1.7 英雄が生まれた日(上)
入学式から数日後、私はいつものように例の場所に行こうと、放課後廊下を歩いていると、後ろから「すみません!」と声をかけられた。振り返ってみると、一人の人馬族の少年が立ったいた。
「やっぱり校長先生だ。突然呼び止めてしまってすみませんでした。だけど、どうしても校長先生に相談したいことがあったんです。」
「そうですか……。わかりました。ここじゃなんです。私の部屋に行きましょうか。」
「は、はい。ありがとうございます。」
校長室に着いた私は、まず、お気に入りの紅茶とその紅茶に合うお茶菓子を二人分用意する。そして、生徒に紅茶とお茶菓子を口にするように促し、生徒がある程度落ち着いた頃、生徒へ話しかけた。
「それで、君の相談というのはどういったものなのかな?」
「は、はい。えっと……それでは、校長先生にお伺いします。どうしたら僕も“英雄”になれますか?」
そう言って彼は私にお辞儀をした。私は彼に顔を上げるように言う。
「“英雄”ですか……。」
「はい。実は僕のお祖父ちゃんは、あの有名な“鉄壁”なんです。だから、僕もそんな存在になりたくて……。それをお祖父ちゃんに話したら、『知りたかったら、私の母校の校長先生に訊いてみなさい。』って言われたんです。」
そう言って、人馬族の彼は真剣な眼差しで私を見つめる。私は目の前の彼をよく見る。茶色がかった赤い髪の毛がよく似合う元気溢れる少年である。
「……そうですか。君があの“鉄壁”のお孫さんですか……。」
そう言って、“鉄壁”と謳われた少年のことを思い出す。
◇ ◆ ◇ ◆
“鉄壁”とは、あの“英雄”を目指していたジークのことである。
彼はこのエスティア学園を卒業後、自分の国に帰り、そこで傭兵となった。すると、依頼主を選ぶものの、依頼を受ければ依頼主の“盾”となり、どんな危険からも身体を張って守ってくれることで旅商人や貴族の間で有名になり、次第に、その近隣諸国でも知られるような存在になっていった。
そうして、彼が着々と傭兵としての実績と信頼を築き始めてから数年の月日が流れた頃、彼の転機となる事件が起こる。それは、奇しくも彼の曾祖父と同じような状況であった。彼が訪れた街が魔物に襲われたのだ。
ジークは大きな仕事が終わり、他の傭兵仲間らと共に帰路についていた。彼らはその途中、小さな街に寄る。
その街は森を切り開いて作られた街で、この道を通る冒険者や旅商人などの休憩所としての役割を担っており、小さいながらも活気溢れる街であった。彼らはここで一泊し、無事依頼を完了させた祝いの宴を開こうと考えていたのだ。
しかし、それは叶わなかった。日が真上に差し掛かろうとする頃、大型の魔物が街に接近してきたのだ。
その魔物は“魔獣”と呼ばれる、体長が最大で10mにもなる、獅子に似た魔物だ。黒い毛並みに、まるで地獄の炎の如く逆立つ紫色の鬣を持ち、鋭い爪と牙は大木を一撃で粉砕できる力を持ち合わせている。
さらには雄の頭にだけ生えている、血の色を思わせる一本の紅い角は、大岩をも簡単に穿ち、さらに、魔力を角と同じ色をした稲妻に変えて帯びており、それを放つこともできる。村や小さな街程度なら半日で壊滅させることもできる危険な魔物だ。
普段、魔獣は山の奥深くに棲んでおり、滅多に麓には降りてこない。しかし、そいつは縄張り争いに負けて追い出され、飢えて山の麓まで降りてきたのだろう、稲妻を帯びているはずの角は途中で折れており、身体中傷だらけであった。それでも危険な魔物特有の威圧感だけは放っていた。
街の警備隊は住民を逃がすため、決死の覚悟で魔獣を足止めすることを決意し、各々装備を整え始めた。街の周辺にも魔物や動物はいるが、彼らの主な仕事は街の風紀を守ることであり、魔獣のような強い魔物とは戦う訓練は受けていなかった。
勝ち目の無い勝負をしようとする警備隊にジークたちはある提案した。警備隊には住民の避難の護衛を任せ、自分たちが魔獣の相手を請け負うという申し出をしたのだ。それは、自分たちの命を危険に晒す提案であったが、提案者であるジークはこう言ったらしい。
「住民が危険に晒されているんだ。放ってはおけない。」
そう言う彼の後ろでは、かつて彼の学友で親友だったという鱗人族の青年を筆頭に数人の傭兵たちが、任せろと言わんばかりに胸を張っていた。
それでも、彼らだけでは魔獣を倒すなど到底叶わず、退かせられるかどうかも微妙なところだった。さらに魔獣は飢えている。生半可なことでは退くとは思えなかった。
そこで、ジークは警備隊に、避難の護衛のほかに冒険者ギルドなどの機関に応援を依頼するように頼んだのだった。
警備隊の数人が森を抜けた先にある大きな街へ応援を要請しに馬に乗って出発したのと共に住民の避難が開始される。
そして、それから数分後、街の外壁の上から肉眼で確認できるところまで魔獣は来ていた。それは魔獣からも言えることであり、奴は一度雄叫びを上げた後、その巨体から想像できないスピードで駆け出して来た。
そして、魔獣が数分で街の外壁に到着するというところまで来た時、突然魔獣の足元の地面が槍のように隆起する。魔獣は堪らず後方へ跳ぶことでそれを回避するが、森の中から、空中に浮いた魔獣の右眼を狙った矢が飛んでくる。それを前脚で撃ち落とした魔獣は、着地後、矢の飛んできた方を見る。
そこには、森の中から出てくるジークたちの姿があった。
「すまない。今ので片目だけでも潰せれば少しは楽になるはずだったのに……。」
「今のは仕方がない。相手の方が一枚上手だったと考えよう。」
「ジークの言う通りだ。切り替えて次に備えるぞ。魔術師、次の魔法の準備!」
「は、はい!」
矢を外した深森人族の男をジークが慰める。そして、両手剣を構えた壮年の男が檄を飛ばし、ひ弱そうな魔術師の青年が詠唱を始める。
魔獣は、前方の相手の出方を窺う。すると、突然、左後ろ脚の太腿に激痛が走る。その痛みはそこからすぐに背中、右肩へと広がっていき、最後に右眼を鱗に覆われた尻尾が強打した。堪らず魔獣は悶絶する。
「喰らえ!“大地ノ牙”」
そこへ魔術師の土魔法が発動する。術の名の通り、まるで大地が牙を剥いたかのように、魔獣の両脇から土でできた棘がいくつも隆起し、奴に喰らいつく。
そして、地面から出現した牙に肉を喰い破られ、身動きの取れなくなった魔獣を狙って、再度深森人族が弓を引き絞る。十分に狙いを定め、さらに風魔法まで併用して放たれた矢は、
まるで吸い込まれるように魔獣の右眼に飛んでいき、今度こそ奴の右眼に突き刺さった。
「ナイスだ、リュート!」
「当ったり前よぉ!この俺様が失敗する訳ねーだろ!」
そう言って、親友はジークの隣に着地する。お調子者の性格は今となっても変わらない。彼は最初の奇襲の時点で魔獣の後方に回り込んでいたのだ。そして、奴の注意が前方に向いた頃合いで一気に接近し、右手のククリナイフを左後ろ脚に突き立てた。その後、勢いそのままに身体を駒のように回すことで背中側から右肩まで双剣で斬り裂き、最後に強靭な尻尾で顔を叩きつけることで大きく跳躍し、奴の攻撃範囲から離脱したのだった。
しかし、やられた魔獣も黙ってはいなかった。力技で拘束を破り、彼らへと突っ込んで来る。ジークは振り降ろされた奴の前脚を左手の大盾で受け流す。そして、その勢いを殺すことなく左足を軸にして右手の斧槍で回転斬りを放つ。さらに横合いから壮年の男が両手剣で奴の腹を斬りつける。
そうして、彼らが連携を取ってジリジリと奴の体力を削っていると、突然魔獣が溜めの構えを取る。角に魔力が集まり、稲妻も帯び始める。
「皆さん、下がってください!“土壁”」
魔術師が作った土の壁に向かって皆が駆け出す。しかし、皆が下がり切る前に魔獣が動く。角の輝きが一層激しくなり、奴が角を掲げる。しかし、角が折れている所為か、放たれた稲妻が無差別に飛んでいく。
「っぐわあぁぁぁ!」
「っがぁぁ!」
それでも、魔獣の全力の一撃だ。その一撃が戻り遅れた壮年の男と深森人族に当たる。死んではいないが、あれではもう動けないだろう。
「……二人はやられたあの二人を回収して戦線を離脱してくれ。僕が時間を稼ぐから。」
「何言ってんだ!?五人掛かりでやっと優位に立ち回れてる状況だぞ!!」
「そうですよ、ジークさん!一人でなんて無理ですよ!!」
ジークの提案に二人は反対する。けれど、「それでも!!」とジークは叫ぶ。
「動けない二人を庇いながら三人で戦うなんて、それこそ無謀だ。ならば、“盾”である僕が足止めに徹して、体勢を立て直す方が全員生き残る可能性がある。大丈夫だ。相手は瀕死寸前だし……“守る”のは僕の専売特許だ。簡単にはやられてなんてやらないよ。」
そう言うジークに、親友は納得できないという顔をして、尻尾で地面を、ペタン、ペタンと叩く。それを見てジークは困った顔をしてしまう。
「……絶っ対ぇ死ぬなよ。死んだらタダじゃおかねぇぞ。」
「……ありがとう、リュート。約束するよ、絶対死なないって。だから、二人を安全な場所に運んだら、さっさと戻ってきてくれよ。」
親友はやるせない顔で、魔術師の青年は今にも泣きそうな顔でジークを見る。ジークは一度だけ笑顔で二人を見た後、もう一度、気を引き締める。その顔は覚悟を決めた顔だった。
三人は一斉に土の壁から飛び出す。ジークは魔獣の方へ突っ込んでいき、残りの二人は倒れた仲間を回収しに行く。
リュートが壮年の男を、魔術師が深森人族を担いで街の方へと後退していく。後ろから聞こえてくる魔獣の雄叫びと戦闘の音に不安を掻き立てられながら……