表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/17

九章 君と共にいられるために

 火の御子みこと水の御子は、城下へと来てしまいました。

 勿論みんなには内緒です。

 そして最初は行くことを否定をしていた水の御子も、今は違いました。

 二人とも目を輝かせていたのです。

「城下ってすごいね。人がいっぱいいる」

「そうでしょ。やっぱり来てよかった」

 二人は人の住まない場所から出たことがありません。ましてや小さな御子の村でしか生活をしたことがないのです。

 なのでこれだけの――しかも人間の数に、圧倒されているのでした。

 水の御子が感慨にふけていると、得意になって火の御子が言います。

「人間は毎日、こういうところで暮らしているんだよ。……ほら、あそこに出店がある」

 言うなり火の御子は、走っていってしまいます。

 水の御子は必死になって、その後を追いかけました。

 でも……。

「きゃぁぁぁ!!」

 人の流れが止まりました。二人もつられて、その動きを止めました。

 どよめきが流れるようにやってきます。

「火事だ!」

 誰かの叫び声が、賑やかな城下に響き渡りました。


 二人が振り返ると、そこには焚き火だったものがあるではありませんか。それは建物を吸い込むと大きく成長して、どんどん赤くなっていくのです。

 誰かが消防団を呼んでくると、駆け出していきました。

 数人の男は、近くにある堀から水を汲んでは駆けています。

 それでも炎はみるみる大きくなってしまいました。

 黒い煙が赤い火花を抱えて、蒼い空を覆おうとしています。

 自分の友達がこんなことをしてしまっていることに、火の御子はいてもたってもいられなくてしまいました。

 そしてついに、いてもたってもいられなくなった彼は、駆け出していってしまいました。

 彼はとうとう、人間の前で詩を唱えてしまったのです。


   …*…


 強くなる一方の雨風に大輔は狼狽えた。

 雷鳴はひっきりなしに、頭上で轟き続けている。降り注ぐ雨は二人を囲い、まるで矢のように鋭くなっては地を射抜いてゆくのだ。肌に刺さるそれは、眉を顰めるほど痛い。だが更に痛いのは時間が経つにつれ、強さを増していってしまう風の存在だろうか。

 クソッと声をあげながらも、大輔はスケッチブックから溢れる風を止めようとした。美紗がいるため風術は使えない。だから何とかして話しかけようと試みる。

 しかしどれだけ話しかけ足掻いてみても、溢れ出す風は止まらない。スケッチブックから共に流れ出る歪んだ気は、けして正常を取り戻どそうとはしなかったのだ。

 しょうがない。大輔はいさぎよくあきらめると、荒れ狂うスケッチブックを足元に放りやった。本を落とした時のバサッという音が、風に巻き上げられながら耳に入る。そして空いた両手で、大輔は美紗の身体をぐっと引き寄せた。

 ……きっと綾瀬が、何かを知っているはず。

 根拠もへったくれもない。ただの勘と言ってしまっても過言ではいかもしれない。にもかかわらず、大輔はその一筋の希望に全てを賭けようとした。

「綾瀬、何があったんだ?」

 細い肩に手を乗せ、大輔は前後に軽く美紗を揺さぶった。しかし聞こえていないのか、虚ろな瞳のままに美紗は俯いている。

「ねえ綾瀬!」

 雨風に負けないようにしたら、声はうんと大きくなってしまった。そのせいか、美紗の背が恐怖に小さく震える。

 俺は綾瀬を苦しめているのかもしれない。

 途轍もない罪悪感が、大輔の胸中に生まれた。それでも大輔は呼びかけをやめようとはしない。必死になって、必死になって。

「黙ってないで言ってよ」

 美紗に呼びかけ続けた。それは彼女を想う気持ちが、大輔にあったからだ。

 もしも……。そう、もしかしたら美紗の言葉の中に、彼女を庇える何かがあるかもしれない。

 何としてでも、この大好きな綾瀬を守りたい。だから――

「お願いだよ綾瀬……」

 たった一言でいいんだ。

 か細い声で囁くと、美紗を抱き寄せる腕に大輔はきゅっと力を込める。

 そう。だった一言、お前の身に起きたことを俺に教えて。教えて――

 でも美紗は、やっぱり何も言ってはくれない。

「……綾瀬……」

 脳裏に焼きついているのは、今までの美紗の姿。無邪気なままのあの様。

 認めたくない、認めなきゃならない。

 信じたくない、信じざるをえない。

 本当にこれをしているのは綾瀬なの――?

 相反する意見が互い、大輔の頭の中で葛藤した。そのたびに心は痛みを発する。

 お願い。何でもいいから言ってよ。

 その言葉を伝えるように、大輔は小さく「綾瀬」と洩らした。

 すると美紗はその小さな身体を震わせ、縋るように大輔の服を掴んできたのだ。

「大輔くん、……ゴメンね……」

 消え入ってしまいそうなほど小さな声を、しかし大輔は聞き逃さなかった。

 歪んだ風が、微かに揺らぐ。

「わたし、見ちゃったの。……大輔くんが風を……動かしているの。それから、……慧哉くんと部長と三人で、小さな小人みたいな子を捕まえているのも……」

 刹那、大輔と耿輔に衝撃が走った。

 綾瀬に正体がバレていた――!?

 あまりの事実に、美紗を抱きしめる腕から力が抜け落ちる。

 それは彼らの精神を揺さぶるには、十分すぎる威力を持っていた。

「解んないよ、大輔くん。……わたし、もう……」

 その声にいつものような明るさはなかった。

 まるで道に迷った子供のよう。

「助けて……」

 美紗が一筋涙を流す。風が今までで一番、強大になった。

 息を呑み、大輔は美紗を庇うのを思い出して再びその腕に力を宿す。そしてはたと別のことも考えた。

 もしかしたらこの風は、綾瀬の心の闇なのか?

 風が、雨が、二人を取り囲んだ。まるで自然の鳥篭が、二人に覆いかぶさるかのように。

 外界から完全に隔離されてしまったのだろうか。外で耿輔が何か叫んでいるが、まったく聞こえてこない。

 どうして? 何で聞こえないの、一体何が起こっているの?

 ……ここにいるのは、自分と美紗。たった二人だけ?

 もう誰の手も借りられない。

 重石がぐっと、大輔の胸に圧し掛かった。じりじりと迫り来るプレッシャーは確かにある。

 それでも、もうこの風を止められるのは自分しかいないのだ。――誰にも頼れない。

 仲間として、自分に何ができるだろう。

 抱きしめること?

 耳元で囁くこと?

 それとも、必死で神に縋ること?

 ――いや、違う。風使いとして、仲間として。綾瀬の心に吹く風を取り除いてやるよ。心配も恐怖も拭い取ってやるよ。

 だから今、自分にできることと言えば、

「綾瀬聞いて」

 腹を括った大輔は落ち着いた声色で美紗に話しかけた。そう。

「信じられないかもしれない。けど俺たち、本当は風使いで……人間じゃないんだ」

 心の闇が晴れるなら、禁忌だって犯してやる。

 腕の中で美紗が微かに強張った。そこにあるのは明らかな恐怖心だった。

 目に見える拒絶に、大輔の心は少なからず傷ついた。こうなることくらい解っていたのに、言いようのないほど心は苦しくなる。それでも苦しみを堪え抜くと、大輔は話を再開させた。

 綾瀬が納得するためだったら、なんだってしてやる。たとえ心が傷つこうが、全身から拒絶されようが。そんなのもう、かまわない。そう心に決めたんだから。だから――

「俺は神の子供だよ」

 美紗が顔を上げ、大輔の淡い紫色をした瞳をじっと見ている。

「大丈夫。心配しなくてもいい」

 ふわりと美紗を優しく抱き寄せた。大輔の肩に、美紗の顔が当たっている。

 大丈夫。

 囁けばその分だけ、美紗の身体から緊張感と恐怖が抜けていくのが感じられた。

 そして乱れた風が弱まっていくのも、しかと感じることができる。

「ねえ」

 風が気配を消す寸前。

「俺、綾瀬のことが好きだよ」

 最後に一等小さな声で、大輔は胸のうちを言葉にした。


   …*…


 火の御子は掟を破って、人間の前で火術を使ってしまいました。

 するとどういうことでしょう。火の御子は今までいた城下から突然、見知らぬ地へと移っていたのです。

「御子よ。どうして掟を破りました?」

 するとそこには真っ赤な髪と瞳をした、美しい人が立っているではないですが。

 火の御子はきょとんとして――それが我らが母であり父である火の神様だと気付きました。

 彼は思わず、口を噤みました。

 掟を破った者には重い罰があると、そう聞いていたからです。

「言ってみなさい」

 火の神様は優しい声で、そう促しました。

「火が。……火が回っていて、消防団が来なくて。だから……」

「消そうと思ったのですか?」

 火の御子は、コクンと頷きます。

 それを見た火の神様は、優しく微笑みました。そして火の御子の頭を撫でると、ゆっくりと口を開きました。

「解りました。ではあなたは――――」

 この後火の御子がどうなったのかを知るものは誰もいません。

 火の神様と火の御子だけが、知っていることですから。


 御遣いは人間と交わってはいけない。それを破った時、その者には重い罰が下されるのだ。

 大輔は感じていた。もう風使いのままではいられないだろうと、この世界にはいられないだろうと。

 それだけのことをしたという自覚が、自身の中で確かにあったから。


   …*…


 雲は引き、風はやんでいた。

 木々は陽光に雫を輝かせ、小鳥はどこかで囀っている。

 ああ、戻ったんだ。ぼうっとした意識が、それだけを理解した。うん、確かに日常が戻っている。

 美紗とをつないでいた手を放すと、大輔は天を仰ぎ見た。

 キラキラと輝く陽光が、ここにいる全てを照らしている。けれど大輔が見ているのは、それじゃない。

 そろそろ迎えが、来るはずだから……。

 ぐっと胸が苦しくなるのは、どうしてなんだろう。

 思わず涙が零れそうになる瞳。鼻の奥が鈍く鋭い痛みを発していることを自覚しながら、大輔はそうかと思った。

 俺はもう、ここにはいられないんだ。この世界にはいられないんだ。

 両親や耿輔、慧夜は勿論のこと、クラスメイトや友達や部活の仲間や――何よりもう、綾瀬に会うことさえできない。それはつまり、永遠の別れを差しているのだろう。

 もう、誰にも会えない。

 これで見納め。

 そう思うだけで、大輔の胸は詰まるように苦しくなっていくのだ。

 淡い紫の双眸が涙に揺れ、蒼い光を反射する。――とそこに、ふわりと誰かが舞い降りたのだ。南の海のように淡く美しく輝く水色の髪と瞳を持った、水の神が。

「え……」

 大輔は混乱した。自分は風の御子。ということはつまり、目の前にいるべきは風の神であるはずなのだ。だがここにいるのは、まごうことなき水の神。

 どうして彼の方が――?

 そう混乱していると、水の神はふわりと微笑んできた。

「風の御子さん。うちの者が迷惑をおかけしたようですね」

 その声は笑顔同様にやわらかく、心が芯から温かい。

「えと……」

 しかし大輔は、抜けた声を発することしかできなかった。あまりにことが唐突すぎて、さらに頭の中がこんがらがる。

 うちの者? 迷惑?

 それって一体何を指しているのだろう。

「あの、水の神様。一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

「ええ。一つと言わず、幾らでも聞いてください」

 にっこりと微笑んでくれる神に会釈すると、大輔は直球よろしく疑問をぶつけた。

「自分が罰せられるのではないのですか?」

 そんな直球を喰らった神は、しばし理解ができずに一度首を傾げる。だがそれを解すると、水の神は可笑しそうにふふっと笑った。

「それは勿論です。私たちにあなたを罰する理由などないのですから」

「では……何故このような所へお出でになったのですか?」

「ああ。この子が目覚めてしまったようなので」

 そう言うと神は、優しい表情を湛えたまま、美紗の頭をそっと撫でた。

「風の御子さんも、一度は聞いたことがあるかと思いますが。……この子は迷いし水の御遣いなのです」

 えっ、と大輔は声を洩らす。

 確かにその類の話は、大輔も聞いたことがあった。この世に神の御遣いとして生を授かったとしても、力に目覚めないで自らを人間と思ってしまう御子がいる、と。

 それが迷い御遣いだが……まさか美紗が?

 大輔が神の瞳を見つめると、彼は優しく微笑んでくれた。その姿はまるで父のように温かく、母のように優しい。

「この子にはお話をしないとですね。自らの使命は、知っておくべきでしょうから」

 確かに彼は、御子の親だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ