第四 誕生の瞬間
「ん……、んんっ……」
あれ? 何で僕はまた寝てたんだ? さっき一度起きなかったっけ。
もそもそと起き上がろうとして、どうもスッキリしない気分に深呼吸をしてみる。
「……あっ」
目一杯伸びをしてようやく気が付いた。
僕はまだ起きてない。
例の海の底のような暗闇が広がり、ゴーッという音の合間にドクッ、ドクッという振動音が鳴り響く。これは夢の世界の光景だ。
やっと意識がハッキリしてきて、僕はそれまでのことを反芻する。
あの時、僕は治癒魔法を使おうとして出て来た【瞑想】のスキルを勢い任せに使ったんだ。そうしたらよく分からない光に包まれて、気を失ってしまった。
いや、自分の部屋を確認できないのだから、まだ眠ったままなんだろう。
気絶する前に確認した小ウインドウを見れば、白と黄色の光があるだけでもう朱色の光は無くなっていた。現在地が【エミリア公国 首都フェルシナ】となっていることからも、この転生先の赤子の母親が無事町に戻れたようでホッとする。
履歴を見返しても状態は重症から軽症に戻っており、能力の【生命力】の数値も33まで回復していたのでとりあえず大丈夫そうだ。
ちなみに母親の能力も【生命力】198となっていたので問題ない。
「意外と胎児の生命力ってあるんだな。体力は2しかないけど」
とにかく【生命力】の数値は特に注意しよう。
そう思って他の数値を眺めていたら、【魔力】の数値を見て目が点になる。
「魔力17?! さっき5とかじゃなかったっけ?!」
【精神力】の数値も7に上がっていたが、確か【魔力】とどっこいどっこいだったはずだ。魔法を使えば魔力が上がるゲームもあったけど、それにしたってたったの一回で何でこんなにジャンプアップしているのか分からない。しかも【レベル】は1のまま。レベルアップと能力値が乖離するゲームもあったけど、この成長速度はなかなかに凄い。
そういやカルラが魔法は小さい頃からの訓練が大事だって言ってたっけ。
じゃあ、今この時期がボーナスタイムなのか?! スキルの【瞑想】を駆使して魔法を使いまくれば胎児のまま最強も夢じゃないとか!?
……いや、どう考えても早計だ。
だいたい僕はさっきの【瞑想】で意識を失ったわけで、負担が凄まじいのは間違いない。何となくだけど、モニター越しの胎児の力だけじゃ助からなかった気がする。こっちの成人してる僕の意識をも飲み込んでようやく使うことが出来たと考えるのが妥当だろう。
毎回気絶するなんて負担が大きすぎる。
いまだ目が覚めず夢の中にいるみたいになってる現状を鑑みれば、安易な活用は控えるべきだ。
てか、このままってことはないよね……?
僕はにわかに不安になって、どのくらい意識が飛んでいたのか時間を確認してみる。
「現在時刻は……8時34分か」
時計と意識をするだけで、モニターの右下に小さな文字で時刻と日付が表示された。確か起きたのは7時過ぎくらいだったはずだからおおよそ1時間くらいしか経っていない。
……良かった。まだ心配するような時間じゃなかった。自宅警備員の僕なら二度寝中でも全く問題ない時間だ。
一応日付も確認しておこう。
えーと、今日は4月17日だから「4/17/12789」で、うん日付は合ってるな。
……。
いや、待て待て。
なんだこの12789ってのは。
たぶん西暦何年みたいなものなんだろうけど、この夢の世界、地球よりはるかに長い期間文明が存在しているのかよ!?
魔法があるから勝手に中世ヨーロッパのファンタジックな世界を想像してたんだけど、もしかしてめちゃくちゃ進んだ未来型の都市なのか!?
いや、カルラは偽りの神々たちによって停滞させられた時を彷徨っているって言ってたから、気の遠くなる年月をずっと同じ状況で繰り返しているのかもしれない。
中世ヨーロッパだってある視点から見れば千年以上停滞していたんだし、大幅な技術革新が起こったここ数百年の歴史が存在しないと仮定すれば、あり得ないことではない。
「気になる……!」
技術革新が起こらなかった世界なんてどうなるんだろう? なんとも歴史好きの心を揺さぶられる命題だ。
いずれにせよ早く生まれて世界を見てみたい。
でも日付は同じだったし、あと数か月はお腹の中の光景を見てるだけなのかな。
……いやー、さすがにそれはないな。このままボケーッと眺めているのは気が遠くなる。スキップか、早送り機能が欲しいところだが――。
「……あったよ」
俺が考えた瞬間、画面が切り替わり、設定メニューの中の早送り機能が表示される。まさか、本当に早送りがあるなんてびっくりだ。
早送りの速度は倍速から86400倍まであった。最大倍速だと一秒一日、つまり6分くらいで一年進む計算になる。
だけど、あまり倍速にし過ぎるのもどうだろう?
とりあえず3600倍にしてみるか。それなら一秒一時間だし、知らないうちに生まれてました! とかそういう事態にはならなそうだ。
……いや、よく考えたら出産てめちゃくちゃ大変なんだっけ。赤ん坊も母親からの血流が回らなくなってちょっと苦しくなるんだったよな。
「ちょっとひよるけど」
でも気になる……!
出産は僕じゃ絶対に体験できないことだ。いつか誰かと結婚する未来が仮にあったとしても、出産の時はきっとアニメやドラマでよく見るお父さんたちと同じように病院の廊下を右往左往しているんだろう。
「やっぱり、体験してみたいな」
赤ん坊としてだけどね。それに記憶がないだけで実際は僕も生まれた時にすでに体験してるんだろうけどさ。
そうと決めたら一秒ずつ推移を見守りながら倍率を上げてみた。
何かちょっとでも変化があれば倍率を60倍まで下げよう。
そして僕はしばらくの間、もはや聞き取れないほど速く鳴り響く母親の心拍音に若干辟易しながらモニター画面に変化が現れるのを待ち続けた。
3600倍って数字だけ考えるとめちゃくちゃ早いような気がしたけど、ほぼ何も変わらない画面をずっと眺めるのはかなり退屈だった。
こっちの世界の僕の意識が戻っていたら普通にゲームとかやってて誕生の瞬間を見逃していただろう。
だが幸いなのか不幸なのか、今はこの「夢の中の自分」しか覚醒していないのでただひたすらに待つだけしかやれる事がない。
そして3か月ほど過ぎ去った時点で、突然それは訪れた。
深い海の底のような暗闇だった光景が突如グルグルと動き始めたのである。
あの襲われていた時と同じ光景に僕は慌てて倍率を下げた。この辺り、PC操作と違って意識すればすぐ切り替わってくれるのはありがたい。
倍率が下がり一秒一分単位になっても赤ん坊の動きは激しさを増していた。だが、それは誰かに襲われているとかではなくて、自分の意思でどこかへ動こうと頑張っているんだ。
って、よく考えたらこの赤ん坊は僕なんだよな。
でも僕の意識とは関係なしに赤ん坊は動いている。
きっと本能的なものなんだろう。
この閉じられた空間から、外へ外へと必死にもがいているんだ。
そして急に警告音が響き、履歴が赤くなった。
《状態が軽症に変化》
もし僕の意識が赤ん坊と完全にシンクロしていたら、その辛さに耐え切れなかったかもしれない。
だけどその一秒を画面だけでも味わおうと、倍速を元に戻した。
その刹那――。
外へ、外へ。
もがいた先には眩いほどの光が差し込み、目が眩んで何も見えない状況に喉の奥から自然と声があふれ出る。
「ほえぇん! ほえぇん!」
空気を一杯に吸い込み、泣き叫ぶ。
けれども視界は真っ暗なままだ。
「生まれてきてくれて、ありがとう……」
そんな時、優しい声が聞こえた。
何とも心地よい安心感に、少しだけ瞼を開ける。
ぼんやりとした輪郭が広がる視界の中、真っすぐこちらを向く人影があった。
それがこれから僕の母親になるスンナ=リマトその人の姿であった。
次回は6月30日までに更新予定です。
のんびり更新ですみません。