第一章 第8話 『安寧の時は許されない』
次々と会場内に入って来る人々はソフィアと同じ白地に青や赤の刺繍が入った服を着ていた。中にはマントのような物を付けている者もいれば、他よりも装飾が変わっている者等個性があるようだった。その者達はまだしぶとく逃げおうせている者から組み伏せ拘束していく。歯向かう者も物の数秒でお縄だ。力の差は歴然としているようだ。その動きは統率が取れており無駄な動きが無いように見えた。
「王国ーーーー騎士団ーーだとッ」
レイヴン男爵の表情がみるみる青ざめていく。そして先ほどよりも更に必至に見えない何かから抜け出そうともがく。しかし暴れれば暴れるほど"何か"は更に体に巻きついていくようだった。
不思議とアキトには何も起こらない。アキトは逃げ出すこともせず目の前の光景をただ見ていた。壇上ではあの赤い髪の少女が戦っている。対する敵は5人。しかしその戦いも勝負は既についている。男達が持っていた武器は天高く浮かび、その手は宙を描いている。さながらパン食い競争を見ているようだ。男の1人が近くにあった椅子をソフィアに投げつけるがそれも見えない壁に当たって砕ける。ソフィアは眉ひとつ動かさない。男は苦虫を噛む。
「ーー魔女がッ」
「おやおや、それは差別用語だよ。"魔女"と呼びたいのならその前に枕詞をつけないと。そんなこと幼い子供達だって知っている。それとも君は侮辱の意味を込めて言ったのかな?」
男の喉元に鋭い剣が突き付けられる。男は目を見開く。今の今ままで自分の前には誰もいなかった。目の前の男はすらりとした優男で、にっこりと微笑んでいる口元とは違い目は冷たく光っていた。喉元に当てられた剣先がぷつりと柔らかい皮膚を破りそこから赤い液体が一雫流れた。男の心臓は早鐘を打ち、息はどんどん荒くなっていく。この場から今すぐに逃げ出したい衝動とは裏腹に足はその場に縫い付けられたように動かない。優男はそんな男を虫けらを見るような目で一瞥する。
「ーー今私は少し気が立っていてね。これ以上イラつくことがあったら手を滑らせてしまうかもしれない。ーーそうだな、そうなった時君の首だけで終わればいいんだが」
「ヒッーー」
その場にいた男達は優男の気迫に呑まれ戦意を喪失したようだった。もう誰も抵抗しようとはしなかった。
「ーーミハエル。もう十分です」
「ーーソフィア様。しかし」
「私は気にしていません。慣れていますから。それに"様"はつけないでくださいとお願いしたはずです。ここでは貴方の方が立場が上なんですから」
「ソフィアさーーっ。済まないソフィア」
ミハエルは剣を下ろす。剣を突き付けられていた男はその場に崩れるようにへたり込んだ。腰が抜けたようだ。会場内は制圧が済み、喧騒は聞こえなくなっていた。パーティの参加者達は次々と手錠をかけられ連行されていく。
「おい、奴隷!ボーッとつっ立ってないでご主人様をここから出せ!お前だ奴隷!」
しかしレイヴン男爵はまだこの場から逃げ出そうとしているらしい。真っ青な顔を今度は赤くしてわめき散らし始めた。
「ここで捕まったら爵位が無くなる!平民ーーいや、下民になり下がるのだぞ!そんなこと私は耐えられないーー!!」
「・・・」
アキトは反応に困る。アキトはこの男に買われたのだからこの男の命令には従わないといけないのだろうが、それは何だか釈然としない。それにアキトが手助けしたところで男爵の今の状況が好転するとはとても思えなかった。目に見えない"何か"は男爵をしっかりと捕まえている。そんな異形の物に対処する術をアキトが知るはずもない。
「レイヴン男爵」
静かだが凛とした声に男爵はビクッと体を震わせる。ミハエルが直ぐ側まで来ていた。
「男爵。貴方にはいくつか聞かなければならないことがあります。大人しくしてくださいますね?」
「ぐっ・・」
レイヴン男爵はミハエルの腰に下げられている剣に視線を向けた。
「・・よもや、私から剣を奪おうとお考えで?まぁ、それも悪くないですが剣を手にしたところで貴方に勝算があるのでしょうかーーあぁ、そうそう。因みにこの剣は魔剣で、マナを吸収する特別性です。訓練しないとマナを全て吸い取られるだけではなく我々が生きるために必要なオドまで取られてしまいます。貴方はそこまでマナやオドを持っていないようなので触れたら一気にあの世まで逝ってしまうと思います。それはこちらとしても多少困るのですが、貴方が最期まで惨めに足掻きたいというのなら貴方が剣を奪う間私は目を瞑っていることにしますが、どうしますか?」
「う・・」
男爵は悔しそうに顔を歪める。力が抜けた肢体はもう完全に諦めたようだった。
「お前は私に自殺しろとでも言うのか」
「まさか。ただ忠告申し上げただけです。しかし・・そうですね。守るべき民を食い物にするような者にはそれでもいいのかもしれませんね」
「ハッ。騎士様の吐く言葉とは思えんな・・」
「残念ながら我が家の騎士道に貴方のような者を正す方法が載っていないので」
ミハエルはにっこりと微笑みながらそう言った。そこで男爵の横にいるアキトの存在に気づく。
「君は・・。ーーそうか。ライル!」
「はいっ!」
遠くの方で返事をする声が聞こえた。直ぐに誰かがこちらへやって来る。年はアキトと変わらないか少し下くらいの少年だ。この少年もミハエルと同じ格好をしている。ただミハエルの服にはマントのような物が付いている。少年は両手に大量の鍵が付いた鍵束を持っている。鍵は木製から鉄、銅、金まで様々な種類があるようだ。宝石のようなものが付いているものまである。
「この少年の錠を解いてやって欲しい」
「分かりました」
ライルは鞄から小さな望遠鏡のようなものを取り出すとそれをアキトの首に掛かる鍵穴に当て中を覗き込んだ。
「なるほど・・ガウガルクの牙とランチョウの蔓ーーそれとーーこれは・・・スーペルコパルクの蜜が塗ってありますね」
「出来そうか?」
「はい。今持ってる鍵で対応できます。まぁこれもジジが持ってけ持ってけとうるさかったから仕方無く持って来た物の中に入ってたものなんですけどねーー。スーペルコパルクなんて珍しい魔道植物を使用した錠なんてそうありませんから。僕も見たのはジジの作業場でだけです。外の世界は広いですね」
ライルは鍵束から銅の鍵を選ぶと目を閉じその鍵に息を吹きかけながら指でなぞった。
「ーー私は盲目。闇が私を支配する。闇の王は直ぐそこまで来ている。私に彼の者を打つ為の時を与え給え。そして私の前にある闇を切り開き光へ導かんーー全ての者の心を解き放てーー"タリオン"」
ライルの手の中の鍵がふわりと浮かび上がり形状が変化する。そしてそのままアキトの首の錠穴に入り半回転する。カチリと錠が開く音がした。ライルは首輪に両手を添えそっと外した。同時にアキトの中にあった重りが消える。体が一気に軽くなった。
「解錠完了。あとはよろしくお願いします」
ライルはそう言うとサッと後ろに下がった。替わりにミハエルが前に出る。
「少年。動くなよ」
ブンッと目の前を風を切る音がした。風圧で前髪がふわりと揺れる。
「お見事です」
ライルが拍手をする。何が見事なのか分からないアキトはただ首を傾げる。すると、かけられていた手錠がするりと抜け落ちガチャリと地面に落下した。アキトは自分の手首が手錠をすり抜けたと錯覚する。しかしそんなことがあるわけは無い、落ちた手錠は真っ二つに割れていた。
「この魔力封じの品は鍵を正しく開けることが呪いを受けない唯一の方法です。だから鍵さえ解錠してしまえばほかの仕掛けも発動しません」
「私は鍛冶屋ではないのだがな」
「仕方ないですよ。今ここで1番強い魔剣を持っているのがミハエルさんなんですから。ミハエルさんの剣ならこの魔力封じを斬っても刃こぼれしないでしょうし、満場一致で決まったことじゃないですか」
ミハエルは納得がいかないという風な表情だ。手に持つ剣が揺らりと鈍く光った。信じ難いがどうやらこの剣で手錠を斬ったらしい。というか自分の目が正しく機能していたとしたら今ほど鍵が浮いたと思う。いや、浮いていた。
ここはどこなのかという疑問が頭の隅に浮かぶ。もしかしたらこれは夢なのか。こんな突拍子も無い事が次から次へと起こるなんて漫画じゃないんだ。今俺は正気じゃない。夢なら覚めて。そうじゃないならこのまま狂って何も感じなくなりたい。アキトの頭の中はそんな考えで溢れている。
「君はどこの村の子だい?我々が送ろう」
ミハエルが問いかけてくるがアキトは俯いたまま応えない。ミハエルは何の反応もしないアキトに眉をひそめる。
「怖がらせてしまっただろうか」
「アキト!」
凛と響く透き通った声がアキトを呼んだ。アキトは、はっと我に返る。ソフィアがこちらに駆けてくる姿が目に入った。しかしその姿は直ぐに見えなくなる。大きな爆発音と共に天井が崩壊したのだ。ソフィアの頭上に大量の石や木材が降り注いだ。それは一瞬だった。アキトは燃えるような赤い髪が瓦礫の中に消えていくのを見た。