第一章 第4話 『商人の憂鬱は森の緑に溶けていく』
その日は朝から雨だった。
竜馬の手綱を引きながらゾルデは憂鬱な考えにふける。最近また商売相手の町が一つ魔物達の群れに襲われて消えた。裕福ではないものの町並みは綺麗で人もそれなりに節度があった。ゾルデの商いの相手の中ではやりやすい方だった。それがつい先日一夜にして壊滅したのだ。ゾルデも一報を聞き赴いたが、町は以前の清潔さは欠片も無く瓦礫と灰と人々の亡骸が散乱していた。亡骸といっても魔物達の食べ残しだ。一見してこれが人の体の一部であるとは分からない程度に食い荒らされていた。
おかげでその日に予定されていた町との商談の話は無くなった。大損害というほどでもないがそれなりに痛手だ。利益が無くなった分、新しい商品を見つけ売買しなければいけない。その当てはいくつかあるがどれも一筋縄ではいかない相手ばかり、ゾルデは憂鬱だった。
ゾルデの荷車は雨の森の中を進む。雨は降っているがまだ日は高い。森は昼でも危険だがゾルデにとってはこの森は庭のような場所。危険地域を知っていれば安全だ。何より森を突っ切れば5日はかかる道を半日で行き来できる、商人にとって時間は命と同じだ。多少危険でも短縮できるならそちらを選ぶ。商人とはそういうものだ。
「ーーーーん?なんだ?・・人・・なのか?」
進行方向に人らしき物が倒れていた。ゾルデは慎重に近づきそれが間違いなく人であると確信してから接触した。この森に人が入ることはあるが、ほとんどが魔物の討伐を目的とするパーティで、単独で入るのは自殺志願者かゾルデくらいだ。だからこいつもそうなのだろうとゾルデはあたりをつける。
「しかもガキか。なんだってまた」
倒れている子供は15、6くらいだろうか、まだ若い。見たことのない黒い服を着ているが、所々破け中の白いシャツには赤い血のようなものがべっとりと付いていた。
「ーーーーどうゆうことだ?」
出血の跡はあるものの体のどこにも傷は見当たらない。ゾルデは、はてと首を傾げる。意識を失っている少年の額についた血を拭い傷口を探すがやはり見つけることは出来ない。魔族かと思考するが直ぐにその考えは破棄される。魔族はこんな回りくどい真似はしない。
それにもしゾルデが商人ではなく討伐隊や賢者、勇者だったとしたら、こんなやり方では魔物の命がいくつあっても足りないだろう。
ゾルデは少年の服の中を漁る。そしてニヤリと笑った。ゾルデの手の中でキラリとネックレスが光った。これは魔石だ。魔石はその中に様々な力を封じ込めることができる希少な石で流通が少ないことから高値で取引きされる。
ゾルデは魔石を太陽の光に照らす。石はその魔力を示すように、一瞬ゆらりと青色の炎を燃やした。
「ーーーーこりゃあ、" 妖精の涙 " だ。驚いた。オレも見るのは初めてだ・・・」
ゾルデは自分の手の中にある魔石を食い入るように見る。空と海を混ぜたような深い青の中できらきらと小さな光が舞っている。まるで小さな宇宙だ。美しい、とゾルデは心の底から思った。
魔石にはランクがある。一番ランクの低いものでも一個人で買うには苦労ものだが、この " 妖精の涙 "と呼ばれる魔石はトップクラスの化け物のうちの一つだ。それこそ庶民には触れることはおろか、目にすることすら一生のうちでないであろうという品だ。購入することはまず不可能。裏ですら目にできないS級の魔石。王族や高官が所持し代々受け継いでいるという噂だ。
ゾルデは早鐘を打つ自分の心臓を何とか落ち着けようとするが上手くはいかなかった。震える手で荷台から持っている中で一番汚れていない布を取り出し丁寧に魔石を包み木箱に入れた。
ーーーーーー売ったら幾らになるか想像もつかねぇなこりゃあーー
この短時間で吹き出した汗を拭う。一体なぜこんな子供がこの石を持っているのかゾルデには分からない。服の損傷具合や血の量からして瀕死の状態であったことは明らかだ。それをこの魔石は傷口も残さず綺麗に消してしまった。血色も良いことから推察するに流れた分の血も補充したようだ。こんなこと国一番の治癒師でも不可能な芸当だ。
ーーーーーーその辺の治癒師なんか足下にも及ばねぇなーー
人が石に劣るなどあまり気持ちのいい考えではないがこの世界ではザラにあることだ。その辺に溢れる人間より数の少ない魔石やその他 宝物類の方が価値があるのは少し考えれば誰だって分かることだ。だから人は戦争をして命をかけてそれらを奪い合うのだ。そしてこの魔石もその争の火種になるには充分すぎる品だ。使いようによってはこの国の歴史が変わる。
さて、どうしたものかーーーー
ゾルデが森の中だということを忘れて考えにふけっていると少年が僅かに身動いだ。
黒髪に白い肌、顔立ちは端正。ゾルデはククッと笑う。
ーーーーなんて今日はついてる日なんだ
ゾルデは少年の手足に鎖を巻きつけ錠をかける。その動きは慣れたもので人1人を拘束し終わるのに1分もかからなかった。暴れる相手なら多少の時間をとるが、今は気を失っている子供が相手だ。なんの雑作もない。力の抜けた身体を担ぎ上げ荷台に横たえる。
その時、ギギギと竜馬が鳴いた。何かを警戒している合図だ。ゾルデは直ぐに竜馬を走らせた。
今いる地点はこの森の中では安全な場所だ。この辺りには魔物が嫌う聖石を含んだ岩や石が転がっている。平時は魔物は近寄ってこない、だから気を抜いて考え事をすることができた。でも今はどうやら平時ではないらしい。ゾルデは力いっぱい手綱を操る。またとない品を手に入れたのだこんな所でくたばるわけにはいかない。S級の魔石に器量良しの人間だ。ゾルデの中の商人魂が燃え上がる。これを無事に持ち帰り売りさばく時の光景を考えるだけで胸が高鳴る。
遠くもない後方の木々が盛大に倒れる音が響いた。そして何かが周りの草木をなぎ倒しながら近づいてくる。それでもゾルデは笑っていた。こんなに血の沸く日はいつぶりだろう。小国の姫君を娼婦宿に売った時か、それとも加護に恵まれたガキどもを騙してまとめて裏で売りさばいた時か、考えても今以上に高揚した時は思い出せない。
「ははは!最高だ!絶対にオレが売ってやるからな!!」
ゾルデ・フランクは奴隷商人だ。先程まで感じていた憂鬱さはもう心のどこにも残っていなかった。彼は子供のようにはしゃぎながら竜馬を走らせた。