ナルモアの樹の下で
小説を書くのは初めてですが、読んでもらえると嬉しいです。最初はタッチの軽い小説を書こうかと思っていたんですが、描くんなら何かメッセージ性の強い短編小説を描こうじゃないかと思いついて書き始めていきました。描いていく中で自分でもこんなに長くしてしまった事に驚いています。では最後まで読んでもらえれば私のこの作品に込めたメッセージを分かってもらえるはずです。
「ともひろ? 起きる時間よ!」
とても聞き慣れた声が響いてくる、そして甘い匂いに少し苦した香りも臭ってくる。そう、僕の実の母である。指名を連呼して毎日の朝を出迎えしてくれる唯一の僕が信用を来している人物である。産まれ付き、盲目の障害者である息子を手放さなかったとても器の大きい人物で感謝し切れない程に借りを重ねている。本当に感謝をし切れないから攻めてもの気持ちで親孝行を実行してるつもりだ。だが盲目の僕に手伝える事なんて数少ない。さっきまで何かを苦している香りがもっと強くなっていった。匂いから察するに【コーヒー】だ。パン屋の特性の匂いも嗅げるという事は、僕の大好きなクロワッサンが有るという事なのだろうか。そう他愛も無い事を思っていると再び母さんの声が聞こえてくる。
「ともひろっ! 起きなさいっ!」
仰向けで眠っていた僕は、少ししんどそうに両手で腰をベッドの上で起こさせる。中々思う様に動かない体に僕は少し怒りの態度を取ってベッドから立ち上がる。一度も見たことのない自分の部屋をまるで慣れているかのような手慣れ付きで壁を沿って僕は一階へと繋がる階段を慎重に降りていく。途中で足を踏み外し、落ちそうになるが、慣れている事だ。其処で体を立て直すと外から野鳥のウグイスの歌声が聞こえてくる、何とも呑気な歌声だと僕は少し顔に笑みを作った。階段を降り終わった其の直後、母さんが僕に近づき、自分の手を取っては引っ張って行く。その行為に僕は反論する、まるで子供のように。
「いいよっ! 自分で出来るから…」
そうして母さんの手を払う。呆気の無い僕の行動に屈辱の感情が押し寄せてくる。
「そう言って、全て一人で出来る訳じゃ無いのよ」
「わかってるよ、出来ることは自分でやるから、母さんは心配しないで」
「…一体、誰に似たのかしら」
母さんはそう言って常に他界した父さんを思い浮かべたことだろう。何せ父さんは頑固強い人柄だったから。
朝鮮な朝の食卓に並んでいるであろうテーブルの椅子に僕はゆっくりと手を当てながらそっと腰を預ける。コーヒーの匂いと出来上がったばかりのクロワッサンであろうパンを見える筈のないのに一瞥をし、母さんに向けて重くなってしまった口を開ける。
「母さん、ウグイスってどんな風浪してるの?」
「ウグイス? 何それ? 可愛い名前だわ」
「ウグイスっていう鳥類だよ、知らなかったらいいけど…」
「あー、小鳥ね、そうだね、可愛いかな」
そう言って僕は母さんとの退屈な一時の為、話題を引っ張ろうと何時しか階段を降りていた時に鳴いていたウグイスを思い出してつい聞いてみたが、結果は【可愛い】の一言。盲目の人に【可愛い】の詳細な説明は無得である。まず色という言葉や意味が理解できない不自由な人に重ねて【可愛い】というのは似たような物だ。だが、色と言われたら僕は何となく分かるような感じがする。だけど【可愛い】や【キモい】の類は決して中途半端な物ではないだろうし、盲目の自分には縁がない物だと思っている。だが【可愛い】には色々な意味がある事は僕は知っている。まぁ、僕がこうして自分の思考を練っても解決する物ではないし、【可愛い】なんてこれから生涯、目にして感じることはないからだ。深々に諦めかけた所、僕はもう一つ母さんに質問してみた。
「僕って、かっこいい?」
「ん?…」
っと母さんが自分の顔に近づいて来ることが感じれる。
「まぁ、SAMURAIって感じかな」
「母さん、全然手伝ってないよ」
「うーん、じゃTHE 日本人みたいな?」
「はぁ…何でもない、忘れてください」
「大丈夫! かっこいいから心配しないで! 色々な女の子を虜に出来るからっ!」
そう言われて、僕は嬉しいのか分からなくなっていった。見えない物を認証出来ないから何を言われても理解すら出来ない、まるで他の口語を述べられているように、何度聞き返してもどうしても理解できなかった。だが其の場合、学べればその口語は理解できるが僕の場合は学べる事すら出来ない。
「ゴホッ…ゴホッ!」
「母さん! 大丈夫!?」
「只喉詰まらせただけだわ…」
-永遠に分からない国語。自分だけが分からない国語。
× × × × × ×
僕の一日は至って退屈で、虚しいの一言で異論はない。学校にも行かず、そして願望の友達一人もいない。そんな一日をまるで永遠に繰り返していくようで、僕は少々鬱病にかかって来ている。だが、一つだけ退屈もせずに楽しめる時間が有る。それは何時も僕の家庭教師で授業をくれる幼馴染だ。若いのにその優秀な頭脳で全国トップクラス、更には優雅で美しい性格、そして聞いた所では美人な風浪だそうだ。毎日嫉妬塗れな奢侈な生活を送っているお嬢様が僕だけのために時間を開けてくれると言ったのは間違いなく僕は幸せなんだろうと思う。そして今も、こうして彼女は僕の隣で座って余り無く口を動かしながら授業を行っている。
「だから、この方式を使ってこの問題に適用すると…ほらっ! 解けた!」
何やら楽しげな様子で自分自身で作った問題文を解くと、一人歓声を小さく上げる。彼女の顔が見れないことだけが唯一の未練だ。
「で、どうだったの? 試験は?」
「ア~、あれね、通ったけど別にって感じ」
「なんだよそれ、励ましい事なのに、やっぱお前にとっちゃ平然で当たり前ってか?」
「そうじゃないわよ、父に無理やり希望された試験に感動も何もないわよ」
「家族問題か…お気の毒だ」
「何が?」
「いや…何でもない、ただ、勿体無いなって」
「相変わらず、意味の分からないともちゃんだね」
そう言って、彼女は再びその甘い匂いを放つ口を動き出すと微妙な発音の音色で、机に置かれた問題文を読み上げる。そこで僕は自分に問う。
彼女の髪の毛の色は何色なんだろう?
彼女の瞳の色は何色なんだろうか?
彼女の肌は何色か?
彼女の…世界に僕はいるのだろうか?視界に写っているのだろうか?…もちろん一人の男として。
そう思って僕はふと思う、なぜそれらの事をはっきりなせないのかを。そして蹲っていた僕の口は音色を放った。
「なぁ、美雨」
「何? 授業中だよ」
「知ってる、一つ聞きたい」
「何?」
「君の髪…の毛の色って何色?」
途中で動きを止めた口だが、蹲らずに最後まで口走った。するとすぐに答えは彼女から帰ってきた。
「え? それって意味有るの?」
「いいから、聞きたい」
「えっと…普通の黒だけど」
「ふーん、じゃぁ、眼の色」
その時、小音ながらも彼女から溜息が漏れるのを逃さず僕は聞き取った。
「弱めの茶色」
「へぇー、肌の色は?」
「え? 肌の色? 黄色かかっている白かな」
満足気に僕は顔に笑みを作って、彼女を驚かしてみせるも彼女の反応の顔が分からず自分にとって意味のない行動をした。そして最後に僕は自分の中にうずっと気がかりになっていた問題を聞いてみる。
「じゃぁ、最後の質問」
「急にどうしちゃったんだろう」
「まぁまぁ聞いて、…君から見た僕って何色?」
「はい?」
「いいから答えて」
僕は本能的に彼女の手を取ってみる。
「え? 何々!? ともちゃん壊れちゃったの!? 大丈夫?」
「好き色か…嫌い色か、答えて」
彼女の全体図を把握できない欠点があるが、僕は何となく自分の顔を彼女に近づいてみる。こうして新たな僕の人生を進行出来たらっと思うが答えなんて考えこむ時間を与えずに彼女は答えた。
もちろん結果は…
「あ、それって…告白って事でいいの?」
「あ、あぁ」
「…悪いけど、無理」
「知ってる」
NOだ。予想は出来てた。だが認めたくもない現実に隠れちゃダメだと勇気を振りかぶってみたものの唖然と当たって砕けた。悲しい事だ、だが現実だ。
「やっぱ、僕が盲目だからか?」
「ち、ちがうよっ! そんなこと無いよ! ともちゃんは優しいし、見た目も格好いいよ! でも、ともちゃんの事、弟みたいな感じでしか見れないっていうか」
「ふん、この嘘つき」
「嘘じゃないって…」
その時気づいた、僕の手が少し震えていた事に。
悲しい事だ。こうしてまた、現実という化物が僕の懐を狙って襲いにやってくる。何度も何度もこういったシチュエーションに出迎えている、現実という化物が自分の気力をまるでコウモリの様に吸ってくる、いや吸血鬼だろうか。よく僕は物の例えが出来ない、何せ、その’’物’’を観たことがないのだから。後悔ばかりの日々に少々疲れを来している、もう、僕は死んでいいだろうか。言い方を変えて、もう安らかになっていいのだろうか。今目の前にいる彼女の顔が浮かんでこないのも当たり前のことだ。どういう顔をしているんだろうか、やはり困っているんだろうか? なら謝る。だって僕のせいだから。視力があったらこうはならなかったんだろうな。
「今、君はどんな顔をしている?」
「嬉しい顔」
「…は?」
「だって、告白してくるってことは、ともちゃんはまだ人生諦めてないんだね、それにほっとしているの」
「たった今、その人生を諦めようとしているけどな」
「ふふっ」
「笑うなしっ!」
可愛いってこの事なんだろうか? っと僕は今朝の母との会話を連想させる。
もう少しで日が暮れる。そろそろ退屈のない時間が過ぎてゆく、彼女は何も無かったかのように帰って行き、一人残された部屋で、僕は今までの会話を思い出し、少し照れくさそうに手で顔を隠しながら腕を自分で甘噛をする。まるで一般人の様に。まるで不自由の無い人かの様に。まるで…人かの様に、僕は嬉しさと言うものを感じた。
× × × × × ×
赭色に染まっていた夕陽がもう目の前にはいない、もうとっくに地平線の下へと隠れてしまったんだろう、だが交代型で今度は小さな月が顔を出した、っと僕は自分で妄想をしてみる。いや何処かで読んだ小説の一部分を思い出して読み上げただけだった。僕は小説が好きだ。何せ決められた形がない。自分で想像する限り、自分次第で無限大にストーリーが膨れ上がっていく。だが観念なのは僕には余り想像力がないからだ。いや、小説を読むには僕は無知すぎるのだ。とパソコンから出てくる不協和音と一緒に機械音で小説が読み上げられていく。僕には視力がないからこうして機械音にして読み上げられないといけない。これもまた、僕の一日の楽しみだ。
「ソコデ、ショウネンハカノジョノクチビルノアジヲシッタ」
-彼女の唇の味を知った。
パソコンから読み上げられた一文に僕は敏感になる。そういうチャンスが僕に降ってくるのだろうかと自分に自問する。願ってくればそういうチャンスは絶対やってくるという引き寄せの法則を僕は知っている。だが、それが果たして本当なのかは分からない、本当だったら僕は願う’’世界を見たい’’っと一瞬でもいいから世界を見渡したいと。
「ともひろっ! 出掛けてくるわね! 留守番するのよ!」
と母さんの叫ぶ声が一階から聞こえてくる、同時に玄関の開く音も聞こえてくる。こうして一人の時間がやってくる。普段はこのまま小説を聞いて時間を潰すのだが、今日に限って妙な違和感が体全体に走る。一体何でなんだろうか? っと分るはずのない感情に僕は眉毛を顰めて溜息を零し、小説の世界に入っていった。それからあまり時間が経っていないにもかかわらず自分に睡魔が襲ってき始めていることが分かっていた。そして直ぐに僕は寝落ちというものをした。
トルルル…トルルルル
という電話機の音に僕は目が覚めたが、まだ少し怠けている様子でその電話機の有る一階へと急いで向かい始めた。階段を慎重に降りると台所から鳴っているそれを手にとって耳に翳す。
「もしもし…」
欠伸とともに僕は発音をし、様子を窺うが相手はすぐに答えた。
「あ、えーっと、君は、赤瀬 ともひろ君かね?…」
「はい、そうですが何か御用で?」
相手は少し言いにくそうに物を喋っている事に僕は可笑しさと違和感を同時に覚える。だが次の相手の言葉で僕は身動きできなくなる。
「言い難いことなんだけど、君の…お母さんが急に道中で倒れているのと通報があってね、病院に輸送したんだけど…息を引き取られてしまって」
「…は」
「それで君に確認をしてもらいたくてね、名前は赤瀬 多美さんで合っているかな?」
「あ…はい」
「それじゃ、もう一確認のため、病院に来てもらえるかね? 重要なことなんだ確認を取るっていうのは、分るね? 悲しいことだけど-」
「うるせぇよ…」
「はい?」
「うるせぇんだよ…ゴチャゴチャと! 子供じゃねんだよこっちぁ! 要件だけ言って去ればいい物をわざわざ言いくるめてんじゃねぇぞ、藪医者! ドッキリかなんかだろ!? そうだったら悪趣味な娯楽してんじゃねーぞっ! 道中に倒れていただぁ!? ちゃんと日本語勉強しろよハゲぇ! こっちぁ眠てぇのにわざわざ電話に出てやったってのに、こんなつまらない会話を聞くことになるとは夢にも見なかったねぇ! さっさとドッキリ発言しろやハゲ、そうじゃなきゃ…つまらないよ…嘘だって言ってくれ…お願いだ…」
そう言っては自我を失って、発狂寸前で我に返った。
「と、ともひろくん、落ち着こう!」
その医者の一言で、僕は目から涙を流した。一滴一滴が大きく感じれる涙の一粒に僕は手を当ててみる。温かい、水滴なはずなのに何故か暖かかった。どうしてこんなにも呼吸が困難なんだろうか、どうしてこんなに手が震えるんだろうか、まともに電話機を手に持てない。そして何故か口の中から塩っぱい感覚が襲う、少し経ってそれは目から零れ落ちる涙の味なんだろうと僕は確信づけた。僕の目玉は泣く為だけに存在しているのか? 僕は説いた。なぜ盲目な自分に目玉が有るんだろう? かと不思議になって僕はキッチンから手当たり次第に少し大きい包丁を手にすると、息を喘ぎながら勢い良く目玉が有るだろう位置に劈く、後悔は無い。何せ、必要の無い物だから。
「うぎゃぁぁぁっ!」
僕は、可笑しくなっていた。何が正しいかなんてどうでも良くなっていた。いや…脳が処理に追いつけなくなって故障をしてしまったに違いない。だけどそんなものはどうでもいい、最後にと母さんの顔だけでも拝めたらっと僕はそのままの格好で月の注ぐ街中を奔走した。口の中で広がっていた塩っぱい味が今度は苦い味へと変わっていた、目から零れた血の味なんだろうか。だが構いなしに、目の見えない障害者が街の中を走り回る。だが僕に病院の場所なんて知らない、聞き忘れたことを今思い出した。だがそれも構いなしに闇の中を感覚頼りに奔走する。見えない見えない、慣れたことをこんなにも恨んだことはなかった。
それから僕は長時間街中で走りながら叫びながらで最後には足の力を尽き、そのままアスファルトの道端で転げ落ちた。人生でこんなにも走ったことはなかった、目的場所を何時の間にか忘れ、走る事だけに夢中になっていた。此処じゃない何処かへと自分の足を頼りにと、結果はアスファルトの道坂。その道坂の上で仰向けになって僕は冷え込んだ頬を噛みしめる。倒れているのも束の間、トラックのクラクションを聞くと何やら人が叫んでいるのが聞き取れる。
「こ、こらぁ! 道中で眠るんじゃない! この酔っぱらいがぁ!」
っと廻から無数の数のクラクションを聞くと僕は狂ったように叫んだ。
「はぁぁ…困れ、困れっ!困れっ!困っちまえばいいんだよ! 世界中困りやがれぇ!」
そして無数のクラクションに囲まれながらも僕は自分のポケットから音通が響いてるのを逃さす掴み聞き、そのポケットに手を伸ばす。着信は、美雨からだった。
「…もしもし」
「あっ! やっと繋がった! って何処にいるの!? 凄い呉音だけど大丈夫!?」
「美雨…」
「何?」
「助けてぇ…お願い」
必死に泣かないようにと堪えながら僕は美雨に心からの助けを叫んだ。
× × × × × ×
今、僕の目の前には無表情で横たわっている母さんの死体が有る。霊安室に放置された白い白雪姫は今、僕の目の前でプリンスを待ち望んでいるがそのプリンスが存在したとしてもキスひとつで起きるはずがない、それが魔法のキスだったとしてもだ。現実はお伽話の様にハッピーエンドは無い。有るのは苦痛と苦痛と苦痛だけで他ならない。
「えー…本当に悲しいことをお浴びします、息子さんの赤瀬 ともひろさんっであってるよね?」
と霊安室にいた医師に質問されるが、僕はぼーっとして応える素振りを見せないと隣りにいた美雨に肩を叩かれジェスチャーで答えろと申し出た。
「あ、そうです…」
固まった口を動かすと、堪らず変な気持ちに襲われ、血の気が引く。こうもして頑張って人生で戦ってきた人が簡単に死んでしまうものだなんて、この世は理不尽だ。だが不思議な事に自分に悲しいという気持ちはない、だが、有るのは怒りだ。
「一つ、質問…していいですか」
僕は解した唇で音を奏でると、医師は上下に小さく頭を降った。
「本当に、急病なんですか? 急病って…そんなに直ぐに死因にまで持ってくる物…何ですか?」
「それはありえないね、急病って病気にもよるけどそんなに直ぐに発症して死につながるものではないよ、でも多美さんの場合を考えると随分前から病気に浸かっているとしか…考えられないね、それに首元に大きな腫れが出来ていることが見えるのでおそらくその可能性かと」
告げられた告白に僕は更に落ち込む。何故ならこれらの事全部は僕のせいだってことなんだ、首元の腫れは随分前からという言葉に僕は敏感に悲しくなる、自分が母さんの異変を直視できたら自分が盲目でなかったら多分今頃、母さんは霊安室になんかいなかったんだろう。ああ、なんてことだ…これは重大な問題だ。このまま僕は自分の実家ではなく障害者の集う場所へと無理やり連れられ、意味のない人生を生きていくのか。
「では最後に此処にサインをしてもらって…後は二人っきりにしますからご自由にしてください」
「ありがとうございます…」
目の前に翳されたであろう紙に僕は適当にペンを走らせ、医者の去っていく音を聞いてから立ち止まった美雨に僕は一言だけを告げた。
「セックスさせて」
もちろん突然な告白に唾を飲んだんだろう、だが嫌らしい気持ちなんて無い、むしろ健全な気持ちで望んでいる物を言っただけだ、気を落ち着かせる為に。
「…いいよ」
答えは意外なものであった。あの少女がこの願いを聞いてくれるとは思ってもいなかった。だがそう言われて僕は興奮し始めていた、事柄を始める為に僕はゆっくりと座っていた席を立って、彼女の目の前まで往くと彼女の両肩を両手で優しく掴み、そっと顔を近づける。そして懇願だった僕の夢の一つ’’キス’’という行為を僕はゆっくりと味わった、僕の唇と彼女の柔らかい唇に重ねてみると幸せの味を感じることが出来た。
だが、僕にこれから先の行為をすべて実行させる気力は無いから、甘いキスの後、彼女の両肩を掴んでいた僕の両手で彼女を弱めに後ろに押して彼女との間に幅ができてから口を開いた。
「冗談で、言ったんだけどな」
「嘘つき、本音でしょ?」
「まぁ、君と付き合ったら僕の人生は百八十度変わるんだろうけど、もう遅いよ」
「何が遅いの? いつから遅いの?」
「僕が、盲目で産まれた日から」
「そんなこと言わないで、貴方を育てた多美さんに失礼だよ」
「じゃぁ、さぁ、僕と付き合ってよ、死ぬまで、灰になるまで、盲目な僕の世話を一生生涯贈ろうよ」
「え…」
「出来っこないさ、誰もそんな人生望んでないさ、悪いけど帰ってくれないか、母さんと二人きりになりたい」
「わかった…」
そう言って美雨は帰っていった、少し怒り気味に。そして陰湿な部屋で残された僕と母さん。気づいたら目の痛みなんて消え去っていた、一つなくなった眼球を今さら元の場所には戻せない、深く傷ついた眼球も深く傷ついた心も深く傷ついた気持ちでさえもう元の場所へとは戻れない。少し悩んだ末、僕は有る結論に至って両手の平で顔を叩いてから口を発した。
「よしっ、死のう!」
今度は冗談なんかではない、そして緩んだ気持ちなんて無い、本気だ。コレから人生を続けるにしても苦痛しか待っていないのだ、それに一体何の意味がある?唯一の生き甲斐であった人物を失った今、僕は自殺という結論に至った。反論するものは誰一人いない、僕の決断は僕だけのもの。そう思って僕は渡しそびれた医者のペンを片手に握り、ゆっくりと首元に持っていく。さよなら、僕の儚い人生よ。そしてただいま、死者の世界へと。そして次の瞬間、僕の意識は遠のいていた。
× × × × × ×
死んだ筈だった僕だが、今、瞼を開けてみると緑の温かい匂いがし始める。動く筈の無い瞼だが確かに動き出した、もしかして此処は人間の言う地獄か天国の地なのだろうか。自分には直視できない場所だが、居心地の良い感覚が体中に湧き上がる。だが次の瞬間で自分の見えていた世界が起死回生する。誰かが自分の顔を一撫するのを感じると暗黒な暗闇の世界が不思議と色の着いたカラフルな世界へと変換させた。そう、生涯科学的に物理的に視力を途絶えていたというのに一瞬にして視力を取り戻し、自分の瞳が色を灯す。
最初に目に出来たのは仰向けになっている僕の真上に無数の葉を翳した樹である。初めて目にした”樹”とはとても馴れ馴れしいものではないけれど兎に角物珍しいと言うべきかっと僕は困惑し始めている、まさか体験するとは思わなかった初体験に頭を掲げ、すっと軽く感じた体を僕は無理やり起き起こす。体を起こしてから背景を見ようと樹に背を預けると僕は呆気無い声で猛然と発する。
「世界って、こんなに狭いのか」
そう、僕の廻には生やした芝生と大樹だけで数メートル先には真っ白な世界が広がっていた。でも僕の聞き取った数々の小説の表現方法では視界に広がる景色とか投げん出るが、果たしてコレを視界に広がる何とかというものなのか、それとも此処が僕のいた現実世界とは異なった異世界だからだろうか、そんな事は知る良は無いがそんな事はどうでもいい実に僕は嬉しいのである、死んで正解とは言わない、だが夢にも見なかった”見る”という行為を決行出来たのだから異論は無く死ねるはずだ、おっと、もう僕は死んでいるのか。
「この芝生の色ってなんだろう? 黄色かな? 赤かな? それとも青?」
そう言って僕は芝生を優しく突いてみる。不思議な形だ。コレを正方形という言うのだろうか? 四角形というのだろうか六角形というのだろうか? これらを僕は観たことがないから何かの例を上げるのが下手なのだ、だが再び同じことを言うがそんな事はどうでもいい、何せ僕は死んでいるのだ。たとえ視力を取り戻せたとしても、もう帰り道なんて見当たらないのだから。目の前に広がる世界が僕にとっての全てなんだから。
いつまでこの景色を覗き込んでいないといけないんだと諦めが付いてきた時に事は動き出す。
(やぁ、ともひろくん)
「あっ!?」
僕は突然掛けられた声にビックリして呆気無い声を出すが、すぐに冷静さを保ち、声の主は何処にいるんだと慣れない行動なのに辺りを見渡す。
「何処にいるんですか? 見当たらないんですが…」
(君の直ぐ後ろだよ)
「後ろ? いや、誰もいないけど」
(君が私に背凭れているじゃないか)
「背凭れている?…待てよ、まさか…この大樹じゃないよな」
(その通りだよ)
僕は愕然とした、何せ樹が喋っているのだ。そりゃ、オ○マ大統領だってきっと驚くはずだ。だが、信じる他無く、僕はそのまま自分に語りかけてくる樹を平然な心構えで聴き通した。
(君は、此処が何処だと思うかね?)
「え? 死後の世界?」
(ほうほう…”死後”か、その証拠は?)
「はい? 証拠? だって自分は自殺したんだし…」
(じゃあ、君が死んだ証拠を語ってみなさい)
「いや、だってさ、確かペンで自分の首をっさ」
(違う違う…証拠になってないよ)
「面倒くさぃ樹だな」
と僕は小さな声で発音してみると、樹は少しの沈黙の後、再び口の無い樹が語りかけてくる。
(今、何かおっしゃいましたか?)
「いや何も…そんなことより、貴方が言う風には僕は生きてると?」
(はい、生死を彷徨っている最中です)
「あ~、ってことは此処は生死の狭間かい?」
(いえ、細かに言うと生死を彷徨っている人を保護して一時的に此処に移入させてもらう感じでしょうか)
「ほうほう、でもさ保護して何すんの?」
問題の終点を知りたくて僕は颯爽に質問をする、何かと不思議な樹だが、僕にとっては娯楽感が湧き上がってくる。
(気を落ち着かせるのさ)
「ん? なぜ?」
(人が此方の世界へと移転するのは大半が自殺かアクシデントで起きた不意打ち何だよ、だからその場合、気が混乱してるだろ、君の場合は自殺だからその条件に当てはまっている、そして私の生はその人達の気を確かにし、元の場所へと返してあげる精神治療というものだ)
「ふん、面白いね、ちなみに聞くけどこの場所に名は?」
(名か…君は変わり者だね、敷いて言うならば”ナルモア”だろうか?)
「そうか…覚えておこう、で俺にナルモアの樹さんはどんな精神治療をしてくださるんだろうかね? とっても楽しみですよ」
(ふふ、君の人生のストーリーは知っている)
「ありがとさん、だが同情する奴は嫌いだぜ」
(同情なんてしない、寧ろ君を尊敬しているよ、どんな幸福を得たらこんな人生に生まれるんだろうね)
その言葉で僕の頭の回転が反時計回りに動き出していた、何せ此奴の言っていることがまるで理解に追いつかない。僕の人生が幸福だってこいつは言っている、一体何処がだっと、そう僕はナルモアの樹に問いてみた。
(じゃぁ、逆に君に問うよ、一体何処が不幸なんだい?)
「は? そ、それは!…」
(盲目で産まれたからかい?)
「う、うん…」
(本当に?)
「盲目じゃなきゃ、色々できただろうし」
(色々出来たかもしれないね、だけどそれが幸福だと思うの?)
「あ、あぁ」
(不正解、ゼロ点だよ赤瀬くん、色々出来たからって盲目じゃないイコール幸福には繋がらないんだよ)
「盲目の俺の苦しみなんてお前に分るはずないだろう…糞樹」
(ズバリというけど…)
「何だよ」
(いつまで君は”誰かのせいにしよう”とするその概念を払う気なんだい?)
「誰かのせいなんて言ってないだろうが」
(いや、まるで君は自分が不幸なのは自分が盲目のせいなんだとしか言ってないように思えるんだけど、違うかい?)
「…」
(盲目なんて人は君の住む世界に数え切れない程に存在する、いや盲目に決まったことじゃないけど不自由な人、不幸な人なんて数え切れないほど存在するんだよ赤瀬くん、その中で全員、君みたいに落ちこぼれていたら大変だよ)
「そんなこと知ってるよ…」
(その中の人達で幸せを手にするものも大勢存在する、この点は君とは違うね)
「何がいいたんだよ、はよ言ってくれ」
(ふん、いそがないで良いんだよ赤瀬くん、この世界で時間の概念なんて存在しないんだからね、まぁ、私の言いたいことは”君は自分で自分の足を引っ張っている”ということんだよ、君は考えこむ程どんどんネガティブな思考に持っていく癖が有るんだ、その結果、君のコンプレックスである盲目という言葉が自分だけに向けられているんだと錯覚するようになり、自分で自分を撃墜させて苦しみさせているんだ)
正論だが良く分からない説教の中、僕は考える。一体盲目で楽しめる方法と言うものは存在するのかを。僕が娯楽で楽しんでいた行為は指で数えるくらいでしか無い、だが、どれも満足の行く結果ではない。何時かは飽き、忘れる。その繰り返しで何時の間にか自分を責め始める。
「あぁ、確かに自分で自分を傷ついていたことくらい自分でも分る、だがしかし、自分を責めないで誰を責める?」
(何故誰かを責めたいと思うんだ?)
「だってさ、責める事を辞めてしまえばこの人生を受け入れたことになる、それに俺は恐怖している、僕が生きてきたこの十七年間一度も僕はこの人生で良かったなんて思ったことはない、いや思いたくなかったんだ」
(そうかい、じゃぁ”死んで”良かったね)
「…」
僕は糞樹の言ったその言葉に違和感を覚えた。
「死んだ? 僕は死んでいないとお前は言ったはずだぞ」
(残念、全ては私の嘘だったんだ、悪いね)
「は? 洒落になんないぞ、ってことはもう僕は戻れないと?」
(もちろんです)
「…じゃ、此処は一体何なんだ?」
(ナルモアですよ)
「いや、そうじゃな-」
(何ですか? 急に口数が多くなりましたね、焦っている証拠ですね)
僕の言葉を遮ってナルモアの樹が喋った。そして今度は声のトーンを落としての発音で静かに事を述べた。
(いい加減にしてください、貴方は今、私が死んだと言って焦りました、まるで死んだことを認めたくなかったかのように、本当は死にたくなかったんでしょう?)
「ふっ、んなわけ無いだろ…だったら何故ペンで自分の首を-」
(本当に貴方は死ぬ気があったんでしょうか? 貴方は自分で持ったペンを本当に首に刺したんでしょうか? “それを感じたんでしょうか?”)
「何を言っているんだ」
気掛かりでしか無かった。確かにあの時僕は自分で持った医者のペンを自分の首を目掛けて刺した筈…いや待てよ、そんな事したか?よく考えれば指す前に気を失ってしまったんだ。
「そうかっ…」
(はい、貴方は死んでいません、奇跡的に気を失っただけで死んではいないのです)
「でも、それを知っただけで何が変わるんだ?」
(”全て”が変わります)
「自信げだな」
その時、僕を包むようにしてナルモアの樹の葉っぱが風と供に僕の元へと集点して集まっていくと同時に僕の体は光りに包まれていく。
× × × × × ×
「なんなんだこれっ!?」
目の前の視界が光りに包まれ、眩しい風景が広がって行く。観念した視界には何もなく何もないが、それでも暖かさが身を震わせ、まるで寝所に居座った感じだ。そして一番驚いたのは非現実的な出来事ではなく、自分が自分で”軽い”って思えたことだ。視力を取り戻したからという訳でもなく、ナルモアの樹に説得されたからでもない、多分、この場所はそういう力が有るんだろう、言葉では良い表せない不思議なチカラが。
考えている暇を与えないようにしてナルモアの樹は早速お得意の口解きを始めた。
(今、君は私の手の中にいるんだと想像をしてくれたまえ、温かいだろう? まぁ、コレに大した意味なんて無いが君の気が柔らかなものになると信じてるよ)
「はいはい…どうでもいいです」
(まず、聞きますよ? 貴方はこの人生で楽しいという感情は感じれましたか?)
「そりゃ流石に有るよ」
(いつ?)
「いつって…」
(ぱっと思い出さないならそんなに楽しい記憶では無かったと?)
「楽しいも何も僕の状態から余りそういう経験が出来ない」
(盲目のせいだからですか?)
「またそれかよ、でも最終的にそうなるだろう」
(じゃぁ、盲目じゃなくて片腕だけが不自由だったらどう思います?)
「そりゃ、人生マシになってただろう、何せ”状況の判断”が出来たことだし…」
(そうですか、では実際に体験してみましょう)
「は? どういうことだ?」
¬(いいから、じっとしていてください)
彼の言葉の真意が分からないまま僕は言われた通りに疑問を聞き返さないでじっとしたがその時、僕の廻を徘徊していた光の塊が彼の言葉に反応するように散り始めていく。光が散り行く中で、僕は光との隙間に空いた空間に目を驚かせた。何故ならさっきまでいた生死との狭間のナルモアではなく、何処か懐かしい子供部屋へと移動していたのだ、光が散り終わるとその包囲を僕は完全に掴む、此処は僕の部屋だ。その証拠に僕の部屋の臭がしたからだ、人生初で見る自分の十七年間住んでいた部屋を僕は見渡すとそれは呆気なかった、何せ必要不可欠な物しか置いて無く、景色は殺風景であった。高校生年でもあろう青年の部屋がこうであっちゃ青春なんか来る訳ないじゃないかと一人心のなかで突っ込みをしてみる。
「あっ…!?」
その時、体中に走る違和感に僕は気づいて、その原点に目を翳すと其処には在るべきものがなかった。そう、僕の腕全体だ、右腕全体がまるで最初からなかったかのように消えていた。
「まさか、これってあのナルモアの樹の言っていた体験するってことか」
理解を遅らせている僕の思考が顔にでり、不吉な顔になったがそれを誤魔化す為に僕は不自然な笑みを顔に作る。だが前と違い、盲目ではない、腕がなくなったということだけで当然僕の土気色とした顔がほっくらとした顔に変わる。
「案外、家って綺麗だな」
初体験談を語るに語りたいがそういう暇は後でしよう、何せ今、自分の中でどうしても気になりたいことがある、それは母さんの様態だ。一体、母さんはどんな姿をして、どんな癖が有るんだろうと胸内に溜まったストレスを抑えきれない様子を顔に見せると早速僕は一階へと繋がる階段を渡り廊下を渡ってから降りる。
「簡単だっ! 階段を降りるってこんなにも簡単なものなんだっ!」
不意に嬉しさが浮かび上がる。こんなにも容易な感覚で階段を降りたことはなかった。だがそれだけではない、自分が自由に動けるのだと歓声の声を上げたくてしょうが無いのだ。
「母さんっ!」
そう小さく叫びを上げると返事は直ぐに台所から帰って来た。その声は前から変わらない少し苦い声。
「あら、どうしたの? そんなに嬉しそうにするなんて」
「見えるっ! 母さん、僕は見えるんだよっ!」
「見える? 気持ち悪いわね、一体どんな夢を観たのかしら」
その姿はエプロンを羽織った小柄な女性であった、瞳の色は分からない、髪の毛の色も僕にとっては分からないがとても美しい事には意義はない。
「母さん!」
「…?」
「母さんっ、愛してる」
「…」
想像していた母さんの喜びの顔を待っていたが、かと不思議にその喜怒哀楽は見せてくれなかった、言ったその言葉がまずかったのか? いやそんな事はない、愛してるなんて前の世界で散々と言ってきたはずだ。それとも僕の行動に驚いているのか?
「本当にどうしたの?」
僕に向けられて告げられた言葉はそれだった。果たして可笑しい事は何一つしていないはずなのにその母さんの冷酷な瞳からまるで僕が写っていないように見える。僕は此処だよと伝えるように僕は言葉を発した。
「母さんこそ、なにかおかしいよ」
「彼女でも出来たの?」
「なんだよ、愛してるって言っちゃいけないのかよ」
「…言っちゃいけないわけではないけど、あなた此処最近私と話しすらしてないのに急にどうしたのと驚いてるの」
「ん?」
少々頭を掲げてみる。ということは僕は母さんとは普段、滅多に言葉すら交わしていないというのか、なんと驚きだ。こんなに尊敬している人を僕は無視していたというのか? 変だ、だってそれはありえないことだからだ。と困惑中に僕はもう一つ気にしていた事を思い出す。それは母さんの死因の原因になった首元の腫れ、そこに目を通してみると腫れなんてそもそも見当たらない。じっくり見つめていても腫れなんて無かった。
「母さん、僕ってかっこいい?」
そこで僕はあの日の朝に質問した事を再び質問してみる。コレで完全に母さんの様子を伺うのだ、話の咬み合わない母さんは母さんじゃないと信じて。
「…何なの、本当」
それは予想外の物であった、どんなにふざけたことを母さんの目の前でしても少なくともそれに乗ってくれていた母さんが今、目の前で頭を少し歪めていて、眉毛を顰めているのであった。こんなのは母さんじゃない。
「何でもないよ」
「変なことばっか言ってないで、さっさと学校の支度をしなさい」
冷たく言われたその一言に僕は再び自分の頭を掲げる、今までに僕は学校と言うものを利用したことはなかった。少なくとも障害者用の施設ならともかく公共の場である公立という学校の場を行き来したことすら指で数えるくらいにしか無い。だが今、僕はその場に行けと言われているのだ、コレは少なくとも盲目で無いから起き得ることなのだ、このまま仮説を立てていくと母さんがこんなにも僕に対して冷たいのもきっと…僕が盲目で無くなったからなのか。
「…母さん、美雨からの連絡は来た?」
「美雨? 誰なの? もしかして崎ちゃんに二股掛けてるの?」
この世界に、いや、少なくとも母さんの知り合いの中では美雨という人物はいなかった。信じ難い、もしかして全てが違う形で動いているのは僕が盲目で無くなった、という世界にとっては些細な事でほぼすべての人間関係が変わってしまったというのか?
「そうか、いや、僕の彼女は崎だけだよ」
「崎? 呼び名変わったね、ぷーだったのに」
「あっ! そうだったね! いやー悪い悪い…ぷーってなんなんだよ」
「ん?」
「あっ! 風呂入ってくる!」
何もかも自分じゃないように思えてくる。まるで自分の顔をした全く別人の家計に入ったみたいだ、馴れ馴れしい程に気持ちが悪くなってくる。
「あーっ!何なんだよもう!」
僕は叫んでみた、だが凡人の叫びなんて世界には無傷みたいだ。ただ、風呂場で叫んだ一声が綺麗に響き渡ったのは新鮮な感覚だったことだけだ。
だが次の僕の瞬きで世界は再び狭く、そしてカラフルとした芝生に樹一本の世界にと起死回生する。
(やぁ、どうだった)
「気持ち悪かった」
(そうかい、いい経験が出来たね)
「分かったよ分かった、撤回する」
(撤回? 一体何を?)
「盲目のせいにしてたことを」
(…今の君には一体何が問題に見えるの?)
「…自分、かな」
(宜しい! コレで私は行ける、ともひろ、朝はちゃんと六時にぴったり起きること、もうあんたに朝飯なんて作る人はいないんだからね、あと、美雨ちゃんを大切に、最後にもう一度、さよなら、ともひろ)
僕は目を見開いた、その声をよく聞いてみるとそれは僕の母さんの声であった。樹に背を垂れている暇なんて無いと僕は出来る限りの力で後ろを振り向く、だがしかし、後ろを振り向く以前に僕の視界が闇に染まり始めていた。
「まってぇ!」
その鶴の一声で僕の視界は完全に閉ざされた。
× × × × × ×
再び開くはずのない瞼が見開いてゆく、だが今度は見開いてもあの色の着いた世界は見えなかった。そう、僕は戻ってきたのだ、盲目で戻ってきたのだ。霊安室で放置されているであろう母さんの遺体に僕はそっと手を向けてみる、魂の気はしない、とっくにあの世に旅行中なんだろうか、それともナルモアの樹としてまだのあの場所に留まっているんだろうか? そんな事は考えても底を突かないからと僕はとっくに乾いてしまった目から小さな粒を流した。静かな部屋で僕は大人気なく、声を出しながら精一杯感じたストレスを吐くようにして泣き始めた。
あれは、あの場所は、あの感覚は、あの居心地は、あの樹は、母さんの言い忘れてしまった遺言なんだろうと僕は心得ている。そうでなければ最後のあの声の説明がつかないからだ。だが、一つだけ言えることがある、僕の人生は再びリセットされた気がするのだ、そう、あの場所で、ナルモアの樹の下で。
「ありがとう、母さん、そしてお休みなさい」
僕は知った事がある、世界は小さくないということだ、しかも色の着いた世界が直ぐ僕の真横で回り続けているということも僕はあの場所を通して学んだ。人一人の悩み事なんて宇宙にはちっぽけなものだ、だがそのちっぽけなものでも価値のある物でも有る。そう思って僕はコレから閉ざされていた第三の目を開いた。”心から見る目”を僕は見開た。
そう願って、僕はまだ片手に持っていたペンを勢い良く見えるはずのない壁を目掛けて投げ捨てた。
最後まで一読有難う御座います、本当に光栄です。この作品に入れられたメッセージは形がありません、自分たちで感じたように受け止めてもらえれば僕としても光栄です。




