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あの頃の明日はどうであっただろう  作者: 宮沢弘
第一章: あの頃
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議員の手記より

 馬鹿げた機械を見た。すべてを計算できるという。それはいいだろう。だが、その機械を開発した男はこう言っていた:


  「いずれは、法律さえも計算の対象となるだろう」


 馬鹿げている。

 法律とは、神が与えたもうた自然法を明文化し、それに人間の英知を加え、発展してきたものだ。


 このところ、馬鹿げた、あるいは神を畏れぬような輩が多い。

 人間が猿から生まれただと? 人間は何やらわからぬ化学物質に設計図が書かれているだと? 法律すら計算できるだと?

 人間の英知を、神の御業を貶めるものだ。

 それらは思い上がりですらないだろう。それらはすべて無知からのものだ。神の御業を知らぬ無知からのものだ。

 そのような輩には神の偉大さを理解させなければならない。いや、偉大という言葉でさえ神を貶めることになるだろう。そのような輩に、神を説いたところで、理解できないのかもしれない。だとしても、何としてでも神の偉大さを理解させるべきである。どのような方法を取ろうとも。


 それとも…… 神を畏れぬ輩が現われているのも、神の采配なのだろうか。あるいは、人間の英知の可能性なのだろうか。

 人間は化学物質の複雑な集合体であり、またそれらがもたらす機能にすぎないのだろうか。

 人間の英知は計算できるものなのだろうか。

 もし、そうなのだとしたら。神とは何なのだろう。どこに存在するのだろう。どのように存在するのだろう。

 もし、そうなのだとしたら。人間とは何なのだろう。どのような存在なのだろう。


 いや、そのような疑いは、神を疑うものであり、また人間の英知を疑うものだ。人間はそのような疑いを持つべきではない。そのような疑いは、人間をただの化学と機械に貶めるものだ。

 人間は化学や機械よりも尊いものである。尊いものであるはずである。尊いものであるべきである。


 だが、この不安は何なのだろう。


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