第九 ここは魔法の世界
結局もうしばらく清浄魔法を使うと決め、結論を先延ばしにすると、今日も今日とていつものルーティンを続けるべく周辺マップで人影を示す白色の光がなくなるのをずっと待っていた。
だがいっこうに人の行き来が途絶えず、むしろどんどん光の数が増えていく状況に、何かおかしいと感じた僕は、周辺マップの縮尺を小さくして思わず声を上げそうになる。
城門付近に白色の光が何十何百と集まっていたのだ。
慌てて門外の方まで確認してみれば、まだ僕がスンナのお腹の中だった時に襲われた辺りに赤色の光が幾重にも連なっている。
……え、もしかしてこれ戦争?!
スンナは今日ものんびりとして、たまにこちらの様子を伺ってはにこにこ微笑んでいるが、外は大変な事になっていると気付いていないのだろうか。
せっかくここまで成長したのに、戦争で死んじゃうとか絶対に嫌だよ。
やきもきしながら状況確認を続けていると、突如周辺マップにスンナとは別の青色の光が現れた。白色だった光の一つが青色に変わったと言った方が正しいかもしれない。
そして真っすぐこちらに向かって来たかと思えば、部屋の扉が勢いよく開かれ、メイン画面に鋼鉄の鎧に身を包んだ兵士が現れる。
「―――! ―――……」
兵士は甲冑の顔を覆うベンテイルを上げると鬼気迫る表情でスンナに向かって何事か叫び出す。それに驚いたスンナが慌てて僕を抱きかかえると、その大きな胸で圧迫されるほど押し付けられてしまい、視界が完全に胸だけで塞がってしまった。
何も考えず画面だけ見れば嬉しい光景なのかもしれないが、なんて言うか、もはや母親としか思えない人の胸に包まれてもその手の感情はまったく湧き上がらない。どちらかと言えば、視界が遮られ、何をしているのか分からないことにもどかしさを感じてしまう。
分かったのは、チラッと見えた白髪混じりの髪から兵士が年配の男だったことと、スンナがすぐにこの男を信用したことくらい。あとはもうスンナの胸に聞いてくれ状態だ。
これが普通のゲームのイベントだったなら、なんてことないワンシーンとしか思えなかっただろう。だけど、この臨場感、切迫感はそんな作り物とは完全に一線を画していた。
僕はスンナに抱えられ揺れ動く画面を見据えながら、突然沸き起こった異常事態にハラハラしながら状況の推移を見守る。
とは言ってもメイン画面は顔を圧迫して来る巨大な胸の映像だけなので、頼りにするのは右下の周辺マップだ。
城門付近の白色の光はどんどん数を増し、それに対抗するかの如く門外へと赤色の光も迫って来る。
そんな中、スンナたちはちょうど見張りが消えた好機とばかり城下を駆け抜けていった。
食事処、果物屋、手芸店、花屋、錬金工房と、今まで見たことが無かった店が次々に周辺マップに加わっていく。
……え?
錬金工房って何それ!? もの凄く行ってみたいんですけど!
妄想が膨らむワードに僕の意識はあっという間に飛んでいってしまった。
気を取られている場合じゃないのはわかっているんだけど、錬金術って何かこう、響きだけで幻惑させられるんだよね。物語のような話なのに歴史では何度も登場するってのが、またさらに妄想を掻き立てられる。
僕は少しの間、周辺マップの錬金工房の場所を眺めながら、錬金術の歴史に思いを馳せていた。
もちろんそんな僕のそわそわした気持ちなど伝わるはずもなく、スンナたちは店の前を素通りし、どんどん城下の僻地へと向かっていく。そして、気付けば周辺マップに白色の光がほとんどなくなっていた。
今、どのあたりだろう?
もうかなり西の方へ来ており、城門はおろかたまに馬車で向かう城よりもはるかに家から離れている。フェルシナがここまで大きな城下町だとは思っていなかったが、おそらく城門は目と鼻の先だろう。
そこまで来てようやく二人の足取りが止まった。メイン画面を見れば城下の慌ただしさも遠い喧噪となり、辺りは妙に静まり返っている。
これからどうするのか周辺マップを見返し考えていると、不意にメイン画面から明かりが消え、暗闇で何も見えなくなった。どうやらどこかの建物に入ったようだが、窓一つない建物ってのもおかしな話である。そう思っていたら周辺マップがさっと切り替わり、左上に地下一階の表示が現れる。
……地下一階?
僕が驚いている間にも表示はさらに切り替わり地下二階になっていた。相変わらずメイン画面は暗いままだが近くに水の流れる音が響いて来たことで、ここがどういう場所なのか瞬時に理解する。
……ここ、下水道だ。
まさか赤ん坊を抱えて、不衛生極まりない下水道にやって来るとは思わなかった。
僕はここぞとばかりに清浄魔法を使って自分とスンナの周りだけでも空気を綺麗にする。少しだけスンナの動揺が伝わって来たけど、特に問題ないはずだ。
それにしてもいつの間に地下へ移動したのだろう?
メイン画面を見ている限り階段を下りた感じはしなかったんだけど。履歴を確認しても魔法が使われた形跡は無かったので、もしかすると何か魔法の道具みたいなものでも使ったのかもしれない。
スンナたちは先ほどまでとは打って変わって、足音を立てないように慎重に歩き始めた。事ここに至れば、この二人がどういうつもりなのか僕でも分かる。
下水道が繋がっているのは当然川か池か、いずれにせよ城外になる。――つまり二人はこの国の首都フェルシナからどこかへ落ち延びようとしているんだ。
城下は今、戦争で明らかに混乱状態だった。その間隙を縫って下水道から逃げるなどなんとも用意周到な作戦である。きっと前々から計画していたに違いない。
周辺マップを切り替えれば、地上では今まさに戦いの幕が切って落とされようとしていた。対してこの下水道には白色、赤色の光は一つもない。普通に考えれば攻撃側もいきなり下水道に兵は割かないだろうから、逃げるには絶好のチャンスだ。
一応警戒しながらも二人は迷うことなく進み、やがて地上への脱出に無事成功する。
周辺マップを確認すると、フェルシナの西約1キロ進んだ辺りだった。意外と下水道は長く続いていたらしい。
「―――。……――」
「そんな!? 私一人でこの子を守って逃げろと仰るのですか!?」
突然、スンナの言葉が脳裏に響き、ハッとしてメイン画面を見直すと、胸に圧迫されていた映像が多少ずれて後ろに広がる岩壁むき出しの斜面が見えた。
こんな場所に下水道の出口があるのはなんともしっくりこない感じがする。もしかするとエミリア公国の公主が万が一の際に落ち延びる為の隠し通路の類だったのかもしれない。
少し首を動かせそうだったので後ろの様子を見やれば、先ほどの初老の兵士が敬礼したまま、出口の側で立ち尽くしていた。
スンナの言葉と照らし合わせるなら、男はこのまま城下に戻るらしい。
「――。―――」
「……はい。承知しました」
また何事か話した兵士の言葉に、今度はスンナも少し俯き加減だったが頷く。その後も二人は話し合いを続けたが、僕には何を話しているのかまた分からなくなってしまった。
大陸公用語:習得率49%
以前よりもだいぶ習得率が上がっていたが、やはり完全に聞き取れるわけではない。早口だからとか、小声だからとかではなく、どうやらスンナの感情によって赤子の理解力が左右されるようだ。
分かる言葉が徐々に増えているだけでも御の字と考えるしかないが、なんとももどかしい。
話が終わると兵士の男はスンナに路銀の入った皮袋を与え、そのまま下水道へ戻っていった。それを最後まで見送ることなくスンナは再び僕を抱え直すと森の中を北へ向かって走り始める。
森とは言ってもところどころ岩が露出した悪路であったが、まるで草原を駆けるが如く悠然と走るスンナは凄い運動神経である。もしかしたら軟禁状態だった時もこの日の為に僕の知らない所で鍛えていたのかもしれない。
しばらく岩場の続く道を颯爽と走り抜けると、だんだん木々が無くなり、背の高いススキのような黄土色っぽい色の草が生えた場所まで辿り着いた。そこまで来てスンナはようやく一息つき、持ってきた黄土色の服に着替え始める。そして赤子も同じ色のフードに包み込むと、スンナはそのまま草の中へ身を紛れ込ませ、今度は辺りを確認しながらゆっくりと歩き出した。
この場所ならかなり遠くまで見通せるし、こちらの姿は背の高い草に溶け込んでいるのでほぼ安心だ。
まあ、周辺マップを出来る限り拡大して状況確認していたから大丈夫だって分かってるんだけどね。
ただ僕はここが魔法の世界だってことを失念していた。
まだ僕が様々な種類の魔法を認識していないだけで、いくらでもスンナの場所を把握する手段はあったのだ。
ピーッ!
突如メニュー画面から甲高い異音が響き渡り、僕はビックリしてすぐさまメニュー画面を見直すと、履歴の文字が反転して文字の色が黄色く光っていた。
前もあったけど色が違うのはあまり良いことではない。
一瞬の躊躇の後、僕はエイッとばかりに気合を入れて中を確認する。
はたして飛び込んで来た文面は思わず顔を顰めるものだった。
《探知魔法を捕捉》
《感知魔法を捕捉 回避》
全く気付かないうちに僕はどこからか魔法を受けていたのである。
遅くなり大変申し訳ありません。
また、しばらくの間、更新できそうもない状況となりました。
次回は12月31日までに更新予定です。




