第二 チュートリアルが使えない
ちょっと待ってみよう。
僕は普通に朝起きて目をあけた。珍しくカーテンも開け放ち、太陽の光が差し込んで来るのを眩しいと感じて、慌ててレースのカーテンだけ閉めたばかりだ。
「……っ」
二度三度と目を擦る。
だが、目の錯覚でもなければ夢の続きでもない。
テレビも付けっぱなしじゃないし、スマホもパソコンのモニターも間違いなく電源は切れている。
「何だよ、これ!?」
もう、何が何だか分からなかった。
僕は間違いなく自分の部屋にいるのに、透けてはいるものの確かにそこには別の景色が広がっていたのだ。
それはまさしくRPGゲームによく出てくるようなメニュー画面で、様々な選択コマンドが景色を遮らないように端に添えられている。
目を閉じればより一層はっきりと画面が鮮明に脳内に広がっていた。それはまるで夢の続きを見ているかのようで、あまりのリアルさに薄ら寒くなる。
能力、アイテム、マップ、編成、情報、履歴、設定。
メインコマンドは左上のこの七つで構成され、画面には良く分からないぼんやりと明るい光景が映し出されていた。
「う……ぷ……」
なぜかそれを見ていると頭がクラクラしてくる。
海の奥底をイメージさせる映像なのに、耳障りなゴーッという音とともに定期的にドクッ、ドクッという大きな音が鳴り響く。
こんなゲーム画面、見たことがない。
それが無性に気持ち悪くなって、僕は再び目を見開いた。
その瞬間、視界がいっぺんに広がるも、そこにあるのは当然自分の部屋だった。薄ぼんやりとしたメニュー画面の枠組みが鬱陶しく感じるものの、自分の家に居るのが分かって少しホッとする。
ただそうなるとこの画面が厄介だ。
ゲームだったらもっと透過率を調整すれば見やすくなるのに……、とそこまで考えて僕はメニューにある設定コマンドを探ってみる。
「うわっ……?!」
ちょっと意識しただけで設定メニューが開き、様々な項目が視界一杯に広がっていった。まるでテレパシーのように画面と脳がリンクしている事実に驚き、思わずのけぞってしまう。
それはまるでパソコンのシステム設定のようなレイアウトであった。項目の多さに若干辟易してしまうが、“モニター”という欄を見つけたので意識を向けてみる。するとさらにメニューは小項目へ変化し、その中に目的の“透過率”の項目が見つかった。
「……やった」
“透過率”を最小まで弄った事で目障りな映像が全て消え去り、いつもの日常の風景が戻って来る。目を閉じても何も出なくなったことに心底ホッとし、僕は再びベッドに転がって枕に顔を押し付けた。
そして少し冷静になって考え始める。
一体全体何がどうなっているのか。
夢にしてはあまりにもリアルだし、脳細胞がおかしくなってしまったんなら病院に行くべきだろうか?
……いや、やめよう。
目を閉じるとゲーム画面が出てくるって、それ奇異の目で見られるだけだ。
ただでさえ僕は他人から理解してもらえないのに、そんな事になったら親にさえ見捨てられるかもしれない。
じゃあ、元に戻ったことだしこれで何の憂いもなくいつものように過ごそう!
……そんなふうに考えられたらどれだけ人生気楽に生きて来られただろうか。
「……っ」
僕は目を閉じたまま再び“透過率”に意識を向けた。するとすぐに調整画面が出て来て、案の定また元に戻せてしまう。
「はぁ……」
僕は深いため息を吐いた後、もう一度目を閉じて視界全体に現れた画面を注視した。
とにかく一度大まかに全体を確認してみよう。
まず目に付くのは能力やアイテム、マップ、編成という項目だが、ゲームっぽい内容だからこそ躊躇してしまう。
今僕が存在しているのは現実であり、決してゲームじゃないはずだ。なのに、ゲームと混同するような項目に慣れてしまうと、後戻り出来なくなりそうで怖い。
そういえば、夢に出て来たカルラという女の人が最後に情報を残すとかなんとか言ってたっけ。
僕はメニューの情報欄を見てゴクリと息を呑む。
「……ま、まずは履歴から見よう」
そう呟いて逃げるように履歴へと意識を向ける。毎度の事ながらこんな自分を嫌になるが、すぐに画面が転換したことで頭の中もスパッと切り替えられた。
履歴の一覧にあったのは“透過率”の変更という一文だけで、ちょっと拍子抜けしてしまう。
そもそもこんな画面が出て来たこと自体が僕の人生の中ではもの凄い変化なんだけど、そういった内容は履歴に残らないようだ。
……自分の身に降りかかった出来事が残らないなら、この“履歴”が何の役に立つのかさっぱり分からない。
そう、考えた時であった。
突如、警戒音が鳴り響くと履歴に黄色い文字が浮き上がって来たのである。
《状態が軽症に変化》
「え……?」
突然の事態に考えが追い付かなくなる。
軽症、って別に何の痛みも感じてないんだけど。
そう思って画面に映し出された光景に意識を向けると、さっきまではただ明るくユラユラ蠢いているだけだった映像が、唐突にグルグルと回転し出していた。その急激な変化に僕は気持ち悪くなり、ベッドの上でのたうち回ってしまう。
ことここに至っては躊躇している場合ではない。この気持ち悪さの原因が何か調べる為、僕はまだアクセスしていないメニュー項目を次々と開き始めた。
まずは情報だ。
ちょっと意識するだけで簡単に次の項目が列挙されるのは相変わらずだったが、そこに羅列された内容は本当にゲームなんじゃないかと困惑させるものだった。
基本情報
キャラクター情報
地理空間情報
アイテム一覧
スキル一覧
魔法一覧
書記による記録
6つの情報とは別に一つだけ離れた場所にある“書記による記録”という項目が目に付いたので、まずそれを選んでみる。
こういう所は僕の性格の問題なんだろう。新しいゲームとかでも、必要そうだけどありきたりっぽい項目は後回しにして先に良く分からないものから見てしまうんだ。
ただ、今回はそれが功を奏した。
「これ……!」
探していたカルラの伝言が一発で見つかったのである。そこだけ緊張感の欠片もない丸文字でクリクリと記載されているのが目に痛い。
『やっほー。そっちの世界でも元気してる? セイ。残念だけど、そっちの世界だとセイの事を把握しかできなくて、私は何もしてあげられないの。だから記録って形で書記のアナに伝言を任せたわ。ぜひ参考にしてね』
把握できる、という表現に僕はビックリして思わず辺りをキョロキョロ見回してしまう。だが、別に変な視線は感じないし、特に何か居る気配もない。
『まず一つ目。セイがゲーム好きなのは知ってたから、出来るだけゲームっぽくしてみたよ。気に入ってくれた? 驚いたかな?! 一応、二重視界程度なら人族も対応出来るはずだから早く慣れてね。セイはそっちの世界の住人だけど、今はこっちにも精神体があるから下手な行動をしないように気を付けて』
……のっけからさっぱり分からない。
ゲームっぽく、ってのはこのメニュー画面の事だろうけど、二重視界って何の事だ? 今いるこの部屋と薄ぼんやりと透けて見える変な色合いの映像の事なんだろうか。
それに下手な行動って言われても、何をどう気を付ければいいのかどこにも書いてない。
「……っ、チュートリアルが使えない」
思わず愚痴ってしまったが、カルラに聞こえているかと思うとちょっと嫌な気分だ。だが、今はとにかく先を続ける。
『続いて二つ目。赤ちゃんの頃から魔法を鍛えると魔力が上がりやすいから頑張ってね。でもあまり簡単な魔法ばかり使いすぎると魔力が上がりにくくなるから注意! ここ大事だからね。あ、もちろん無茶し過ぎると最初からになっちゃうから慎重にね』
そういえば魔法によって偽りの神たちに対抗できるって言ってたっけ。
ってか、そもそも魔法をどうやって使えばいいのかが分からないんだけど。
『最後に三つ目。最初の目標は魔道王国と呼ばれる場所の地下深くにある封印よ。そこには偽りの神たちの一柱によって仕掛けられた強大な魔力に覆われたあるモノが置いてあるんだけど、それを手に入れて欲しいの。何しろ、それがセイの手元にあればこっちの世界でもあなたを見守ることが出来て、もっと手助け出来るようになるから頑張ってね~』
伝言はそれで全てであった。
最初の目標って、何を考えているんだ?
そもそも、この映像が何なのかさえ分からないのに、どうしろと……。
そこまで考えて、僕は重大な事実に気が付いた。
出来るならば嘘であって欲しい。そう思いながら僕は情報を閉じ、今度は能力にアクセスする。
そこには自身の能力が逐一記載されていた。
だが最初の三つ、【名前】、【年齢】、【誕生】の項目は空白なのである。
「赤ちゃん、ってまさか、今映っているのって母親のお腹の中なのか?!」
産まれる前から始まるゲームなんて聞いたことない!
信じられない難題を前に、僕は途方に暮れるしかなかった。
次回は6月15日までに更新予定です。