伝説の回復魔法、今ここに蘇る
「は、腹、減った~」
とその小学生は、床に座りこんでしまった。
勝人は、思わず手にしていたコロッケサンドを取り落としそうになり、我に返った。
「腹、減ってるなら、なんか食うか。
今日は、クロケッテンミットブロェートヒェンが余ってるから、分けてやるぞ。」
意外と子どもに優しい勝人であった。
が、商品名を全部ドイツ語表記にするのはやめた方がいいんじゃないか?
お店に来た人が、たまにそれがコロッケサンドなのか、未知の食べ物なのか迷っているのだが…。
「く、くろけって…?」
「クロケッテン、ミット、ブロェートヒェン、だ。」
親切に一語ずつ区切って発音した勝人だが、英語しか触れたことのない小学生には、ややハードルが高すぎるか。
親のお金で英会話スクールなどに通って、間違いなく勝人より英語はできるだろうが。
発音はままならなかったものの、空腹には勝てなかったコスプレ小学生は、
「…ください…」
と勝人に頭を下げた。
勝人は工房の端に除けておいた売れ残りのコロッケパン(今朝揚げたコロッケだが、油モノは時間がたつと油くさくなってしまうので、昼過ぎには引き上げてしまう)を1つ取ると、小学生に手渡した。
「ありがとっっ!」
礼を言うが早いか、小学生ははみ出ていたコロッケに勢いよくかぶりついた。
「カリッとしてるのに、中はクリームみたいに柔らかい!
この茶色のソースが甘酸っぱくておいしい!」
「フフ、それがうちの、ズィーゲルのクロケッテン(勝者のコロッケ)さ。」
ご満悦の勝人に構うことなく、小学生はあっという間に1つ平らげた。
「おいしかった! …もう‥‥ない…」
打ちひしがれた様子の小学生を見て、勝人の男気がむくむくと湧き出た。
「コレは捨てちまう分だから、いくらでも食いな。(ホントはオレの昼・夕飯だけど…)」
その言葉を聞くが早いか、小学生はすごい勢いで、バットに並べられていたコロッケパンをむさぼり食い尽くした。
その数10個。
小学生ならせいぜい3つだろう、昼にあと3つ、夕食に4つ残ればいいという、勝人の考えは甘かった。
「Kroketten mit Brötchen!」
さっきまで一語さえも耳コピできていなかった小学生が、コロッケパンでエネルギーを取り戻したとばかりに、正しい標準ドイツ語の発音で、「コロッケサンド!」と唱えた。
すると、魔法の杖を模したと思われる木の棒から、光線が飛び出した。
余りのまぶしさに思わず目をつぶった勝人が、目を開けると、そこには小学生の姿はなく、JK(注:魔法使いのコスプレのまま)が立っていた。
「ありがと~♪
あたし、お腹ペコペコだったから、すっごく助かっちゃった☆
お腹空くと、体が小さくなっちゃうなんて不便よねぇ。
コレ、魔王にかけられた呪いなのよぉ。
アイツめ、今度会ったら、ただじゃおかないから!
でも、おかげで、おいしいもの食べて、新しい魔法も覚えちゃった。
魔王城の森の中に、ここにつながる扉があるなんて、きっと誰も知らないわよ~。
うふふ、あたしだけのヒ・ミ・ツにしちゃお♪
あれれ、パン屋さん、どうしたの?
さっきから、一言もしゃべってないけど…」
JKは、コスプレではなくどうやら本当の魔法使いだったようだ。
杖から出た光線と、その結果である美女の出現は手品というには大掛かりすぎる。
しかし、目の前の出来事を咀嚼できずにいた勝人は、返事をしようと思っても、口をパクパクさせるだけだった。
顔筋の金魚運動をしばらく行ったのち、ようやく口から出てきた言葉は、
「キ、キミは誰だ?!」
「魔法使いの弟子のベルでぇす。」
「べ、ベル…? な、なぜここにいる。」
「扉術でできた扉が、ここにつながってました♪」
「とびらじゅつ、とは何だ。」
「うーんと…『えいっ!』と思うと、扉が出てくる魔法でぇす。」
「その扉をくぐったら…?」
「そう、そこのぉ」
とベルは、両親の形見である窯を指さした。
「そこの?!」
「扉につながっていて、ここに出てきました☆」
「…元のところに帰れるのか?」
「うんっ! あたしの扉術は、ちゃんと往復だお。片道切符なんて低級魔法と一緒にしないで!」
魔法や魔術には、それなりに詳しいはずの勝人。
冷静になれば、質問も山ほどしたいところだろうが、まだ呆然自失の態である。
「ホントに、助かりました。
エネルギー不足だと、お師匠さまのところにも帰れなくってぇ…
新しく覚えた魔法、どんな効果なのか、もう一度詠唱してみるね!
クロケッテン ミット ブロェートヒェン!」
ベルが魔法の杖を振ると、再び辺りは光に包まれ、勝人はまたもや目をつぶってしまった。
目を恐る恐る開けると、JKは掻き消え、そこにいたのはぴちぴちの美女であった。
「あは~ん、この魔法は詠唱すると、エレルギー状態が改善されるのね。
また、元の姿に近づいたわ。
ご馳走をいただいた上に、回復魔法を教えていただけたなんて、お礼の申し上げようもないわ。」
美女は年の頃なら二十代前半か。
その辺を歩いていたら、女子大生だと思われるだろう。
しかし、妖艶さはぱない。
「あなたの希望するお礼をさせていただくわ。」
美女にそういわれて、動揺しない男子がいるだろうか、いやいない。
勝人が「静まれ、オレの心音」と独り言を言っていると、美女は急に、
「大変、門限の時間になっちゃったわ。
じゃあ、次に来るときまでに、何がいいか考えておいてくださる?
本当にどうもありがとう!」
と言い残し、窯の扉を開けると、吸い込まれるように入っていった。
勝人は美女が消えた窯をいつまでも見つめていた。
そのうち、また窯の扉が開いて、誰か(できたら、小学生より女子大生希望)出てくるのではないか、と思って…。
しかし、何も起こらない。
今のは白昼夢であったかと、ふと作業台の上を見ると、今日の業務日誌が開かれたまま置かれていた。
【〇月×日 14時 クロケッテン ミット ブロェートヒェン 廃棄10ケ】
と、確かに自分の筆跡で書かれているのに、廃棄処分をおくバットは空っぽ。
ただ、掌の中に食べかけのコロッケサンドがあるばかりだった。