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あの頃の明日はどうであっただろう  作者: 宮沢弘
第一章: あの頃
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皇立科学協会会員の手記より

 実に興味深い機械だった。いかんせん騒音は酷かったが。

 その男は機械の概略を示した小冊子をくれた。その小冊子はファイルに入れておこう。だが、今、その小冊子を見ながらこれを書いているが、その男の主張はたしかにあり得るものであると思える。

 その男は、こう言っていた:


  「この機械は、すべてを計算できる。カードにパンチできる計算ならすべ

  てを。そして、パンチできない計算は存在しない」


 それは、いささか強すぎる主張であるようにも思う。だが、実際に計算できない事柄などあるのだろうか。あの機械とは異なる方法で計算を行なう機械があったとしよう。そして、そのような機械を、あの機械のカードにパンチできたとしよう。それが可能であるとしたら、あらゆる計算機械を、あの機械だけで理屈としては実現、あるいは再現できることになる。では、あらゆる計算機械において計算できる事柄の限界はどこなのだろう。

 また、その男は、こうも言っていた:


  「いずれは、三段論法さえ計算できるだろう」


 いずれはそうなるのかもしれない。だが、今はまだ計算の速さも、カードの量も、そしておそらくはパンチの手法も、まだまだ足りない。しかし、いずれはそうなるだろう。

 だが、その前に、この機械ではどこまで計算が可能なのかの証明が必要だろう。経験的に可能であると言うのと、可能であることが証明されているのとは、向かう方向がまったく異なるだろう。証明により限界が示されるかもしれない。だとしても、その限界まではすべてが可能なのだ。そして、限界が示されれば、その限界を超える方法も見えるかもしれない。

 どこから始めるのがいいだろうか。数理論理からか。いずれにせよ、あの機械を抽象化したモデルとして再構築する必要があるだろう。カードの連なりがある。中央部には50桁の数値を1,000個記憶できる。数値であってもかまわないだろうが、数値に制限する必要もないだろう。あるいは制限しない方が可能性は広がるだろう。いや、実際には数値であったとしてもかまわないのだ。対照表さえあればいいのだ。桁数も50桁に制限する必要はない。

 あの男が言ったとおり、すべてを計算することが可能なのかもしれない。

 ただ、問題は歯車だ。歯車が機械の体積も、計算にかかる時間も、必要なエネルギーも、それらすべてを制限している。異なる機構、あるいは素子とでもいうものが必要だ。


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