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習作(三十と一夜の短篇第8回)

作者: カラスウリ

  『 1/十四階の男と電話のむこう 』


 居間にひとり。

 毛布をかぶって(うずくま)っていると、外で野鳩のばとがやたらと鳴いている。


 ぐるっぽ。ぐるるる。

 ぐるっぽ。るっぽ。


 どうにも哀愁あいしゅうを誘う声である。

 声に誘われるようにして、ベランダに面した窓のカーテンを開けると男が居た。

 何事かと驚いた。そういえば。先日まわってきた回覧板に、下着泥棒注意の知らせがあった。

 しかし私の部屋は十五階建ての十四階だ。下着泥棒が狙うにしては、少々階が高すぎる。おまけに四十代の私は、可愛らしいデザインの下着などこの頃とんと干していない。


 なのに居る。


 背の高い。やせぎすの男であった。男は落ち着いた、理知的な眼差しをしている。

 こざっぱりとしたブルーのシャツにチノパンを履いている姿は、下着泥棒にも、外壁工事の作業員にも思えない。大体足場を組んでいない。

 十四階のベランダなどではなく、洒落た展望レストランなどにいれば、さぞ似合いそうなただずまいである。


 どうしたものか。

 男の態度があまりにも落ち着いているので、声をかけるべきなのか。警察へ通報すべきなのか戸惑っていると、男が窓を拳でたたきはじめた。

 決して強い調子ではない。

 それどころか男の動作は繊細でさえあった。リズミカルにくり出される、秘密のモールス信号を打っているようなおもむきさえある。

 それでも途端。恐ろしさがこみ上げてきた。

 じりじりと後ずさりをしながら、私は窓から遠ざかった。

 男の動作は止まらない。叩きながら、なにかを私へむかって言っている。唇は動いているが、声はどういうわけか野鳩の鳴き声で聞こえてくる。


 ぐるっぽ。るっぽ。

 ぐるるっぽ。


 怖くなった。やはり警察に連絡をしよう。

 このひとはどこかが変だ。ずれている。


 床に転がる携帯電話を後ろ手にとった。取った途端に、電話が震えた。

 悲鳴をあげる変わりに、躯が勝手に飛び跳ねる。着信ボタンを押すと、甲高い声が聞こえてくる。


「家庭教師はいかがでしょうか。こちら◯×家庭教師派遣会社でございます」

 電話の向こうで、若い女が一方的に話しだす。


「そんな場合じゃない!」

 顔も知らぬ女に向かって怒鳴ってしまう。私の勢いに気圧けおされた気配もなく、女の言葉はいっかな止まらぬ。

 いかに派遣される家庭教師が優秀であるか。成績アップをお約束できるかと、朗々とまくしたてる。


 腹がたった。

 怒鳴って切ろうとすると、ベランダの方でざざざと音がした。

 ノイズの乱れるような音がした。

 そうだ。男だ。男が居たのであった。

 慌てて視線を戻すと、男の頭に。

 肩に。背に。腕に。

 数多あまたの野鳩が群がっている。野鳩たちは暢気な鳴き声をあげながら、羽を広げて男の躯をつついている。つつかれたところから、男のかたちが崩れはじめる。


 悲しげに男の顔が歪む。私へ向かって手を伸ばす。この時の男の表情が私のなかで、ずしんと響いた。

 この男を知っている。

 知っていたはずだ。

 名前も思いだせないが、私と男はきっと深い縁がある。男の唇が戦慄わななく。私は窓へとへばりついた。野鳩の羽ばたきが強い。男の躯はその向こう側で、だんだん小さく。霞んでいく。


「待って! 消えないで!」


 声を張り上げた。

 電話の向こうでは、いつの間にやら女の声が止んでいる。

 変わりに、遠く。どこからともなく打ち寄せる水音が、ひたひたと聴こえてくるばかりであった。そうこうしているうちに、男の姿はもう欠片(かけら)もない。

 野鳩の群れは得意そうに頭を上下に動かしながら、飛び去っていった。

 私は電話を放り出すと、思い切って窓を開けた。

 ベランダの床一面が野鳩の羽だらけだ。私のくるぶしまで埋まる羽をかき分けた。男の姿はどこにもない。

 着ていた服さえ見当たらぬ。

 変わりにひとつ。鳩笛が床にころんと転がっていた。



  『 2/小鬼と煙草 』


 昼下がり。

 さがし物をしながら、町をぶらぶらと歩いていると、ススキの茂みのなかに小鬼を見つけた。

 街路樹(ナナカマド)の根元にススキはあった。細くたよりないススキの茎につかまって、二匹の小鬼が揺れている。

 ゆらんゆらんと揺れている。


 時折車道を行く車はあっても、通りに人影はない。急ぐ用事もないものだから、物珍しさに見入っていると、一匹と目があった。

 もじゃもじゃ頭に角がひとつの赤鬼だ。

 不思議とうすい黄色の目玉が、私をじっと見返した。やがて、「おい。アオや。アオ」視線は外さずに、赤鬼が声をあげる。

 躯の割におおきな声であった。


「なんだい。アカや」

 アオと呼ばれた小鬼が応える。

 アオと呼ばれながらも、こちらも赤鬼である。ただし角は二本ある。


「ひとがおるぞ」アカが言う。

「おお。いるな」アオが言う。


われらを見ておるぞ。じっと見ておるぞ」

「おお。見ておるな」

「目をつぶしてやろうか」

「おお。よいな」

「それとも迷い道にひきこもうか」

「おお。それもよいな」

「倒れたところに、小便をひっかけてやるのも、可笑しかろう」

「おお。おかしいな」


 二匹は同時にどっと笑う。

 しかしそうしながらも、抜け目のない様子で、私の出方をうかがっている素振りである。

 私はスカートのポケットから煙草をとりだすと、口へくわえた。

 大量の砂利をつんだダンプカーが、砂煙をあげながら真横を通り過ぎて行く。


「怖がっておるかの?」アカが聞く。

「よう分からぬな」アオが応える。

「虚勢をはっているのかの?」

「よう分からぬな」

「吾らに腹をたてているのかの?」

「よう分からぬな」


 アオは淡々と応えるばかり。

 アカは問いかければ問うだけ、どんどん声の強さを失っていく。終いには口のなかでモゴモゴと、はっきりせぬ言葉を、牛のように反芻はんすうするだけになる。


 私はライターを取り出し、煙草に火をつけた。紫煙が澄んだ秋空に、まっすぐにあがっていく。風のぱたりとやんだ午後である。そのなかで、小鬼二匹の重みをうけて、ススキばかりが揺れている。

 三者三様の沈黙に堪えきれないとばかりに、「あーー」

 アカが情けない声をしぼりだす。


「あんた。吾らは怖くないかね?」

「ーー」


 今度はアオは無言である。無言で揺れているばかりだ。私も応えぬ。


「あんた。吾らを酷いめにあわせる気かね?」

「ーー」

「吾らが嫌いかね?」

「ーー」

「吾らが醜いから嫌いかね?」

「ーー」

「吾らにひとつ煙草を恵んでくれんかね?」

「欲しいぞ! 欲しい」


 途端アオが大声をあげ、ススキの茎からぽおおんと飛んだ。見事な跳躍で、一気に私の肩へと乗る。


「煙草が欲しいぞ」


 アオは私へ耳こすりをする。

 その息が臭い。一体なにを喰ったらこうなるのか。やたらめったら生臭い。


「お前らにやる煙草はないな」

 にべもなく言ってやった。

 アオはちっともめげない様子で、「吾らは色々物知りだよ」そう言う。


「物知り? お前らが?」

「そうだ。そうだ。吾らには知恵がある」


 ススキのうえでアカまでが調子にのって、跳ねあがる。


「どんな知恵がある?」

「煙草が欲しいぞ」アオが言う。

「煙草だ。煙草」尻馬にのってアカも言う。


「最初にお前らがなにを知っているのか。まずはそれを聞いてから。それからでなければ煙草はやれない」

「言えばくれるか?」

「きっとくれるか?」


「約束するよ」

 面白そうである。

 うっすら微笑んで頷くと、アオがススキへ戻って行く。

 アカと二匹。角をこすり合わせるように、こそこそと話し合う。


「アレはどうだ」

「アレはいかん」

「コレはどうだ」

「コレはまずい」

「ではソレだ」

「うむ。ソレだ」


 揃って頷くと顔をあげ、アオが言う。

「つぎの朧月夜おぼろつきよに沼がでる」


「沼はでるのではなく。あるのだろう」

 私の訂正に二匹は頭を振る。


「ない沼がでる」

「ぽっとでる。朧月夜にぽっとでる」

「釣り竿に長靴で沼へ行け」

「沼には沼の夜店がでるぞ」

「店がでる」

「たくさんだ」

「うむ。たくさんだ」


 アカがやにわに、アオの角のひとつをぽきんと折った。

「沼の夜店で使えるぞ」アカが言う。

「煙草と交換だ」アオが言う。

 角のひとつが無くなった為であろうか。アオの声は覇気はきがない。


「……いいさ」

 私は煙草二本を小鬼へ渡し、角を受け取った。小さな。小指の先程の大きさだ。

 折れた面は驚くほどなめらかに、白々としている。臭い息を吐く小鬼の躯に生えていたとは、信じられぬ美しさであった。

 小鬼らは煙草を受け取ると、素早い動きで高く飛び上がる。ナナカマドの色づいた葉が、風もないのにざざざと鳴った。

 小鬼の軌道を見定めようと仰いだが、すでに姿はない。

 頭上でおおきく。とんびが丸く円をかいている。



  『 3/さがしもの 』


 どんどん寒くなってくる。

 もう秋も終わりそうだ。

 窓から見上げる空は、重たいしろ色をしている。風もつよく吹き付ける。

 自宅で暖かな紅茶を淹れて飲む。

 あるはずの紅茶カップは、探してもみあたらなかった。仕方がないので一枚だけ残っている、スープ皿に紅茶を淹れた。

 いくら飲んでも躯はすうすうとする。すうすうとする部分から、細かな震えが躯全体を包み込む。紅茶を飲んでも。毛布をかぶっても、止まらない。


 これはさがし物がみつかっていないせいだろう。

 私の躯の一部は、みつからないさがし物のせいで、ぽかりと空いたまま不安定なのだ。


 先日。定期的に行っている「おおいど心療内科クリニック」の大伊戸医師もそう言っていた。

 大伊戸先生は躯が横に大きく、背が低い。子どもの頃から「大伊戸」なのにチビだ、チビ。そう揶揄からかわれてから自分の苗字が好きではない。笑いながらそう言った。笑っている顔があまりにも天真爛漫なので、ちょっと眉唾だと思う。


 心療内科の診察は、油断のならぬ知人と話しをしている気分になって、あまり好きではない。好きではないが行かざるをえない。通院をしないと、年老いた私の両親が大層心配する。しまいには、こっちで一緒に暮らそうと言いだす。

 それはイヤである。私にはさがすべき物がある。ここから引っ越すつもりはない。


 ※ ※ ※


「さがし物はみつかりましたか?」

 大伊戸先生は会話の途中で必ず尋ねる。

「いいえ」

 私は頭を横に振った。


「そうですか。ではこの一月で何か変わった出来事はありましたか?」


 そう聞かれ、先日出会った男と小鬼を思いだす。

 小鬼の角は、私の胸ポケットに入っている。先生に見せたら面白がるかもしれない。しかし小鬼とベランダの男。両者を天秤にかけて、男の話しをとった。

 ナニも話さないのは、嘘くさい。あまりに話すと薬が多くなる。ならば話すのは、ひとつだけの方が良い。

 先生にハンケチに包んだ鳩笛を見せた。


「カワイイですね」

 先生は太くて丸っこい指先で、笛を摘まみ上げる。

 笛は新品ではない。くちばしの先がほんの少し欠けている。黒と水色で描かれた、まるい目玉もかすれている。そのせいか、随分眠たげな顔つきになっている。


「カワイイですか? 私には眠そうにみえます。ベランダに居た男の忘れ物です」


 私がそう言うと、先生は熱心に男の容姿を聞き、その時の私の心情を聞き、手元のカルテに書き込んでいく。カルテはきっと、私の成長記録のようになっているはずだ。


「これは、あなたのさがし物ですか?」

 先生が鳩笛を私へ差し出しながら尋ねる。

 私は首を傾げる。

「……とても惹かれます」

 私は先生から鳩笛を受け取りながら応えた。

「けれど、これがそうなのか。私には全然分からないのです」


 ※ ※ ※


 困った事に、私はどうにも思いだせぬのだ。

 私がナニを求めているのか。

 探しているのか。

 肝心要かんじんかなめの、さがし物が思い浮かばぬ。まるで頭がばかになっている。


 紅茶を半分スープ皿に残して、床に転がっているトラピストクッキーの缶をたぐり寄せた。

 私は紅茶を床に蹲って飲む。椅子もテーブルもないものだから、パンもおにぎりも床で食べる。

 缶の半分には修道士のつくる甘ったるいクッキーがあり、あいた場所に鳩笛を入れている。私は鳩笛を手に取ると吹いてみた。


 ぽおぽおと吹いてみた。

 少しばかり。躯の震えが止まった気がした。


 笛を吹く。ぽおぽおぽお。


 すると和室の押入れから、鳩笛の音色に誘われるように、がさりと音がした。


 笛を吹く。ぽぽ。ぽおぽお。


 がさり。がさりと音がする。ナニか荷物が落ちるような音である。


 笛を吹きながら、居間から廊下へと出る。

 廊下は不自然な程しんとしている。余りにもしんとしているので、又もや心細くなる。

 慌てて笛を吹く。ぽおぽおぽお。


 がさり。

 静けさのなかで音は、いっかな止む気配がない。

 冷えきった和室の押し入れの襖を、そっと開ける。途端音がぴたりと止んだ。

 押し入れのなかは、奇麗に空っぽだ。そうだ。全部捨ててしまったのであった。

 見渡す六畳の和室に家具はひとつもない。

 拍子抜けする気持ちのままに、畳に寝そべりながら笛をふいてみた。畳は冷たい感触を伝えてくる。冬が過ぎるまで。ここでこのまま寝転んで、きしきしときしむ、シャーベット人間になるのも良いかもしれない。

 そんな厭世的えんせいてきな格好を気取ってみながら、笛を吹く。

 微かにちいさく。がさりと音がするものの、もう起き上がる気にもならない。

 そのまま夕刻まで畳でうたた寝をし、鼻風邪をひいた。

 


  『 4/夜の町 二十二時 』


 おぼろにゆらいだ月がでた。

 リュックを背負い、長靴を履いた。

 私に釣りの趣味はない。ふるい友人から借りた釣り竿を肩にかつぎ外へでた。

 二十二時の町はどっぷりと暗い。

 私の住む町は都会ではない。地方のちいさな。名も知られていない町である。

 車もほとんど通らぬ道を、ひとり黙もくと歩いた。長靴が乾いたアスファルトを踏みしめ、きゅうきゅうと鳴る。

 まばらな外灯の下に、時々誰を待っているのか。黙ってぽつねんと立っているひとがいる。私が歩いて行くと、はっとして顔をあげ、やがて落胆したかのように顔をふせる。


 でたらめに家いえの角をまがり、軒先を通り、緩やかな坂の途中にある駐車場ばかりが広いコンビニにたどり着いた。店内に客の姿はない。

 暖かな珈琲を買って駐車場で一服していると、さらさらと微かな音が聴こえてきた。店内の明かりを受けて、長靴の周りがくろく光って見えた。黒く見えるものは、闇夜に地面を流れる水である。


 水は坂の上方から流れてくる。そして私のまわりをぐるりと取り囲み、どこへともなく流れ去っていく。

 物は試しと、流れる水に沿って歩いてみた。

 足元ばかりを見て歩く。そうしていると、ふと顔をあげた時にはもう、自分がどこにいるのやら定かではなくなっていた。

 ただしんしんと夜ばかりが深くなっている。

 水はなめらかに、アスファルトのうえを流れるばかりだ。


 私はシャツの胸ポケットのうえから、小鬼の角をキツく握りしめた。布越しでも、角はほんのりと温かい。

 どんどん行くと、やがてきつい傾斜の坂が現れた。

 道幅がやけにほそい。

 坂は軒の低い木造住宅に挟まれるようにしてある。家いえは、そろって雨戸をたててしんと静まりかえっている。等間隔にたてられた、外灯の淡いひかりに、季節を間違えた羽虫が数匹たかっている。


 坂の途中に「五ッ寺町公民館」と看板のかかっている、二階建ての建物が現れた。

 いつつでら。

 聞いた事のない町名だ。紅い瓦がところどころ崩れているのが夜目にも映った。建物のぐるりを囲む狭い地面には、ざっくりと秋の草が背を伸ばし、虫の声が聴こえてくる。水は五ツ寺公民館の裏手から、かっきりとまがって流れてくる。


 私も曲がる。


 すると途端に視界が開けた。

 四方をぐるりと住宅に囲まれて、一面のススキ野原が広がっている。

 鈍い銀いろのススキの穂が、暗闇に重たくうねっているのが見事であった。私は長靴をよいことに、背の高いススキをかき分けながら、ざくざくと野原へと分け入った。


 しばらく歩くと前方に、ぽかりと輝く灯りを見つけた。

 ひとの気配もある。

 灯りを目指して歩を進めた。靴裏は堅い地面を踏みしめてはいない。歩く度に泥がまとわりつく。こぽこぽと地面から水が湧いている。

 湿った夜風が、長く伸ばした毛先をざざざとなぶっていった。強い風であった。

 思わず両腕で顔を覆い、まなこをきつく閉じる。するとくっきりと。辺りの気配を間近に感じた。

 大勢のひとの気配がある。

 私のすぐ側にある。

 前にもある。

 大勢なのにしんとしている。まなこを開けると、そこに沼が広がっていた。



  『 5/おぼろ月夜の祭り 』


 住宅街にあるとは信じられぬ、大きな沼であった。

 沼の縁のススキの根元は水にさらされ、倒れかけている。

 成る程。小鬼の言う通り。今夜突然現れた沼なのかもしれない。


 沼を囲むようにして、湿った地面に出店が並ぶ。沼の祭りだ。

 出店の間をぬうように客がいる。

 その客がことごとく怪しい。

 皆がみな。頭のてっぺんから足元まで、影のようにぼやけて見える。輪郭の定かではない、くろい、ぼやぼやとした影である。子どもは一人もいない。疲れたようになを丸める大人と老人ばかりだ。

 私は用心しいしい、出店を覗いて歩いた。


 ラムネがある。イカ焼きがある。おでん屋がある。

 赤・青・黄・緑・桃と五色に染められたカラーひよこが売られている。

 赤・黒・まだらの金魚すくい。

 鞍馬天狗くらまてんぐにまぼろし探偵。月光仮面げっこうかめんのセルロイドのお面売り。売られているものは、どこか古めかしい。まるで私の子ども時代に見かけたものばかりだ。


 夜店の店主達は、店の奥にひっそりと居る。威勢の良い呼び声はない。帽子のひさしを目深におろし。あるいは頭から手ぬぐいをすっぽりとかむり。椅子に腰をおろしたまま、動こうともしない。

 こんなにも、喧騒からとおく離れた祭りは初めてであった。


 私はできる限り目立たぬように、足音を忍ばせながら夜店を廻った。

 立ち上る焼き鳥の香ばしい匂いも。季節外れの氷を削る音も。どれもこれもが硝子板越しにあるような、別の世界のものに思えてくる。


 これはいけない。うつつがまるで幻だ。


 私は試しに小瓶の麦酒を買ってみた。

 軍手をはめた店主が、しゅぽんと栓抜きで王冠を抜く。景気の良いはずの音さえも、見えない袋に吸い込まれたかのように、しなびて聴こえる。

 よく冷えた瓶を手にとった。瓶の冷たさは指先から皮膚を通して、毛細血管に染み渡り、やがて躯全体までを変えていくようであった。

 店先に立ったまま、私は瓶へと唇をよせた。歩き通しで、知らず疲れていたのかもしれない。喉から胃の腑へと、つるつると落ちていく冷えた麦酒が心地よい。

 瓶の冷たさなど比べ物にならぬ。半永久的にも思える冷たさであった。

 まるで一本の、太くて立派な氷柱つららを飲み込んでいくようだ。それでいて躯の芯は火照っていく。

 なんとも痛快でありながら、不思議と微かな悲しみを誘う酩酊感に包まれた。

 飲み終わった瓶を店の男へと返し、私は散策を続けた。


 沼へ行こう。

 沼が良い。酔い任せに、誘われるようにと沼へと近づいた。


 沼の周囲にも人がいる。

 逆さまにしたビールケースに腰をかけて、黙って釣り糸を垂らしている。夜店同様。皆無言だ。


 沼には様々な大きさのヨーヨーと、スーパーボールがひしめきあっている。


 赤色。青色。黄色。緑色。水色桃色黒白、水玉縞模様。


 暗い沼の表面に、それらは滑稽なほど鮮やかに、かわいらしくも、ぷかぷかと浮かんでいる。ここに子どもがいたのならば、歓声をあげてヨーヨー釣りに興じるかもしれない。

 しかし居るのは矢張り大人ばかりだ。

 わたしは一人の紳士の側で足を止めた。

 分厚いコートに山高帽子(ポーラー・ハット)の紳士は、近くで見ても水羊羹のように頼りなく。うすくらい。

 まったくの人ではないのか。ここでは皆がそうなるのか。

 私は私の手を思わず眺めた。

 まだ大丈夫。温かく。あつみがあり。きちんと動く。普通の手に見える。


 紳士の傍らに置かれているバケツを覗くと、水があるばかりで魚影はおろか、ヨーヨーも。スーパーボールもない。バケツには藻の切れ端らしいものが、ゆらゆらと浮き沈みしているばかりだ。

 それでも紳士は熱心に、動かぬ糸の先を見つめている。


「釣れますか?」

 試しに声をかけてみたが、応えはない。

 紳士の隣の、ランニングシャツの男も、髪のながい年増の女も。皆釣り糸を垂らしているのに、見事にぼうずだ。


 沼を半周すると、外灯を背に座っている初老の女がいる。

 女は釣りをしていない。

 短パンを履いた短い足を組み、退屈そうに爪を磨いている。

 破けた麦わら帽子を被り、寒くないのかうえは桃色のTシャツ一枚だ。垂れさがった女の胸元に「ジャミぱん」と青い文字が書かれている。


「こんばんは」

 頭を下げて女へ挨拶をする。いつもより、ずっと掠れた声がでた。


「ああ、いらっしゃい」

 女が快活に応える。女にはくっきりとした顔がある。どこもうすくない。くろくない。

 釣りでき〼。女の足もとの、雑に切り取られた段ボールに書かれた文字に、私は目を走らせた。


「ここはあなたの釣り場ですか?」

「ああ。そうだ。智子さんの釣り場だよ」

 女が胸をはる。ジャミぱんの文字がぐっと横にひろがる。


「釣りならお代が必要だ。沼は全部智子さんのもんだからね」

「なにが釣れますか?」

 見て来た限り。釣り人の竿にかかっている魚はない。


「色々さ」

 智子さんが鼻息荒く言う。


「智子さんの沼は特別だからね。さがし物がどっさりみつかる」

 そう言って分厚い掌をわたしへ向かって、にゅうと差し出す。

 智子さんは、腕も足も生白い。

 しろくでっぷりとしている肌のうえを、青と紫色の血管が、縦横無尽に走っている。


「一夜かね? 二夜かね? 三夜かね?」

 智子さんはさも当然とばかりに聞く。


 何の事なのかよく分からぬ。

 首をかしげると、智子さんは同じ事をもう一遍いっぺん聞いてきた。分からぬままに、

「ひとつ」

 そう言うと、智子さんが「ん」と言って掌を二、三度振る。

 私はそこへ、小鬼からもらった角をそっと置いた。

 摘んだ角はすべらかで、惜しい気持ちがつかの間わきあったが、それ以上に興味がまさった。


 さがし物がみつかる。

 私は乾いた唇を舌先でなぞった。


「釣り人。いちやあああ」

 大声で智子さんが、がなり立てた。

 どこからともなく、二足歩行の蛙がやって来て、「へい。お待ち。へい。蛙でござい」頭を低く、私へ向かってお辞儀をした。

「……よろしく」

 私も思わず頭をさげる。そこへ蛙は、

「釣り竿はお持ちで、糸もございますか。ああ。準備万端のご様子。ではこちらへ」

 そう言うなり私の前へ立ち、へこへこと沼の縁へと歩き出した。



 『 6/一夜の釣り 』


 二足歩行の蛙が指差すビールケースへ腰かけた。余り人のいない場所であった。


「餌は必要ないであります」

 蛙が話す。


「餌がなくとも釣れますか?」

 私の質問に蛙が頷く。


「へい。大丈夫でございます」

「けど、釣れている人をみていませんが」

「へい。けれど運などというものは、所詮天まかせ。かかる時はかかる。かからぬ時はかからぬもの。人生は流転。この世は万事、塞翁が馬でございます」


 講釈を垂れると、蛙は沼へざんぶと飛び込んだ。

 ちいさな波がたつ。

 カラフルなヨーヨーとスーパーボールが、ゆらんゆらんと水面で揺れる。

 釣りなどした事もない。途方にくれつつも、私は餌のない糸を沼へ垂らした。


 この世は万事塞翁が馬。

 蛙もなかなか穿うがった見方をするではないか。元をただせば煙草二本と交換した小鬼の角だ。釣れても、釣れなくとも良いかもしれぬ。


 だからと言って。黙って何も起こらぬ水面みなもを見つめているのは退屈だ。朧にかすんだ月は、真上にかかったまま動いていない。

 夜があけるまでここに居るのかと思えば、退屈に拍車がかかる。

 持ってきたヘッドフォンをリュックから取りだし音楽を聞く。灯りが乏しいので適当に選んだ。

 柔らかなピアノの音。

 ドビュッシーの子供の領分だ。これでは眠気はますます強くなる一方だ。

 逆らわず。私はそっと目蓋まぶたを閉じた。



 『 7/どんどんかるく 』


 夢を見ていた。

 

 夢の私はさがす事ではなく、すてる事に夢中になっている。


 鋏。ボールペン。定規にミシン。メジャーも捨てた。

 洋服は面白いほどあった。

 もう着ないけど、高くてなかなか手がでなかったワンピース。首ののびた、けれど気に入っているTシャツ。華奢なヒールの靴。母から結婚の時に送られた真珠のネックレスとピアスは、流石にゴミにはだせずに売ってしまった。


 口紅。香水。マニュキア。

 可愛い空き缶。レースのついたハンケチ。重たい画集に写真集。使うのが難しい各種スパイス。ローズマリーの育った鉢。たまっていくカード会社の請求書。虫除けスプレー。日焼け止め。


 椅子もソファーも粗大ゴミで捨てた。

 食器を半分。問答無用で捨てた。

 スプーンもフォークも箸も捨てる。

 ウエッジウッドの紅茶カップも迷わず捨てた。

 大ぶりのマグカップを、がらがらとゴミ袋へ放り込む。カップは全て、学会の度に夫が買いそろえていった、ご当地大学のマグカップだ。

 そこではたと気がついた。

 ああ。そうだ。私にはかつて夫がいたのだ。


 捨てるものはいくらでもあった。

 まだまだあった。

 面白くて止まらない。

 捨てれば捨てるだけ、どんどんかるく。どんどんうすくなっていく気持ちになれた。


 こどものおもちゃ箱がある。三ヶもある。そこでふと手がとまった。

 私に子どもがいたのであろうか。

 いたのであろうな。しかしここには今いない。ならば捨てても良いだろう。

 カラフルなプラスチックのおもちゃたちが音をたてて、ゴミ袋のなかに吸い込まれていく。

 気持ちよくも、寂しい光景であった。

 だのに夢の私は笑っている。楽しそうに。かかかと笑っている。


 笑う自分の姿を、寝ながら釣り糸をたれている私が見ている。

 見ながらああ、夢なのだ。そう分かっているというのに、見ているだけで胃が痛んでくる。しくしくと痛む胃を押さえ、海老のように躯を丸めた。夜店で飲んだ麦酒が、にわかに膨れ上がって逆流してきそうだった。

 額に脂汗が浮かぶ。悪寒おかんが走り、本当に吐きそうだ。開けた口から嗚咽おえつがもれた。

 助けて。と言葉にならぬ悲鳴をあげた。

 てっきり。闇夜をつんざく大声で夢からめるものだと思ったが、違う。

 私の口からもれた悲鳴は野鳩の鳴き声であった。


 るるっぽ。るっぽ。るるぽっぽ。


 マヌケな声に一度に緊迫感が抜けていった。

 苦しみの変わりに、可笑しさがこみ上げてきた。丸めた格好のままくつくつと笑った。

 久しぶりに笑った。

 笑えばわらうだけ、胸を締めつけていた苦しみがぬけていく。

 夢を見ながら目を開けた。開けた先に夢の私がいる。全てを捨てている私がいる。呵呵かかかと笑ってなどいない。声もださずに泣いているではないか。泣きながら、家の中を空っぽにしている。


 ああ。思いだした。


 そうだ。

 そうであった。


 さがし物など最初からなかったのだ。

 無くしてなどいなかった。

 私が自分で全部。ぜんぶ捨てたのだ。なくしたのは、辛かった記憶であった。


 夢の向こう側で、記憶の私がゆらりと立ちつくしている。

 部屋はもう空っぽだ。私は両手にもっている最後の品物をうつろな眼差しで眺めている。


 右手に鳩笛。

 左手にお面。


 鳩笛は夫が、あの子へ。

 鬼のお面は夜店で私が選んだものだった。鬼の顔は怖くない。ユーモラスに微笑んでいる。


 ああ。すっかり思いだした。

 欠けていた私の内部が、ひたりと満たされていく。


 これをつけて、年があけたら豆まきをしようね。

 そうしよう。

 そうしましょう。

 そう言って三人でそぞろ歩いた秋のお祭り。けれどそれは叶わぬ未来の約束になってしまったのだった。


 私は夢を見ながら笑った。


 ぐるっぽ。るっぽ。

 

 夢の私は泣いている。


 ぐるるっぽ。


 ベランダで見た幻は、家を出て行った夫だ。


 るるっぽ。るっぽ。


 あの子が亡くなって。私たち夫婦は会話を忘れた。

 あの人はいつも鳩笛をひとりベランダで吹いていた。


 わたしは逆だ。

 忘れたくて。忘れられなくて。

 けれど忘れてしまいたくて。

 気狂いのように。捨てて。捨てて。捨てまくったのだ。

 気がついたら、夫も姿を消して。

 私はひとり。十四階のがらんとした部屋で、毛布をかぶって震えているばかりであったのだ。


 ※ ※ ※



「もし。お客さん。もし。お客さん」

 声をかけられて、意識がひとつにつながった。


「もしもし。お客さん。もし。もしもし」

 目を開けると蛙がいた。

 一匹ではなかった。私の周囲を多くの蛙が、十重二十重とえはたえと囲んでいる。

 蛙たちは手に手に、マッチ棒を持っている。

 それにちいさな火をぽおっとともしている。


「一夜はもう開けます」

「お帰りのお時間です」

「沼に飲み込まれるその前に」

「帰り支度のご用意を」


 そう言って、ぺこりと頭をさげて、ぞろりぞろりと沼のなかへとはいっていく。

 マッチの火は不思議な事に、沼の水面に触れてもしばらくの間は灯っている。

 いくつものちいさな灯りが水中でゆっくりと消えていくさまを、私はぼおとした頭で見つめていた。

 やがてゆっくりと意識が現実の波間に浮上していって、私は改めて辺りを見渡した。


 智子さんも。

 沼の祭りの客たちも、昨夜以上にぼやぼやとして見える。

 夜店のテントはあるけれど、皆店をしめている。

 ここで一夜が開けた私は、もうのけ者だからだろう。足元にひたひたと打ち寄せる沼の水さえも、なんだか造りものめいている。

 座りっぱなしで固まった躯をうんと伸ばし、ヘッドフォンの音楽を止める。

 釣り道具を片付けて、私はおぼろ月夜の祭り会場を後にした。



 『 8/よび声 』


 ぐるっぽ。ぐるる。

 ぐるっぽ。るっぽ。


 五ッ寺町公民館の紅い屋根瓦が見える。

 秋の澄んだ空に、星がよわく瞬いている。

 夜明けだ。もし着けたならば、あのコンビニで煙草と珈琲を買おう。それからビスケット。

 そう。たどり着けたなら。

 私はそっとシャツの胸ポケットを押さえた。そこにはもう、あの暖かな小鬼の角はない。ポケットにあるのは釣り針にひっかかっていた、セルロイドの欠片だ。欠片は赤い。私があの子に買ってあげて、最後には捨ててしまった赤鬼の面の欠片であろうか。

 

 ぐるっぽ。るっぽ。

 ぐるるっぽ。


 私の行く手から野鳩の鳴き声がする。けれどあれは野鳩じゃあない。

 あれは鳩笛の音だ。


 五ツ寺町公民館の裏手に誰か立っている。

 ちいさな背丈。半ズボンから伸びる華奢な足。

 ぼうぼうと伸びた草のなかに、あの子がいる。

 不思議と怖くはない。だって沼からあの子を探し出したのは、私なのだから。


 子どもは頬の一部がかけた鬼の面をつけている。右手には鳩笛を握り。左手にはヨーヨーを下げている。

 私は立ち止まると、子どもへ手を伸ばした。


「おいでよ」


 子どもはややしばらく迷った風でありながら、もう一度呼ぶと素早く草むらから飛びだして来た。そうして甘えるように、私の手を掴む。

 私はあの子の右手から鳩笛を受け取って、きつく手を繋いだ。つないだ掌の厚みが、いなくなった夫そっくりで、思わず笑ってしまう。


 るるっぽ。るっぽ。るるぽっぽ。


 今度は私が笛を吹いた。

 公民館の脇を二人で、かっきりと曲がる。

 曲がった先がどんな光景であろうとも。もう忘れる事はないだろう。


 ぐるっぽ。るっぽ。ぐるるっぽ。


 鳩笛は、のんきな音を奏でている。



                           完




 文中注解

  「耳こすり」耳うち。

  「ぼうず」釣りで魚が一匹も釣れない事。

  「〼」枡記号。読み方は、ます。看板などでかつて多用されていた。


 

もう何も言うまい。長いのだ。どんどんくらく。どんどん長くなっていく。

ここまで読んでいただいた方へ感謝の気持ちで「ありがとうございました」と伝えたいです。もしお時間があれば感想等をよろしくお願い致します。次作の参考とさせていただきます。


原稿用紙換算枚数 約40枚

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― 新着の感想 ―
[良い点] ディープな短篇です。 雰囲気も沼具合も構成も全てディープです。 [一言] 夫も子供も失ったら誰だって不安定になりますね。それで、たくさんの思い出を抱え込んで過去に浸る人もいれば、つらく忘れ…
[一言] 文章がすっと頭に入ってきます。現実か非現実か、わけのわからない世界なのですが、すっと頭に入ってきます。 文の切り方や擬音の選び方が面白いと感じます。奇抜な面白さではなく、読んでいて気持ちよく…
[一言] おおう、おおう、カラスウリワールド。今ゆらゆらした余韻に浸ってます。月夜の祭り、探し物の釣り、悲しい記憶、鳩笛と鬼のお面。現実と非現実が混ざり合った不思議で切ないお話ですね。実際に彼女が体験…
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