ウッドペッカーボーイズ
「ポキッとな」
隣に座る相方は、さっきから間の抜けた声を出しながら、地面に落ちている枝を拾い上げ、折り畳んでいる。
ポキッポキッという小気味良い音が、なんだか妙に耳についた。
「負けちまったな」
相方はバラバラになった枝を放り、ポツリと呟いた。
俺達の座るベンチは、側に立つ巨木に覆われるような形で陰になっている。
俺はテニスシューズを脱ぎ捨て、ラケットバッグを抱きかかえたまま呆然としていた。
「また負けちまったんだよな」
反応のない俺に構わず相方は言葉を続けた。俺も「ああ」といったような、返事とも呻きともつかぬ声を返した。
「あんなに練習したのにな」
「そうだな」
「俺が4-4の大事な場面のデュースでダブルフォルトなんてしたから」
「よせよ。俺だってくだらないチャンスボールを決めきれなかっただろ。ダブルスなんだしお互い様だって」
試合内容を反省する気にはまだなれなかった。俺たちが弱く、向こうが強かった。今はそれだけで十分だ。
「あとちょっとだったのによ」
確かに接戦だった。でも負けは負けだ。
「もうやめようぜ。終わったことだし」
俺の言葉に相方はむすっとした表情で返した。放り投げた枝は昨日の雨で出来た水溜まりに沈んでいる。泥にまみれたその枝がこちらをじっと見ている気がした。
「なぁ」
「ん」
「俺達このままテニスやってても、うだつが上がらない気がしねぇか」
「朝から晩までテニスのことばかり喋りまくってるお前が、そんなこと言うなんて意外だな。部活を辞めるってことかよ」
相方は肯定とも否定ともとれるような頭の振り方をして返した。
「この一年、なんつーか充実してたよ。朝練やって、夜は自主練して、昼休憩までお前と二人で練習したよな」
相方は泥に沈む枝に目を向けた。
「これだけやってダメなんだって。心にぽっかりと穴が開いちまった気分だ」
そう言って相方は空を仰ぎ見た。俺もその視線を追う。憎らしいほど爽やかなブルーだ。
「確かに向いてないのかも知れないな。もう負けるのはうんざりだ」
「だよな。こうも報われないと投げ出したくもなるぜ」
「もう、辞めちまうか」
俺の問い掛けに相方はすぐには答えなかった。しばらく彼は青い空の一点を見つめていたが、やがてポツリと呟いた。
「そうだ。良いこと考えた」
「ん?」
「キツツキだ」
「は」
「知ってるか?毎年、この木にはキツツキが来るらしいぜ。今年はまだ来てないみたいだが、これに俺達の進退を賭けてみようじゃねぇか」
相方は空を見つめたまま話続ける。
「こうしよう。今日、今日だ。日が暮れるまでにキツツキが来なかったら俺達は部活を辞めよう。来れば続ける。ついでに自主練のメニューを今までの倍に増やす。これでどうだ」
「この木にキツツキが来るなんて話は初めて聞くけど」
「来る、らしい。いや、俺もまだ見たことがないんだが」
「お前、そりゃ騙されてるよ」
「うるせぇな」
俺は「キツツキってなかなか見ないよな」と返しつつ木を見上げた。
二股に別れた大きな枝に穴がある。キツツキが開けたように見えなくもないが、かなり疑わしい。
「そうだな。案外悪くないかもしれない。馬鹿馬鹿しい賭けで、培ってきたものを全部棒に振るってのも」
悪くない、とは言ったものの何処か釈然としない気もしたが、だからと言ってどうしようとも思えなかった。
「決まりだな。どうする、ついでにジュースでも賭けようぜ」
「お、そっちも賭けるのか。いいぜ。負けて吠え面かくなよな」
「そりゃお前だろ。じゃあ、どっちに賭ける?」
どっちに賭けるか、か。決まっている。分の悪い賭けだ。と、少し不満に思ったが口には出さない。
「俺は来る方に賭ける」
「いうと思った。でも俺だって来る方に賭けたい」
「なんだって」と俺は炭酸の抜けたコーラのような声を出した。そのまま「おいおい、それじゃあ賭けにならない」と続ける。
「じゃあお前が来ない方に賭けろよ。それで丸く収まるじゃねぇか」
「それは…」
困る、と言う前に相方は言葉を被せてきた。
「なんにせよ俺は来る方に賭ける。絶対に」
「おい、俺だって…」
「俺だって、なんだ?いや、分かってる。そりゃそうだよな。枯れ枝みてぇにポッキリ割りきれたら世話ねぇよ」
「何言ってんだ」
人の話は最後まで聞けよ、と言う言葉は飲み込んだ。相方が何を言いたいのか、それとなく分かってきたからだ。
相方は「まぁ待て」と言って立ち上がり、おもむろに桜の枝をむしりとった。
「ほら、見てみろよ。この枝はまだ死んじゃいない。今から俺はこいつを折り畳む。さっきの枯れ枝みてぇに綺麗に真っ二つとはいかないと思うぜ」
「当たり前だろ。そりゃ生きてる枝だし」
「いいから見てろよな」
俺の「回りくどい」というぼやきは無視して、相方はぐっと枝に力を込める。枝はポキッと軽快な音を立てながら真っ二つに折れた。
「あれま」
「おっと。こりゃ例外だ。例外」
「今のは忘れてもう一本いこう」などと慌てる相方を見て、俺は自然と笑いが込み上げてきた。
「とにかく言いたいことはだな」
相方は真っ二つにした枝を、もみくちゃにして投げ捨てた。
「度重なる敗北によって心に空いた穴は、未だ俺達をポッキリいかせるにゃ及んでないってことだ。どうやら俺達は諦めが悪いらしい」
「が、自力で簡単に立ち直れるほど浅くもないよな」
「だからこそ一見眉唾物のキツツキってわけだ。本当に来てみろ。びっくりだぜ。流石に俺達の決心は固まる。穴が埋まって見事復活だ。来なきゃ穴は空いたままだな。やりたいことを諦めた負い目を胸に生きていこう」
相方は一呼吸で言い切った。そして少し間を置き、「なにより」と言いながらニヤリと口角をあげた。
「キツツキの気持ちになってみろよ。穴を開けに来たはずが埋まっちまうんだ。奇跡だろ」
「面食らって地面に落ちてくるかもな」
「あり得るぜ。穴を開ければふさがり、鳥は木から落ちる。そんな無茶苦茶がまかり通るなら、大抵のことはなんとかなると思えるじゃねえか」
相方は両腕を目一杯広げて続けた。
「少なくとも次の試合はきっとなんとかなる。だろ」
「そうだな」と言って俺も両腕を伸ばした。凝り固まった筋肉がゴキッと音を立てて解れた。
「相棒、どうやらこの木は残念な1年を送ることになりそうだぜ。俺達の願う通りになれば、キツツキのおかげでめでたく穴だらけだ」
「このじいさんにとっちゃ、毛穴がひとつふたつ増えた程度のことだろうよ。今年の夏は暑くなるらしいし、丁度いいんじゃねぇの」
「クールビズだ」
「悪くないぜ」
俺達はそれから、なにも言わず上を見上げ続けた。白い雲は水色の風に押され幾度も倒れたが、その度に形を変え再び立ち上がった。
空に赤みが混じる頃、相方は「おい!あれ!」と俺の肩を叩いた。
言われるがまま、俺は相方が指差す方向に顔を向ける。中型の鳥が一羽、こちらに向かって飛んできていた。
一直線に俺達の頭上の枝に止まり、その長く鋭い嘴を見せ付けるようにもたげる。
「まさか、嘘だろ」
あんぐりと口を開ける俺達には目もくれず、鳥は枝をつつき始めた。
リズミカルなコンコンコンという音が、がらんどうの俺達を埋めていく。
「明日から自主練のメニューは二倍だな」
頬を伝う涙を拭うこともせず、相方はペットボトルに残ったスポーツドリンクを満足げに飲み干した。