毒棘の牙
ベルタの集落を発って半日、三人は交易都市カレンを目指し、山沿いの緩やかな獣道を進んでいた。
春の木漏れ日が斜面に差し込み、鳥のさえずりが遠く響く。
そんな中、リフィがふと足を止めた。
「……これは」
斜面に張り出した枝に、透明がかった銀灰色の大きな皮が垂れていた。
触れれば、まだわずかに湿り気がある。
「シタレ蛇の脱皮痕だな。ついさっきまでここにいた」
「まじか……! シタレ蛇って、高級素材だろ? 皮も薬になったはずだ」
クルツが目を輝かせるが、エルドは険しい表情で周囲に視線を巡らせた。
「それだけじゃない。こいつの尾には毒棘がある。しかも即効性の痺れ毒……不意打ちでも食らえば命取りだ」
「痺れ毒ってことは……」
リフィがうなずく。「感覚と筋の自由を奪う麻痺を引き起こす。触れた場所によっては数分で動けなくなる」
その時だった。
「……ッ!」
枯れ葉を裂くような音とともに、斜面の上方から長い影が滑るように現れた。
艶やかな黒青の鱗。50センチを優に超える太い胴体。蛇とは思えぬほど大きく、鋭い黄色の眼でこちらを見据えている。
「構えろ! 来るぞ、シタレ蛇だ!」
シタレ蛇は地をうねりながら迫る。
その巨体は悠々と三人を包囲できるほどの長さがあり、青黒い鱗が陽光を受けて不気味に光っていた。
「クルツ、動きに気をつけろ。音を追え。目だけでは間に合わん」
「了解、了解……! 怖えな、こいつ!」
蛇がその巨体をたたみ、狙いを定めて突進してきた。
まるで弓を引き絞ったような素早い突進を3人は躱したが、すれ違いざまに繰り出された尾の一閃がエルドを襲う。
「——ッぐ!」
エルドは咄嗟に片手剣を振るい、尾の一部を受け流した。だが、棘が右腕をかすめ、瞬時に力が抜ける。
「くっ……右腕が……痺れて……!」
「後ろへ!」
リフィの声と同時に、彼の足元で荷袋が淡く発光する。
手のひらを袋口にかざし、静かに呟いた。
「《ディメンシア・パック》」
次の瞬間、空間が揺れたように裂け、袋から鋭く光を放つ一本の長鉈が引き抜かれる。
光を吸うように鈍く輝くその刃は、ミスリル鋼製の重刃。片手では振り切るには少々大きすぎる代物だ。
「逃げられる距離でもなさそうだ。ならば、仕留める」
リフィは無言で前に出た。クルツが目を見開く。
「おい……まさかお前、それ振り回す気かよ……!」
「必要なことはする」
シタレ蛇が再び突進してくる。リフィは足を半身に構え、長鉈を両手で握り込む。
蛇が牙をむき、喉を膨らませた瞬間、その懐に一歩踏み込み、渾身の力で刃を振り抜いた。
「——ッ!」
ミスリルの刃が鱗の間を裂き、肉を断ち、骨に届く。
鈍い音と共に、蛇の動きが大きく鈍った。
「クルツ、目を狙え!」
「任せろ!」
既に弓を構えていたクルツが、ぴたりと狙いを定める。矢が走り、蛇の右眼を正確に射抜いた。
咆哮を上げた蛇がのたうち回る。その尾が最後の力で地を叩きつけるが、リフィは踏み込みを緩めず、もう一度長鉈を振るった。
今度は首元。鋭く刃が突き立ち、深く、重い音が響いた。
刹那の沈黙。
巨体が崩れ落ちると、周囲の空気もようやく静けさを取り戻した。
「……終わったか」
リフィは呼吸を整え、手元の長鉈を片手で軽く振って血を落とし、再び《ディメンシア・パック》へと収めた。
「……エルド、棘の痕が青く変色してる。血の巡りが止まりかけてるな。放っておけば、肩から指先まで麻痺する」
「……右腕が全然力入らん。感覚が鈍くなってきた」
リフィはすぐに頷き、周囲を見渡す。
「ここにいてくれ。火は起こしておいてくれるか? 解毒に必要な草を採ってくる」
そう言うと彼は荷を置き、山道の脇から林の中へ姿を消した。