互いの誕生日を二人でお祝いした。ちょっとしたプレゼントと、普段よりちょっとだけ背伸びしたお料理。二人でゆっくりと過ごす時間がとても幸せで……。何度目かのお祝いのとき、赤ちゃんができたって伝えたこと、覚えてる? 貴方ったら、子供みたいにはしゃいで喜んだよね。世界で一番嬉しいプレゼントだって。
ねえ、笑ってよ。今日は貴方の誕生日。
おめでとうって言葉は、もう貴方に届かないけど、私の姿は、もう貴方には見ることはできないけど。
私だって、悔しかったわ。突然だったから、何が起こったかわからなかったわ。
あのとき、気付いたら貴方が泣きじゃくってるのが見えたの。真っ白な部屋で、真っ白なベッドの上に寝てる、たくさんのチューブや難しそうな機械に繋がれた、包帯まみれのものにすがり付いて、ママ、ママって娘が私を呼んでいるのが見えたの。
私ね、どうして貴方が泣いてるのかわからなくって、この白い部屋はなんなのかわからなくって、怖くって、ただ夢中で貴方と娘に呼び掛けようとしたの。何してるのって。ママはここにいるよ、ここはどこなのって。でもね、できなかった。娘を抱きしめようとしたの。貴方の手を掴もうとしたの。何度もそうしようとしたけど、どうしてもできないの。だからね、わかっちゃった。
ベッドの上のものは私なんだ。ああ、思い出した、私、事故にあったんだ。私、死んじゃったんだ……、ってね。
今日は貴方の誕生日なのに、一緒に誕生日のお祝いをすることも、もうできないって思うと、悔しかったわ。私、貴方の事が大好きだったから。離れたく、なかったの。
ねえ、今の私は『亡霊』ってものなのかしら。
「おじいちゃん、お誕生日おめでとう! これ、ゆうこからプレゼントだよ」
孫娘のゆうこから満面の笑顔と共に手渡されたのは、私の似顔絵だ。孫贔屓かもしれないが、なかなか上手く描けている。
「ありがとう。ゆうちゃんは絵がうまいねえ」
頭を撫でてやると、嬉しそうに笑う。ゆうこは絵を描くのが好きで、遊びといえばお絵かき一択である。
「ゆうこね、もう一枚、かいたんだよ。おねえさんの絵」
「おねえさん?」
ゆうこは一人っ子で、きょうだいはいない。
「どんな人なのかな?」
「んー……」
ゆうこは暫く黙っていた。喋ってもいいものかどうか、考えあぐねているようだった。
「おねえさんも、今日が誕生日なの」
「それだけしか、教えてくれないのかい?」
「だって……。だって、みんなには見えてないみたいだもん。いるって言っても、聞いてくれないもん」
子供には、大人には見えないものが見える事があるというが、正直、半信半疑だった。その『おねえさん』の姿かたちを聞き、その絵をみるまでは。
「おねえさんはね、ママに顔そっくりなの。ずっと一緒にお誕生日のお祝いしようって、おじいちゃんと約束したから、今も守ってるんだって。名前はね……」
「アサミ……!」
ゆうこは目を見開いた。
「おじいちゃん、知ってるの? 信じてくれるの?」
「ああ、ああ! 勿論さ……! 今は、ここにいるのかい?」
「そっか。おじいちゃんにも見えないんだね」
ゆうこは残念そうにうつむき、それから意を決したように、まっすぐに私を見た。
「あのね、おねえさんはいつも、おじいちゃんと一緒にいるんだよ。ゆうこのとこにも、遊びにくるけど、いつも、おじいちゃんと一緒にいるんだよ」
「そうか……。ずっと、いてくれてたのか。見えないのは、さびしいなぁ」
目頭が熱くなる。アサミ、お前はここにいるのか。
画用紙の中で、アサミは屈託なく笑っている。
「おねえさんはね、いつも笑ってて、やさしいの。ゆうこ、おねえさん大好き! ……おじいちゃん? なんで、ないてるの?」
幽霊は歳をとらない。当たり前のことだけど、なってみると淋しいものね。貴方ばかりが、だんだん歳をとっていくのに、私はこのまま、変わらない。このまま気付かれることも無いまま、貴方が魂だけになるのを待つしかないのかな、そこで再会するしかないのかなって思ってた。だけど。
ゆうこから、凄いプレゼント貰っちゃった。
私のことを伝えてくれた。貴方がそれを信じてくれた。とても嬉しいプレゼント。
寂しい誕生日は、もうおしまい。
『誕生日、おめでとう』