【幕間:リフィの過去】香草茶と魔導病の娘
春の光が緩やかに差し込む午後。
療養院の仮設帳の奥、少し離れた布の仕切りの向こうに、村人たちが口をつぐむ“静かな一角”があった。
「……ユズカ、あの娘は?」
リフィが尋ねると、ユズカは少しだけ表情を曇らせた。
「“レイナ”。5歳の女の子。生まれつき魔力を帯びた体質で……“魔導病”を抱えているの」
魔導病。
生まれながらにして魔力を強く帯びる身体に魔力が馴染まず、蝕まれていく病。
高い魔力は魔法の才能として現れる者もいれば、逆に体の制御を失い、日常すらままならない者もいる。
「治せるのか?」
「……魔力自体を取り除くのは高位の浄化術でも難しい。でもね、揺らがないように、心と体の波を落ち着けてやると、発作の頻度を抑えて魔力が馴染むための助けになるかもしれない」
そう言いながら、ユズカは小さな薬籠を手に立ち上がった。
「今日は“香草茶”を試すわ。レイナの身体にはまだ強い効果の薬湯は重いから、まずはお腹を温めるものから」
仕切りの中。
少女は、白布に包まれた細い手足を毛布の中に埋め、息を潜めるように横たわっていた。
ユズカが火にかけた小鍋からは、かすかに柑橘と草の混じる、甘くさっぱりとした香りが立ち上っていた。
「“トリア香草”と、“サリスの実”。トリアは心を穏やかにして魔素の流れを整える。サリスは消化を助けて、体の底から温めてくれる」
その言葉に、リフィは鍋をのぞき込んだ。
「料理に使ったことがある。サリスは甘くしても苦くしても合う。でも薬としては……どう使えば?」
「焦がしちゃだめ。ぐつぐつ煮ない。香りが立ちすぎると逆効果になるから、ほんのりと煮て香りを移すだけ」
やがて出来上がった湯を器に注ぎ、ユズカは湯飲みを両手で包みながら、レイナのそばに膝をついた。
「……レイナ、起きてる?」
少女がかすかにまぶたを動かし、細い声で「うん」と答える。
「今日のお薬はね、お茶なんだ。苦くないよ。甘くて、あったかいの。飲んでみる?」
レイナはしばらく迷ってから、こくりと頷いた。
ユズカがそっと差し出した湯を、少女は両手で受け取り、小さな唇を添えた。
ごく、……ごく。
少しずつ、けれど確かに、茶が減っていく。
「……あったかい。草の……におい、する」
「うん。それが、レイナの身体を守ってくれる香り」
その言葉に、レイナの肩の力が少しだけ抜けたように見えた。
「すぐに良くなる薬じゃない。でも、ゆっくり、体の奥に効いていく」
リフィは、その様子を見ながら、そっと息を吐いた。
「魔法じゃない……けれど、効いているんだな」
ユズカは微笑んだ。
「ねえリフィ。あなたはエルフで、しかも料理人なら、これからも出会うことになるわ。魔法で癒せない人たち、魔法の届かない痛みに」
「……食で、癒せるだろうか」
「私は、そう信じてる。食べることは生きること。美味しいって思うその一口が、もう一歩、生きたいって気持ちになる。だから私たちは、ちゃんと“届ける”ことを諦めちゃいけないの」
少女の湯飲みが空になった。
彼女はそっと微笑み、ユズカの袖をぎゅっとつかんだ。
リフィは焚き火のそばで、包丁を磨いていた自分の手を見た。
この刃は、ただ食材を切るためにあるのではない。
誰かがまた立ち上がれるように、命の火を絶やさないきっかけになれるのだ。
リフィにとって、心の中で感じていたものを強く認識し直させてくれた大切な思い出なのであった。