1.6 己が目指す英雄
「それじゃあ、シズクを家まで送って行くから。ジーク、晩飯のこと頼んだぞ。」
「じゃあね、二人共。また明日。」
そう言ってシズクの家へ向かうリュートとシズクを、ジークとソニアは見送る。
そして、ジークが寮に帰ろうと歩みを進めようとすると、後ろから「待て。」と呼び止められる。振り向くと、気難しい顔をしたソニアがこちらを見ていた。
「どうしたの、ソニアさん?」
「先程の話の続きだが……お前は傭兵になるのだったな?」
「そうだけど……それがどうかしたの?」
ソニアの質問の意図が分からず、ジークは彼女に訊き返す。すると、彼女は言おうかどうか迷うような仕草をした後、意を決したかのようにジークの目を見て、口を開いた。
「ならば私の国に来ないか!」
ソニアに突然そう言われ、ジークは困惑する。気付くと彼女の頰と耳が、夕焼けと同じくらいに真っ赤に染まっていた。彼女はさらに言葉を続ける。
「お前は“英雄”になるのが夢なのだろう。先程も言ったが私の国には危険な動物や魔物が多い。そういった奴等から民を守ってゆけば、そのうち皆から“英雄”として尊敬されるはずだ。それにお前は強い。これからどんどん強くなるだろう。私の国にはお前のような強い奴が必要なのだ。」
若干涙目になりながらソニアは必死に言葉を続ける。まるで、遠くに行ってしまう大切なものを繋ぎ止めようとするかのように……。
「暮らしていくのだって問題ないはずだ。私の国にはお前のような人族は少ないが、種族が違うからといって邪険にする輩など、私の国にはいない。食べ物だって美味しいぞ。国には大きな湖があるから魚だって食べられるぞ。夏はここより少し暑いかもしれないが、そんな時は湖のほとりや近くの川で水浴びしたり、泳いだりすればいい。水が一層冷たく感じられて気持ち良いんだ。もちろん卒業してすぐにとは言わん。お前が言っていた自分の国で名を上げたいという気持ちが分からん訳ではない。自分の国で、ある程度名が知れ渡ってからでも私は構わん。だから……」
「ごめん、ソニアさん……。それは無理な相談だ。」
必死に言葉を絞り出すソニアに、ジークは短くそう言った。
すると、彼女の顔はみるみる赤色から青色へと変わり、綺麗な緑色をした瞳からは涙が流れ落ちる。拒絶されたショックからか、身体から力がどんどん抜けていき、遂には、その場で膝から崩れ落ちてしまった。口からは「やはり、私のような女では駄目なのか……」という声が小さく漏れ出ていた。
「わわ!?ごめん、ソニアさん!」
突然、座り込んで泣き出したソニアにジークは驚いて、急いで弁解しようとする。虚ろになった彼女の瞳が少しだけジークの方を向く。
「ごめん、ソニアさん。訳も言わずにいきなり断ってしまって……。ちゃんと話すから聞いてくれるかな?」
そう言ってジークは、懐からハンカチを取り出してソニアの頰を拭く。すると、彼女の瞳に光が戻ってきて、不満そうな顔をしながらも彼女は立ち上がった。
「……それは、私の誘いを断るのに値するものなのだろうな。」
不機嫌そうにソニアが訊く。彼女の一世一代の誘いを断ったのだ、それ相応の理由がないといけないだろう。
「少し長くなると思うから、歩きながら話そう。」
そう言って、二人はゆっくりと歩き出したのだ。
◇ ◆ ◇ ◆
「校長先生の話をした時に、僕の曾祖父ちゃんが“英雄”と呼ばれる人だったことは話したよね。」
そう言って、ジークが話を切り出す。ソニアは軽く頷くことでそれに答えた。彼女は、目元がまだ赤く腫れていたりはしているが、概ねいつも通りの彼女に戻っていた。
「僕が校長先生と話したときに、校長先生が言っていたんだ。『最初から“英雄”として生まれた者なんていない。そして、自分の信念を貫こうとする意思の強さが“英雄”にとって必要な力なんだ』って。その時ふと思い出したんだ。お祖父ちゃんに僕が英雄になりたいと言った時に、お祖父ちゃんが『ジーク、“英雄”というのはな、ただ目指しているだけでなれるものではないんだよ。“英雄”という存在は、その“力”を示すことで初めて生まれるものなんだよ。』って言っていたのを。」
懐かしそうにジークは言う。
「当時の僕にはわからなかった。なぜ目指すだけでは“英雄”になれないのか、そして、“英雄”になるのに必要な“力”とは何なのか。分からないまま“力”とは強靭な肉体や強力な技だとばかり勘違いして、身体を鍛えたり、技を磨くことばかり考えていたんだ。」
ジークの話を聞きながら、ソニアも考える。しかしながら彼女にもジークのお祖父さんの言葉の意味が分からなかった。
「だけど、校長先生の話を聞いていて、なんとなくお祖父ちゃんが言っていたことが分かった気がしたんだ。校長先生の話の中の曾祖父ちゃんからは“英雄”になりたいっていう気持ちがほとんど感じられなかったんだ。そして、曾祖父ちゃんが“英雄”と呼ばれるようになったあの防衛戦の時もそんな気持ちはなかったと思うんだ。」
ジークはソニアの方を見る。
「曾祖父ちゃんの心にあったのは“守る”という強い想い、ただそれだけだったと思うんだ。」
そう言って、ジークは柔らかい笑みを浮かべた。
「曾祖父ちゃんはその信念を貫く、ただそれだけを想って戦っていたんだと思うんだ。その想いはその人にいつも以上の力を与えてくれる。そして、その想いの……意思の強さが強ければ強いほどその人を強くしてくれる。それは時に、他の人とは一線を画するほどの力をその人に与えてくれるんだと僕は思うんだ。その“力”こそがお祖父ちゃんや校長先生が言っていた“英雄の力”なんだと思うし、お祖父ちゃんが言っていた、ただ目指すだけでは“英雄”にはなれない理由なんだと、僕はそう思っているよ。」
「ならば、それこそ私の国に来れば良いではないか……。」
ここで初めてソニアが口を開いた。
「守るという心……それが“英雄の力”と言うのならば、私の国には守るべきものはたくさんあるのだから……。」
ソニアにそう言われ、ジークは少し困った顔をする。
「それは、駄目だよ……。確かに君の国には守るべきものがたくさんあるんだろう。けれど、それは逆に僕を弱くしてしまうと思うんだ。」
ソニアは、驚いた顔をする。守りたいものが多すぎると弱くなってしまう、その理由が彼女には分からなかった。
「僕の……重戦士の役割はみんなの“盾”となることだ。それが僕が望んだ“力”であり、曾祖父ちゃんのような幾多の敵を斬り伏せるような“力”は僕にはない。そして、“盾”は守るべきものがあってこそ、その真価を発揮する。だけど、僕一人の存在では守れる数なんて高が知れてるんだ……。君の国では守りたいものが多すぎて、僕には絶対に守り切れない。“盾”が守りたいものを迷うような状況に陥ったら、“盾”が持っている最大限の“力”なんて発揮できないよ。それに……」
ジークが立ち止まる。そして、ソニアの方へと向き直る。
「君の国には、君がいるじゃないか……。君の国の人々を守ろうとする意思の強さに比べたら、僕なんて霞んでしまうよ。」
そう言ってジークはソニアを見て笑みを浮かべた後、また前を向いて歩き出した。
ソニアは手を伸ばし、何か言おうと必死に考えるが、結局何も頭には浮かばず、伸ばした手を引っ込めて俯いてしまう。
よく見ると、学生寮の灯りが見えているところまで来ていた。すると、何か思い出したのか、先程歩き始めたジークが歩みを止め、「でもね……」と言いながら再度、彼女の方へ振り返る。
「もし、君の国に、君にもどうしようもないくらいの危機が迫っている時は、迷わず僕を呼んでよ。そしたら、世界中のどこにいたって駆けつけてあげる。リュートやシズクなんかも連れてね。君にとって本当に大切なものや君自身くらいは僕の“力”で守ってみせるよ。」
そう言って、ジークはソニアに笑いかける。彼女はそんな彼を見て顔を上げ、流れそうになった涙を手で拭う。そして、彼女には珍しい満面の笑みで彼を見る。
「約束だぞ。」
そう言って、ソニアは手を前に出す。ジークもまた同じように手を前に出す。
真っ赤に染まった夕焼けの下、二人の握手は、二人が交わした約束をように固く結ばれていた。