香りと目利き
翌日、空も晴れ渡り、ノアスの村を出発してから春の陽が西に傾き始めた頃、三人はベルタの集落の門をくぐった。
こぢんまりとした石畳の路地に木造の家々が並ぶ集落。
だが、今日は様子が違った。
「……ずいぶんにぎやかだな」
クルツが目を丸くする。
路地のあちこちには行商人たちの荷車や即席の布張り屋台が並び、地元の村人たちが活気よく声を交わしていた。
どうやら、月に数度の”寄り市”がちょうど開かれているらしい。
「ちょうどいいな。補充しておきたいものがある」
リフィはそう言って、迷いなく市場の中へ歩を進めた。
香ばしい焼き穀の匂い、干し魚の塩気、果実酢の酸味、そして見慣れない香辛料の香りが入り混じる空間。
リフィの瞳は細く鋭く、各屋台を吟味しながら見て回る。
やがて、果物や乾物を扱う中年の商人の店で彼はぴたりと足を止めた。
「……これは?」
手に取ったのは、小ぶりな赤い実。
表面はしわが寄り、淡く透けるような深紅。
見た目は果実のようだが、乾燥によって糖分と旨味が濃縮されているのが一目でわかる。
「そいつは“干しセッタ”って呼ばれてる、野菜の実を干したものさ。生の“セッタ”は水分たっぷりで酸っぱいが、干せば甘みとコクが出る。うちの自慢の一品さね」
リフィは鼻先で香りを確かめ、ひとつ指先で弾くように押した。
「……質がいいな。乾かし過ぎず、芯が生きてる。使える」
「見る目があるねぇ。あんた、料理人かい?」
商人が嬉しそうに声をかける。
リフィは微笑まず、ただうなずくだけだった。
さらにその隣、香辛料を並べた屋台の前でも立ち止まる。
そこには、黒く艶めく粒が籠に山のように盛られていた。
「パーネッション……!」
低くつぶやいたリフィの声に、クルツが怪訝そうな顔を向ける。
「何だそれ、見た目は焦げた豆みたいだが?」
「黒い粒の香辛料だ。火を通すと、芳醇な香りが広がる。辛みも強いが、余韻が深い。肉にも豆にも合う。火料理と相性がいい」
「へぇ……こりゃまた、面白そうな代物だな」
リフィは籠の中に手を伸ばし、指先で数粒すくって香りを嗅ぐ。
たちまち鼻腔を刺激するようなスパイシーさ、土のように深く濃密な香りが立ち上がる。
「このパーネッション、産地は?」
「北東の火山地帯さ。“灰ノ渓谷”の中腹で採れるって聞いたやつだ。年によって香りが違うのさ」
「そうか……これは当たりだ」
リフィは、干しセッタとパーネッションを選び、それぞれ適量を購入した。
その様子を見ていた近くの屋台の客が、ぽつりと呟く。
「あのエルフ、見てみな。目利きがまるで市場の長みたいだ」
「目付きが違う……こりゃ只者じゃないな」
そんな囁きに、クルツがニヤリと口元を緩めた。
「なあ、リフィ。“料理バカ”って、呼んでも怒らねぇか?」
「正しくは“料理のために生きてるバカ”だ」
リフィが淡く返し、クルツが吹き出す。
エルドは黙って、干しセッタの包みを見ながら言った。
「……それで、今夜は何を作る気だ?」
リフィは少しだけ目を細めた。
「まだ考え中だ。ただ、いい素材が手に入った。あとは、それをどう“生かす”かだな」
午後の市はまだしばらく続いていた。
リフィは、次に目をつけた品の並ぶ店先へと、再び歩き出した。