1.3 英雄の力
「ジーク君と言ったね。そんなに緊張しなくても良いよ。まずはそこに座って楽にしなさい。」
「し、失礼します。」
ジークは今、校長室に呼ばれている。あの後、ジークが校長先生に用紙について訊かれ、事情を説明すると、ジークは校長室へと呼ばれたのだった。
校長室には、校長先生用の机と椅子に来客用の脚の短い大きめの机とそれを挟むようにしてソファが2つ置かれていた。他にも高価そうな壺や観賞植物などのインテリアが存在していた。
ジークは緊張気味に校長先生と向かい合うように反対側のソファに座った。
「まずは紅茶でもどうぞ。お茶菓子も好きなだけ食べていいですからね。」
「ありがとうございます。」
ジークは、紅茶の入ったティーカップを手に取る。緊張からか、カタカタ、とティーカップが皿に当たる音がする。紅茶を飲むと、ほのかに甘い、優しい香りが鼻を抜けていく。
「これ美味しいですね。」
「それは良かった。それは私の好きな紅茶でね。小さい頃、親が飲んでいたこの紅茶の香りが好きだったんだ。それより、お茶菓子も食べなさい。」
そう校長先生に促され、ジークは出された菓子の一つ口に含む。この紅茶に合う柑橘系の風味が効いた焼き菓子だった。
◇ ◆ ◇ ◆
「さて、そろそろ緊張も解れてきたみたいだし、そろそろ本題に入ろうか。」
校長先生にそう切り出され、ジークは空になったティーカップを皿に置く。身体の力みや震えなどは既に無くなっていた。
「どの武術を習うか迷っていたんだよね。君は将来、騎士や冒険者になりたいのかな?」
「えっと、その、僕は……」
そう訊かれ、ジークは少し躊躇う。だが、意を決したようにジークは自分を見つめる校長先生の顔を見て、
「僕は“英雄”になりたいんです!」
と言った。
「“英雄”ですか……。」
「はい。先生は“ガイウス・サイモン”という名前に聞き覚えはないですか?」
「“ガイウス・サイモン”……そして、君のその赤い髪……なるほど、君はあの“不退”の親族でしたか。」
「はい。ガイウス・サイモンは僕の曾祖父になります。」
◇ ◆ ◇ ◆
ガイウス・サイモンとは、傭兵たちの中ではその名を知らない奴などいないとまで言われた人であった。
彼が現役の傭兵として働いている頃、たまたま仕事で立ち寄った街が大量の魔物に襲われたのだ。
千にも届きそうな魔物の大軍に、街の警備隊及びガイウスと同じく街に居合わせた腕に覚えのある者たちは街の人々を逃がすために、街の北側から来る魔物の大軍に対し、街の北門及び東門、西門、街の外壁の上に兵を置き、南門から街の住民を護衛しながら避難させることにした。
その時、一番被害が大きくなるであろう北門の護衛をガイウスは買ってでたのだった。
住民が避難を開始してからおよそ半刻後、魔物の群れが街の北門に到着。その後、東門、西門にも来襲した。
しかしながら、街の警備隊とその場に居合わせた戦士達による即席の護衛隊は犠牲を払いながらも住民を無事隣街に避難させることができたのだった。
その翌日、街に残った戦士達を救出するために護衛に回った兵士らと隣街の警備隊+冒険者などの戦士達による救出隊が編成され、現状の確認と増援の役割として、騎馬隊が先行した。
騎馬隊が街の南門に着くと、南門付近に魔物は少ししか見当たらず、南門も損傷はあるものの無事だった。南門の護衛役達にもうすぐ救援が来ることを伝え、二手に分かれ東門、西門の救援に向かった。
魔物の残党を撃退しながら東門、西門に着くと、どちらも門は破壊されており、未だ門付近では魔物の生き残りと戦士達が戦闘を繰り広げていた。
魔物が街に入ってしまったことを聞いた騎馬隊は門にいた者達に街の中にいる魔物の残党の殲滅を依頼。自分達は門の防衛を引き継ぎ、さらに騎馬隊の中でもかなり腕の立つ者を北門の救援へと向かわせた。
しかし、北門に着いた騎馬隊の面々は目を疑うような光景を目にしたのだった。
北門に近づくにつれ、外壁の損傷が酷くなっていたにも関わらず、北門は血の一滴も付いていないほど、ほぼ無傷だったのだ。
代わりに、左目と左腕を失い、血塗れになりながらも、肩に自慢の大剣を担ぎ、通れるものなら通ってみろと言わんばかりに門の前に仁王立ちするガイウスの姿があった。そして、その傍らには百は優に超えるだろう魔物でできた屍の山が築かれていた。
自分の背丈ほどもある大剣が本当に片腕なのかと疑ってしまうほどの速さでもって振るわれたそれは、未だ門を破ろうと近づいてくる小鬼や豚人などの魔物共を一緒くたにただの肉塊へと変え、屍の山を大きくしていった。
その後、救出隊の本隊が到着し、街にいる魔物達の殲滅を開始。そして、無事街の内部及びその周辺の魔物の駆逐に成功した。その間も、ガイウスは北門を死守し、最後まで北門には魔物の一匹たりとも触れさせなかったのだった。
その圧倒的な数を前に一歩も退かず戦い抜く様は、共に北門を守った者や救援に駆けつけた者などから多くの人々へと広まり、次第に“不退のガイウス”としてその名を知られ、人々から英雄として扱われたのだった。
それは、それから80年以上経つ今でも学校の歴史などの授業で取り扱われるほどである。
◇ ◆ ◇ ◆
「……僕は祖父から聞く曾祖父の話が大好きだったんです。依頼主の商人を逃がすためにはぐれ竜に単身で挑んだり、連合の首脳会議に敵勢力の暗殺部隊が送り込まれたのを仲間と一緒に返り討ちにしたり、そんな話を小さい頃からいっぱい聞かされて……。いつしか曾祖父のような英雄になりたいと思い始めたんです。そこで祖父にこの事を相談したら、曾祖父が、『俺のようになりたければエスティア学園の校長に頼ってみるといい。』が言っていたらしいんです。だから、僕は猛勉強して、この学園に入ったんです。」
「そうですか。懐かしいですね。ガイウス君とはこの仕事に就く前に何度か顔を合わせたことがあるんですよ。あの赤毛の髪がよく似合っていたあの子がそんなことを言ってたんですか。」
「はい。だから、この機会に質問です。どうしたら僕は“英雄”になれますか。」
ジークがそう言うと、校長先生はしばし考えこみ、やがて、口を開いてこう言った。
「ジーク君は“英雄”になるには何が必要だと思いますか?」
「英雄に必要なものですか?」
そう聞かれたジークはしばし悩み、
「力……だと思います。」
と答えた。
「その理由は?」
「やっぱり“英雄”たる者、絶対的な強さがないと。曾祖父は自分と同じぐらいの大きさの両手剣を、まるで片手剣のように自在に扱っていたそうですし……。それだけの強靭な身体や技術が“英雄”となるには必要なんだと思います。」
そうジークが答えると、校長先生は、「そうですか……」と言い、もう一度ジークの目を見て、言葉を続けた。
「実はね、この質問は君の曾祖父さんにもしたんですよ。」
「え?」
「あれは彼がまだ傭兵として駆け出しの頃の話です。その時の彼は君と同じような悩みを抱えていてね。傭兵として伸び悩んでいたところにたまたま居合わせた私が訊いたんですよ。『君は傭兵として強くなるには何が必要だと思いますか?』とね。 」
ジークは、祖父以外から聞く曾祖父の話はとても新鮮だった。祖父から聞く曾祖父の話はどれも“英雄”となった後の話であり、曾祖父が自分と同じように悩んでた時期があったことにジークは驚きを感じていた。
「それで曾祖父はなんて答えたんですか?」
「ガイウス君はこう答えましたよ。『心、ですかね……。』と。」
「心……ですか。」
「はい。理由を訊くと、『傭兵とは依頼主を守るのが仕事。だから、力や技術よりも、まずどんな状況になろうとも依頼主を絶対に守り通す、そういう強い気持ちが必要なんだと俺は思う。』と彼は言っていたよ。」
「強い気持ち……」
ジークは曾祖父の答えを聞いて、自分の存在が小さく感じてしまった。
偉大な曾祖父と自分との間にはとても大きな隔たりがあり、自分では曾祖父のいる場所には到底辿り着けないかもしれないと思ってしまったのだ。
「そう落ち込まないで。私は君の答えが間違いだとは思いません。」
「え?」
「ジーク君、私はね、“英雄”になるべくして生まれた者などいないと思っているんだよ。」
落ち込むジークに校長先生はそう言った。
「かつて“英雄”と謳われた人たちや今“英雄”として人々に知られている人たちの大半は、最初から英雄になりたいと思っていた訳ではないと私は思っています……。確かに技術などの戦う力は必要です。けれど、それ以上にガイウス君のような自分の信念を貫こうとする意思の強さが大切なのだと私は考えています。」
「意思の強さ……」
「そうです。ガイウス君のような傭兵や騎士、冒険者には常に危険が付き纏います。そうした自分や自分の仲間の命が危ないような状況に陥った時、そういった意思の強さは自分が思っている以上に大切になってきます。そういった意思は冷静さを保ち、どうすればいいのかを考える力を与えてくれますから……。そして、一分一秒を争う戦況の中で、それがあるかないかは決定的な差となるでしょう。だからこそ、ただ闇雲に強くなろうとするのではなく、自分の中に理想像や信念を持ち、それを実現させるために強くなろうとすることが“英雄”としての第一歩だと私は思います。そして、そういった信念などを貫こうとする意思の力こそが、英雄を“英雄”たらしめる本当の力なのだと私は考えています。」
「英雄の……本当の力……」
ジークは校長先生の話を聞いて、改めてクラス分けの用紙を見つめ直した。
「さて、そろそろ下校時間ですね。ジーク君、まずは自分はどんな人になりたいのかを考えて、それを実現するために何が自分に必要なのか一つ一つ考えなさい。そうすれば今抱えている悩みも解決するでしょう。今日帰ってからじっくり考えなさい。」
「わかりました。今日は話を聞いてくださって、また、貴重な話を聞かせてくださってありがとうございました。」
「どういたしまして。それではジーク君、君がどんな結論を出すのか、楽しみにしていますよ。」
ジークは再度、校長先生に礼をしてから校長室を出た。未だ自分がどうなりたいのかはっきりした訳ではないが、その顔は曇りのなく、すっきりとしていた。
◇ ◆ ◇ ◆
その数日後、武術指導の授業初日、校長先生が各クラスの授業風景を見て回っていると、槍術クラスに引退した傭兵だろう講師に指導を受けているジークの姿があった。
ジークは斧槍を右手に、大盾を左手に持った、いわゆる重戦士の装備をして指導を受けていた。重たい装備にやや振り回されながら熱心に指導についていこうとするジークの姿を見て、校長先生は満足そうに次のクラスへと足を運んだのだった。