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阿房宮の うた

作者: 瑞雲

 阿房宮と云うと・・先ず、やっぱり・・秦の始皇帝の別邸を思い描きます。壮大で荘厳、庭園には菊の花が植えられて、殊の外、愛でられていたと云う。始皇帝は紀元前221年に中国を統一し、自らを始皇帝と名乗る。中央集権体制の構築、全国に文字、度量衡、貨幣を統一、交通整備を行う。絶対的権力と富を手に入れた独裁者は不老不死を追い求めて居ました。始皇帝の死後4年、反乱が相次ぎ、紀元前206年に秦帝国は、15年で滅亡して居ます。始皇帝の壮大なプロジェクト、壮大なロマンの一つに!始皇帝の命を受け、不老長寿の薬草を求めて渡航し、日本に辿り着いたと云う、徐福さん一行があります。総勢3000人の一行は、日本各地で活躍したと云う伝説が残っています。秦の始皇帝は、不老長寿の薬草を求める為にだけに・・3000人の一行を、大切な人材を渡航させたのでしょうか?始皇帝は50歳の若さで死亡しています。猛毒の水銀を含む丹薬を不老不死の薬と信じて飲んでいたのです。日本はその頃・・縄文時代から弥生時代に移る過渡期でした。それは、徐福さん一行に重なる思いがするんです。阿房宮と云う名前を付けて貰って居る、食用菊の文化が東北地方にあります。この辺りから、私と我が家の食用菊・阿房宮の空想になります・・。

 阿房宮(あぼうきゅう)の うた  ①

阿房宮・・確か、秦の始皇帝の別邸と聞いて居るけれど・・。壮大で荘厳・・贅を尽くした宮殿や庭園を思い描きます。黄金色の柱、調度品はご用達でしょう・・庭園には、菊の花が好まれて植えられていたと云う・・。私の知識はこれ位ですから・・スマホで検索してみます。

 咸陽(かんよう)宮・・始皇帝が初めて中国を統一し、秦帝国の首都に建設された宮殿。

 阿房宮・・首都咸陽の宮殿が手狭になったため、黄河の大支流、渭水(いすい)の南側に建設を計画した、巨大な宮殿。場所は現在の西安市未央区の西郊外。遺跡が出土して居ます。司馬遷の「史記」によると、前殿(阿房宮)だけで、東西約690メートル南北約115メートル。1万人が座れるほどの広さでした。

紀元前212年に着工し、始皇帝の死後も工事は続きましたが、秦の滅亡と共に未完のまま終わりました。後に項羽が火を放ち消失したとされて居ますが、議論が続いて居ます。(焼かれたのは、咸陽宮ではないか)「阿房」という名前は、宮殿が建てられた地名、あるいは「近くに広がる宮殿」を意味する仮称だったという説もあります。

 皇帝の権力を、天帝の住まいと同じ構造にしょうとする。天と地を支配する思想が込められていました。(天極星中の閣道なる星が天漢、すなわち天の川を渡って、営室星にいたるのにかたどったものであると云う)

 始皇帝陵の地下宮殿・・始皇帝が埋葬される陵墓で、自身の死後の世界を再現する目的で作られた。

司馬遷の「史記」・・水銀で作られた川や海が広がる巨大な地下空間で、多くの財宝と共に始皇帝が眠るとされる。この大量の水銀は、陵墓の内部を液体で満たし、侵入者を死に至らしめる程の致命的な「罠」として機能させるように設計された。よって、発掘はされていない。高度な技術の不足。地下の水銀による危険性。埋葬されている財宝の保存。墓を保護する文化的配慮・・からか。

 水銀・・不老不死を願う不老長寿への強い憧れと、当時の練丹術(不老不死の薬を作る技術)で水銀が「万能霊薬」と信じられていたため。秦の始皇帝は、老いや死を恐れ、不老不死の体を手に入れる事を強く願って居た。当時の中国では、水銀そのものや水銀を主原料とする丹薬(不老不死)の効能を持つと信じられていた。多くの皇帝が水銀を摂取して中毒死した記録もあります。

 丹薬・・硫黄と水銀が結合した硫化水銀(辰砂)は不老不死の効能は勿論なくて、猛毒の水銀を含む丹薬を不老不死と信じて飲んでいた。始皇帝は50歳の若さで死去しています。また水銀を薬と信じて服用して居た行為は、古代中国どころか、比較的最近まで行われていたそうです。

 兵馬俑について・・阿房宮と共に、秦の始皇帝の権力と壮大さを伝える遺構。秦の始皇帝が、死後の世界で永遠の権力を維持し、自らを守るために造らせた陶製の兵士や馬の像。8000体にも及ぶ。1974年に偶然に発見された。「20世紀最大の発見」と呼ばれ、1987年に世界遺産(文化遺産)として登録されています。

 万里の長城・・中国北部を東西に横断する巨大な城壁。春秋戦国時代に各国の城壁から始まり、秦の始皇帝が国を統一し、城壁を連結させました。明代に最も整備されました。その総延長は2万キロメートルを超え、北方からの遊牧民の侵入を防ぐ防御施設。要所には関所、兵士の駐屯地、武器庫、のろし台などが配置された。1987年にユネスコ世界遺産に登録されています。

 始皇帝は、紀元前221年に中国統一。自身を「始皇帝」と名乗る。中央集権体制の構築。全国で文字、度量衡、貨幣を統一し、交通整備も行う。始皇帝死後4年、反乱が相次ぎ、紀元前206年、秦帝国は・・15年で滅亡しました。

 徐福伝説・・秦の始皇帝の命を受けた方土(ほおど)(呪術師)医薬・占星術・天文学・に通じた学者でした。不老不死の仙薬をを求めて渡海。日本に漂着し、定住したと云う伝説があります。童男童女500人を含む、総勢3000人の集団。五穀の種子、様々な技術を持つ百工(技術者)が同行した。上陸した各地で、農耕、漁業、医療などの技術を人々に教えたとされ、各地に徐福を祀る神社や伝説が残されて居ます。

 鹿児島県 串木野市 日本一高い徐福石像

 佐賀県 佐賀市金立町。「徐福長寿館」「金立公園薬用植物園」考古学、海洋学、航海学、の観点から、史記にある平原広沢の地の可能性高いという。不老不死の薬草を発見した。カンアオイ(フロフキ)4月には開花。4月と10月徐福祭り。佐賀大和ICから5分。吉野ケ里遺跡も近い。

 青森県 小泊村に漂着。神山(権現崎)で農業技術を教える。

 京都府 新井崎神社 徐福が祀られており、麻疹(はしか)の流行を救った。 

 和歌山県 熊野地方 新宮市には「徐福の墓」「徐福公園」 天台烏薬(うやく)と云う生薬となる植物を発見。 クスノキ科の常緑灌木。近年の研究で、活性酸素除去作用あり。

 山口県 瀬戸内海の祝島・・千歳と呼ばれる長寿の木の実を求めて立ち寄った。

 丹後半島

 秋田県 男鹿市

静岡県 富士市

三重県 他多数あり・・

徐福は秦の始皇帝の命を受けて、総勢3000人もの集団を率いて渡航・・・。始皇帝のロマンは、不老不死の仙薬を探すのみでありましたか?徐福伝説が日本各地にあるのは・・徐福が率いた部下達の伝説も含まれると思います。徐福は方土(呪術師)医薬、占星術、天文学に通じた学者でした。五穀の種子、様々な技術を持つ百工(技術者)を同行している。当時日本は・・縄文時代から弥生時代に移行する頃です。五穀の種子・・農耕の技術を教えて貰う。漁業の技術、航海の技術、建築の技術、医療の技術も教えて貰う。優秀な人達が各地で活躍した様子から・・人々から親しまれて、神社や公園、薬草園が造られて居ます。・・薬草と云うことは・・。

 秦の始皇帝の桃源郷(理想郷)です!・・争いの無い、偽りのない、皆が健康で心豊かに暮らせる、美しい国を探せ!日本に造れ!と命じたのではないでしょうか。始皇帝は、独り悩みます・・。飲んでいる丹薬・・体は衰えて行くばかり、一向に良くならない。この現実に気付かないでしょうか?頼りになる側近は居ない・・。心安らぐ処は、この国には無い・・。

 始皇帝は50歳の若さで他界しました。その4年後の事、秦帝国は滅亡しました。始皇帝が統一し、絶対的権力と富を手に入れた独裁者は、不老不死を追い求めて、丹薬と呼ばれる秘薬を飲み続けて居ました。死後、各地で反乱が相次ぎ・・統一から僅か15年で滅亡したのです。

 徐福さん一行は、不老不死の仙薬を見つけても、帰る事が出来なくなりました。命じた始皇帝は居ない。帰る国も滅亡して居るのですから。当時の日本は、縄文時代から弥生時代に移る過渡期(かとき)でした。教科書で学んだ、稲作・農耕文化が大いに広まるは・・徐福さん一行と重なります。そして、秦の始皇帝の探し求めた、桃源郷は、日本にあるかも知れません。農耕民族として長く続きました。また、日本人の心の中にあるかも知れません。始皇帝の目指した大プロジェクトの一つ・・争いの無い・偽りのない・皆が健康で心豊かに暮らせる郷・・ここにあるかも知れません。と言って、慰めて差し上げたいと思います。

 あの~お母さん~。もしもし・もしもし・・。私達のお母さん・家の奥さんは、今で云う歴女らしくて、好きなヵ所は、のめり込んだら止まりません。あの~もしもし。私~阿房宮と云う、同じ名前を付けて貰って居る・・食用菊の花なんですよ!・・えぇっ!まぁ!どうしょう・・ごめんなさい。

 阿房宮の うた・・②

 明るい黄色と、しっかりとした花びら。独特の香りと甘み、歯応えも良い・・苦みが少ない花です。東北在住の人達には、短い秋を感じる大切な花なんです。また、東北出身の人達には、故郷の山や川、父や母を思う・・郷愁を誘う花として、殊の外好まれて居ます。

 青森県南部地方の特産品・・。「干し菊」菊のりとも呼ばれ、保存食としても利用されています。花びらを蒸して、乾燥させ、板状に。(中国にも)菊花茶(きっかちゃ)というお茶があるそうです。乾燥させた菊の花をお湯で煮だす。香りは爽やかで少し甘みがあります。リラックス効果を促進するとか。

 家のご主人様の出身地、秋田県にも菊を食用する文化があります。中国地方では、10月下旬から11月初旬にかけて満開になります。家の奥さん・私達のお母さんの調理方法は・・。

先ず・・満開になった順に、菊の花首を折ります。数は大体50以上あると、1回の食卓に上がりますか。水で洗い、スピナーで水を飛ばします。又は、布巾で搾る。花びらをむしり、花びらだけにします。芯は苦いので食べない。(芯は後、袋に入れてお風呂に。乾燥させて保存も。とことん利用して居ます) 鍋を準備して、(菊50位で)水1リットル~1.5リットル位を火にかけて、沸騰させます。酢を大匙1~1.5位を入れて、あく抜きと色よく仕上げる為です。花びらを全部鍋に入れて・・菜箸で押さえながら、回しながら、サッと手際よくゆでます。ざるに移して、ボールで水にさらします。冷めたら、スピナーで水切りします。出来上がりです。多くある時は、冷凍保存して下さい。板状にして置くと、1回分を折って使えるので便利です。年末年始迄あると重宝します。

そのまま器に・・。おひたし鰹節に酢醤油、ポン酢、胡麻醬油和え、白和えなど色々お楽しみ下さい。漬物の彩りに。おせち料理に。吸い物に。天ぷら(生で、がくを付けて)ほか。

菊は多年草ですから、そのままでも次の年には菊の花は咲きます。しかし、茎が伸びすぎますので、4月から5月頃切り戻してください。根元には、新芽が出て居ます。又は切った茎で、差し芽をします。家では、差し芽をして増やして居ます。必要な人に、そして同郷の人に差し上げる為です。また確実に、苗を残すためです。

 「もってのほか」と云う、薄紫色の食用菊があります。山形県の人達の好みらしい。と思って居ました。失礼しました。山形県の特産品になって居ました。筒状の管弁という花びらの形状が特徴。シャキシャキとした食感とほのかな苦み、爽やかな香り、共に高く評価されています。名前の由来は・・「もってのほか美味しい」「御紋章の菊を食べるのはもってのほか」など諸説あります。正式名称は「延命楽」です。阿房宮とは、また違って美味しいです。開花時期は・・阿房宮より1ケ月早く、中国地方では9月下旬から10月初旬です。あく抜きの仕方、育て方は阿房宮と同じです。山形県では品種開発が多数されて居ました。「寿」「岩風」「菊名月」「越天楽」ほかと云う事です。凄い・・。

 新潟県では、「カキノモト」と呼ばれて居るそうです。薄紫色の延命楽です。

 阿房宮の うた・・③

 阿房宮さん~聞いて見たい事があるんです。お母さん・・なにか?あなたの名前は誰に付けて貰いましたか?いつ頃から日本に居ましたか?その経緯を教えてください。さぁ?分かりません。東北地方に菊を食す文化があるのは・・その経緯に関係するのではないですか??さぁ?分かりません。私達の先祖の事ですから、何代も何代も前の事です。親から聞いて居ませんよ。調べると分かるかも知れませんが・・。でも、今回は調べない事にさせてください。何故かと云うと・・家の奥さん・私達のお母さんと私の空想に寄りたいからです。えぇっ!嘘はいけませんよ!了解で~す。空想で~す(現実にある事柄をヒントにして想像を広げていくもの)妄想ではありません(現実的な根拠が全くない、誤った考え方に基づいて居る)ですから、空想は非現実的であっても、現実離れして居る事を楽しむ、ポジティブな側面があるそうです。と云う事で・・何故に、東北地方・・日本海側に菊を食する文化が盛んにあるんでしょうか?いつ頃から?が分かればね。・・私思うんです・・。日本海側に漂着した、徐福さん一行と重ねて居るんです。お母さんは、徐福さん一行を豪く(えら)贔屓しますね。まぁね・・何でかしらね?薬草繋がりかと思います。薬草とかハーブとかに携わるとね、争い事が嫌になって、面倒くさい!それ関係無いと思うんですよ。気がするだけですかね・・。徐福さん一行は、菊の種を持って来たんでしょうか?または、その地で鮮やかな黄色で、苦みの少ない品種を発見したのでしょうか?私達は、後者ではないかな?と思うんです。種を持って居たのなら、その菊の、中国名を付けるでしょう。ですからその地で、発見したのではないかと思います。その品種を広めて、現在の食文化になったのではと思います。そうかも知れない。そうでないかも知れない。徐福さん一行から、2200年の時が流れて居ます。その地に、古くから薬草園もあるんですよ。ふぅん~そうなんですか~。「阿房宮」と云う名前は・・荘厳な宮殿の事を知っている、知識人に付けて貰ったんでしょうね。それとも親から伝え聞いて居た、その子孫に付けて貰ったんでしょうかねぇ。明るい黄色の花、ほのかな香り、甘み・・。何故か郷愁を誘います。

 阿房宮の うた・・④

 郷愁の念・望郷の念・・異郷に居て故郷を恋しく思う気持ち・・。例え帰って見たとしても、同じ山や川のある風景であったとしても・・そこはもう兄弟の家に、甥や姪の家になって居て、私の家ではないんです。父も母も・・もう居ないんです。優しかった・いつも私を守って下さった・・母はもう居ないんです。元気で、若かった父母はもう居ないんです。そうですよね・・私、もう母の年を超えて居るんですから。あの頃の私と、同じ年頃の孫が居るんですから。

 皆様にも私にも、故郷はあります。幼い頃の思い出があります。幼い友達も居ました。でも、もう・・家は、故郷はありません。此処に生きるしかないんです。子や孫の為に・・故郷の家にならなくてはなりません。徐福さん一行の様に・・強くなって、生きるしかないんです。

11月3日は菊の誕生日と聞いた事があります。阿房宮もそろそろ満開になる事でしょう。ご縁がありましたら、どうぞ食してみて下さい。(阿房宮に限った事ではなく)故郷の味・母の味・を体に入れて、元気に頑張りましょう。あの~私達のお母さんは、いつも頑張れ・頑張ればかりですから・・すみません。お母さん自身への応援歌ではないでしょうか?そうかも知れない・・。

 阿房宮の うた・・⑤

 食用菊には・・風邪予防や解毒作用、抗酸化作用があるとされます。目の疲れを和らげると言われます・・菊の花。身も心もリフレッシュされる感覚あるようですよ。まさしく・・不老長寿・・延命楽・・です。

                                        終わり

 


 我が家には、阿房宮と云う明るい黄色の食用菊があります。もってのほかと云う・・薄紫色の食用菊もあります。この地域の人達は、菊を食す文化は無いようです。調理の仕方、知られて居ません。東北出身の人達に取って、郷愁を誘う花なんです。皆様には季節を感じる花として、身近に食して頂けたらと思います。いつか少しづつ広まって・・故郷の母を思う・・と云う、食材の一つになるといいな・・。

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