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第九回目 物語は添えものだ

第九回目だ。


私は、物語は添えものだと思っている。

本当に伝えたいたった一言に添えるもの、それが物語だ。



たとえば、「愛している」という気持ち。あなたはどうやって表現するだろうか?


私も小説を書き始めたときは、思っていた。表現とは、「愛している」という気持ちを「愛している」という言葉を使わずに伝える。それが表現であり、文学だと、勘違いしていた。


アイラブユーの和訳は、月が綺麗ですねである。というのは有名な逸話。私はこの和訳は素晴らしいなぁと、何の疑いもなく信じていました。


でも、これは本当に文学でしょうか? 正しい表現でしょうか?


私は違うと思うのです。重要なのは、表現に凝ることでも、奇をてらうことでもない。

そう、大切なのは、物語なのだと、気づいたのです。


「愛している」のなら、「愛している」と言えばいいのです。

ただし、そこには物語が必要になります。


たとえば、合コンで初めて会ったばかりの人に言われる「愛している」と、十年間苦楽を共にした人に言われる「愛している」では、その言葉が秘めている意味やパワーが違うのです。


同じ言葉なのに、意味やパワーや価値が変わる。それは、『物語があるかないか』の違い。十年間の歳月が、「愛している」というただの五文字に、価値を与えるのです。


そうです。真に必要なのは、個性的な表現ではなく、あなたとわたしの物語なのです。

「愛している」の本当の意味を伝えるためには、回りくどい表現ではなく、数百ページにわたる長い物語が必要なのです。


一つ、実験をしてみてほしい。

①あなたが好きな恋愛小説を一つ用意しましょう。

②小説の冒頭で、主人公がヒロインに「愛している」と言っている場面を想像しましょう。

③小説を読みましょう。

④小説の末尾で、主人公がヒロインに「愛している」と言っている場面を想像しましょう。

⑤さて、どうでしたか? 最初と最後では、「愛している」の感じ方が変わりませんでしたか? 物語のある「愛している」と、物語のない「愛している」は違ったでしょ?


心は言語化できない。言語に心を詰め込もうとしても、キャパオーバー。私の愛はドデカいの! 「愛している」の五文字には収まりきらない! 私の大切な気持ちは、こぼれ落ちてしまう。だから、物語を添える。こぼれ落ちた気持ちを全て受け止めて、私の心を正しく、相手に伝えるために、物語が必要なのです。


「愛している」というありきたりな言葉を臆せず使え! そこに物語があれば、ちゃんと伝わるから。恐れる必要は、何もない。


「愛している」に物語を添える。小説はきっと、それだけでいい。


第九回目まとめ

「やっぱり、ちゃんとした関係性がない人に告白されても、困るよね。告白する前に、『好きだ』という気持ちをちゃんと伝えられる関係性を築けているだろうか? 勢いで告白しても、そこに物語がないのであれば、うまくいかないよね」

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