ドイツ語の解る男、ズィーガー(と書いて勝人と読む)
チリンチリン。
新宿は十二社の、こじんまりしたパン屋のドアベルが鳴った。
「すみません、道をお尋ねしたいのですが。」
火山勝人の経営するドイツパン屋に親子連れが入ってきた。
「スーパーマーケット『星』の前の黒森さんというおうちをご存じですか」
と娘の手をつないだ母親が言うと、勝人は、
「ああ、シュヴァルツヴァルトさんのお宅ですね。
ズーペルマルクト『シュテルン』は、そこのヴァッシュザローン『トイフェルベルク』をリンクスです。」
「………。ありがとうございました。(別の人に聞こう…)」
店を出た娘は、
「おかあさん、あのひと、にほんじん?」
「うーん、お母さんにもよく分からなかった…」
一方の勝人は、
「スーパーマーケット『星』は、そこのコインランドリー『鬼山』を左です」
と親切に、分かりやすく教えたつもりだった。
がっ!!
固有名詞や、一般化してない名詞をドイツ語化しても通じないことに勝人は気付いていない。
長らく患った中二病の後遺症の一つ「傍若無人」である。
チリンチリン。
再度の来客のようだ。
「Entschuldigen Sie!!!(すみません)
Wo kann man eine öffentliche Toilette finden?
(この近くに公衆トイレはありませんか)」
どうやら、パン屋のドイツ語の看板を見て、ドイツ語が通じると思った観光客がまた道を聞きにきたようた。
都庁などの高層ビルの観光に来るドイツ人は多い。
質問を理解した勝人は、ドイツ語で「向かいにあるよ」と回答する。
「ダス フィンデット マン ゲーゲンユーベル(gegenüber)!」
「Übel? Ich hab kein Übel sondern durchfall!(嘔吐? 嘔吐じゃなくて、下痢なんですよ)
Ops, nicht geschaft…(間に合わなかった…)」
泣きながら、ドイツ人観光客は出ていった。
がっ!!
「Feuer(火、火をつけるから転じて『撃て!』)」を標準ドイツ語の「フォイヤー」ではなく、「フォイエル」と覚えた中二病罹患者の発音では、「über(ユーバー/向こう)」が「Übel(ユーベル/嘔吐)」に聞こえてしまったようだ。